歴史

石油の歴史No57【イランの米大使館人質事件とイラン・イラク戦争】

1979年2月イスラム教シーア派最高指導者アヤトラ・ホメイニ師の帰国でパーレビ国王に任命されたバクチアル政権は崩壊し、バザルガン暫定内閣が誕生しました。 3月30日行われた国民投票の結果、賛成98%でイランはイスラム共和制移行が決定しました…

石油の歴史No56【イラン革命とホメイニ師の凱旋】

1970年代の中頃、イランでは石油収入が増えているにもかかわらずパーレビ国王の独裁と近代化政策への過度の投資と政府の腐敗が経済的混乱、社会的混乱を招いていました。 yaseta.hateblo.jp 地方から都市への人口流入が都市の過密化を招くとともに、農業…

山本鉱太郎氏講演会「超人伊能忠敬の熱い生涯」を聴講して

2月3日財団法人興風会主催の野田文化講演会で旅行作家の山本鉱太郎氏による「超人伊能忠敬の熱い生涯」の講演を聴講しました。 講師の山本鉱太郎氏は78歳と高齢にもかかわらず矍鑠(かくしゃく)として、第二の人生に入ってから北海道から九州まで歩きな…

石油の歴史No55【OPEC以外の油田開発を目指した各国企業】

アメリカでは1973年の第一次オイルショック後、メジャーは絶え間ない攻撃に晒されました。メジャーの利益は1972年までの5年間、増加する需要にもかかわらず1972年69億ドルで、ほとんど増加しなかったのに対し、1973年117億ドル、197…

石油の歴史No54【人類の危機を警告したローマクラブの「成長の限界」】

【石油過剰供給時代の終焉】1970年前半になると、世界の石油需要が供給を上回り出し、これまで20年近い供給過剰が続いた時代は終わりを告げることになります。 1960年代後半からから1970年代前半にかけ先進工業国は安い石油に支えられ高度経済…

石油の歴史No53【アラスカ油田開発とパイプライン建設の凍結】

1923年アメリカ海軍はアラスカの北極海沿岸に艦船の石油補給地を作ったのがきっかけで人がアラスカを訪れるようになり、山師たちも石油を求めてアラスカに来ましたが発見できずいつしか忘れさられました。 33年後の1956年のスエズ危機の時、シェル…

石油の歴史No52【産油国が完全勝利したメジャーとの利権争奪戦】

【石油利権】 yaseta.hateblo.jp 【イラン】 メジャーは中東地域の油田を独占していましたが1952年のイランモサデク首相のアングロイラニアン国有化をきっかけに次第に国有化され油田や経営権を失っていきます。 石油の歴史No35【イランのアングロイラニ…

石油の歴史No51【第一次石油危機とウォーターゲート事件】

1973年10月6日の第四次中東戦争とその後のOAPEC(アラブ石油輸出機構)による原油生産の削減、ヨーロッパや日本に対する石油輸出削減、そして、イスラエル支援国とみなされたアメリカとオランダへの石油の全面輸出禁止は全世界に石油不足の不安…

1805年10月21日イギリス艦隊が勝利したトラファルガー海戦

202年前の今日、1805年10月21日はスペイン南部のトラファルガー岬沖でイギリス艦隊とフランス・スペイン連合艦隊との間で海戦を繰り広げ、ネルソン提督率いるイギリス艦隊が大勝利を遂げた日です。 イギリスは1793年以来ナポレオン率いるフラ…

石油の歴史No50【第四次中東戦争と第一次石油危機】

1960年代から先進国の経済の著しい伸びに対応し石油も激増し1970年初めは石油の供給に緊迫感が漂い始めました。 1973年初め、アメリカ国務省の石油専門家の一人で外務担当官ジェームズ・エイキンズはエネルギー問題報告書で「遅くとも1975年…

NHKスペシャル「パール判事は何を問いかけたか」について

毎年8月15日の終戦記念日が近づくと戦争の悲惨さを風化させないために、国やメディア識者等が新聞やテレビや雑誌などで特集番組を組み啓蒙を図っています。 東京裁判での尋問調書がアメリカ国立公文書館に眠っており、60年たった今、NHKが改めて調査し、…

石油の歴史No49【石油利権システムの改定版パーティシペーション】

アメリカを除いた産油国では1901年ペルシャで石油事業を始めた時、ノックス・ダーシーが使った利権システムは1970年代初頭まで成り立っていました。 yaseta.hateblo.jp この利権システムでは石油会社は産油国と契約を結び土地を借り受けますとこの土…

石油の歴史No48【メジャーから産油国に転換した石油の支配力】

【米英の影響力の低下】 1960年代後半になると中東における米英二大国の影響力にかげりが見えてきました。アメリカはベトナム戦争の泥沼に陥っており、国内では反戦運動が起こり、国外の発展途上国では帝国主義、新植民地主義、経済搾取を叫び反米運動が…

石油の歴史No47【イスラエルにパレスチナを奪われた六日戦争】

1956年10月エジプトのナセル大統領によるスエズ運河国有化をきっかけにスエズ動乱が発生し、結果的に国有化に成功し、イギリスの影響力と威信を低下させ、ナセルの民族主義が勝利したと中東諸国に受け入れられました。 スエズ動乱 yaseta.hateblo.jp …

石油の歴史No46【1950年、60年代の日本の若者が憧れたアメリカの文化】

アメリカでは1948年~1972年までに石油消費は日量580万バーレルから1640万バーレルと3倍増加しましたが、西ヨーロッパでは97万バーレルから1410万バーレルと15倍に増加しました。日本の場合は3万バーレルから440万バーレルの1…

石油の歴史No45【結束力に欠けるOPECだが増加する加盟国】

1960年9月14日産油国の会合は終わり、国際石油会社と共同で対決する組織OPEC(Organization of Petroleum Exporting Countries、石油輸出国機構)が創設されましたが、当初のOPECは結束力に欠け、足並みが揃わず成果がでませんでした。 19…

2000年以上ロングセラーを続ける孔子の言行録「論語」

論語は4世紀後半、朝鮮半島の百済(くだら)から和仁(わに)によって持ち込まれた日本最初の書物と言われています。7世紀に聖徳太子によって作られた十七条の憲法は論語の影響を受けました。論語を中心とした儒学が武士や庶民に触れるようになったのは江…

石油の歴史No44【OPEC設立の立役者「ベネズエラのアルファンソとサウジのタリキ」】

これまで産油国は石油に関する主権を取り戻すために一国の利己の利益だけで散発的にセブンシスター等のメジャーに挑戦しましたが巨大資本のメジャーに対しては無力でした。 これまでバラバラだった産油国を団結させ組織的にメジャーに対抗するたには、2人の…

石油の歴史No43【クーデターにより王制から共和制に転換したイラク】

1957年終結したスエズ動乱はナセルを英雄に仕立て上げ中東諸国の民族主義の勢いを盛り上げる結果となりました。そして、石油は高揚する民族主義の中心でありました。エジプトは石油産油国ではありませんが、ナセルは主権の問題、植民地主義に対する闘争…

石油の歴史No42【メジャーの産油国支配に亀裂を入れた男「エンリコ・マッティ」】

1920年代にイタリアはフランスにならい、国際石油会社に追いつこうと石油の精製・販売する国営の石油会社(AGIP)を設立しました。1930年代半ばまでにはAGIPは国内ではシェルなどの国際資本と同等の市場を持っていましたが、国外の市場はゼ…

石油の歴史No41【大型タンカーを登場させたスエズ動乱】

紅海から地中海を結ぶ160km(100mile)におよぶスエズ運河の建設はフランス人「フェルナンド・レセップス」が10年の歳月をかけ1869年に完成した19世紀最大の偉業と言われています。 スエズ運河はインドへの所要時間を半分に短縮し、イギリス…

石油の歴史No40【中東地域と世界石油市場を独占したセブンシスターズ】

1953年民族系石油元売会社「出光興産」のイラン石油購入に対し、アングロ・イラニアンは東京地方裁判所に訴訟を起こしましたが「出光興産」が勝訴しました。アングロ・イラニアンはそれを不服として控訴しましたが法廷闘争継続中の10月、突然、控訴を取…

石油の歴史No39【日章丸事件】

1951年5月、イギリス政府はイランのアングロ・イラニアンの石油施設接収は犯罪行為であるとして国際司法裁判所に訴え、制裁措置を発動しました。世界の市場の大半を抑えている欧米系大手石油会社から成る国際石油カルテルと組んでイラン石油のボイッコ…

石油の歴史No38【戦後日本の石油時代の幕開け】

連合国の初期対日方針は非軍事化と民主化を柱に財閥解体、農地解放、労働三法などの政策の実行でしたが、賠償取立ても課題のひとつでした。 当初、金銭的賠償でなく産業設備などによる実物賠償、特に、軍需的産業設備は取り立て対象でした。1946年(昭和…

石油の歴史No37【終戦前後の日本の石油事情】

下記地図の面をクリックすると拡大します。 1943年頃の世界の油田 1942年(昭和17年)日本軍はボルネオ、スマトラ、ジャワ、マレー、ビルマなどを占領し、南方の豊富な石油資源を確保しましたが、昭和18年後半頃から戦況の悪化と共に石油資源も次々…

石油の歴史No36【太平洋戦争と石油】

昭和16年(1941年)夏、ドイツ軍は電撃作戦でヨーロッパを席捲しており、日本軍は中国内部に侵略、続いてシンガポール、フランス領インドシナ(ベトナム)、オランダ領東インド諸島(インドネシア)を目指し、進駐を開始していました。 昭和16年(1…

石油の歴史No35【イランによるアングロイラニアン石油の国有化】

1935年ペルシャは国名をイランに改称し、その後アングロ・ペルシャ石油会社もアングロ・イラ二アン石油会社に改名しました。 1940年代のイランは政治、経済状況は混乱しており、外国の度重なる干渉を受け、イラン領土に対してソ連から直接圧力があり…

石油の歴史No34【産油国を覚睡させた一匹狼のポール・ゲッティと日本のアラビア太郎】

1922年、イギリスはあいまいなサウジアラビアとクウェートとの国境を巡る紛争を避けるため、中立地帯をつくりました。そして両国は共同で統治し、石油の利権も半分ずつ分け合っていました。 サウジ・クウェート中立地帯 yaseta.hateblo.jp 第二次大戦後…

雷神に姿を変えた学問の神「菅原道真」

OB会報の編集作業を今日もやっています。各文章と写真をWordに貼り付ける作業を延々と8日間行い、校正ヶ所を修正し、66ページの文書になりました。 2月1日の編集会議での指摘事項の修正や三次校正などがまだ残っていますが、ようやく山場を切り抜けた…

暗黒の世に光を与える天照大御神(あまてらすおおみかみ)

1月11日のブログにマンガを載せませんでしたので、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天の岩屋戸から引っ張りだすため、「あめのうずめのみこと」が踊っているマンガを描き、今日のブログに載せてみます。 女性、男性問わず、日本の将来に明るい光と希…