感染防止と経済活動の両立させるためにはやはりワクチンは必須である

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コロナ1日感染者15日平均表

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欧米のワクチン接種と日本への供給

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国内東京累積感染者数グラフ

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国内東京1日感染者数グラフ

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国内東京累積死亡者数グラフ

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国内東京1日死亡者数グラフ

10月から始まったGOTOキャンペーンの影響で新型コロナウイルス感染が10月末ごろから増加速度が高くなり、

11月前半の国内の1日感染者の平均が1,150人、東京244人だったのが、

11月後半の国内の1日感染者の平均が2,021人、東京413人

12月前半の国内の1日感染者の平均が2,382人、東京470人

12月後半の国内の1日感染者の平均が3,099人、東京723人

12月30日単独の国内の1日感染者が3,846人、東京944人

12月31日単独の国内の1日感染者が4,515人、東京1,335人

と急激に感染が拡大してきました。それに伴い、死亡者、重症患者も増加しています。

年を越してもさらなる増加が予想されます。

 

三密回避や五つの小の対策など各個人の外出など自粛(政府・自治体が言っていたように)すれば、コロナを収束に向かわせることができると思っていましたがここまでくると年を越してさらに増加すると予想されます。

 

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はやり、感染防止と経済活動を両立させるためにはワクチンが必要であることがわかりました。

2021年2月中~下旬からワクチン接種が始まりますが、できるだけ早く、国民大多数が接種を受け、感染が収束することを期待したいと思います。

 

*三密

「密閉」「密接」「密集」

*五つの小

「小人数」「小一時間程度」「小声」「小皿(に料理を分ける)」「小まめにマスク、換気、消毒」

 

ふるさとの友人の話とその風景「晩秋の赤芝峡」

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晩秋の赤芝峡

「小国町 赤芝峡:下図参照」

下記の図は現在の置賜地域の地図に旧越後米沢街道を復元したものです。

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昨年(2019年)夏、ふるさとに(山形県小国町)帰る途中、新潟市に住むふるさとの中学・高校時代の友人宅に泊まり、思い出話に花をさかせ、次は埼玉県で医院を営む同じ友人三人で小国町へ行こうと話しました。

 

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今年(2020年10月)突然、埼玉の友人から新潟の友人の訃報が入りました。昨年、元気で夜遅くまで語り明かしたのに信じられませんでした。

 

私と違ってスポーツマンで中高は部活で活躍し、高校教員時代はバレーボール監督として小型バスを運転し、生徒を試合会場へ送り迎えをし、全国大会へも数回出場させました。

退職後は市のテニスクラブの世話をしながら自分も毎日のようにテニスで汗を流していると楽しそうに話していたのに残念です。

 

そして、5月にはお世話になった元職場の先輩が88歳で亡くなり、8月には大学の友人が亡くなり、12月、年賀はがきを遠慮するというはがきがこれらを含め7枚きましたがそのうちの5枚が同世代でした。

 

私が年賀はがきを交換している親戚・知人・友人などほとんどの人は私を含め、後期高齢者や高齢者だとあらためて認識しました。

 

数年前、大腸を手術している埼玉の友人はいずれこうなることを覚悟していると話していましたが、私はまだ覚悟ができていなく、野田市助成金を受け、来年(2021年)1月13日に人間ドックを受ける予定です。

 

友人の訃報を聞いたときふるさとの絵を描いていましたが完成が遅れ、12月になってしまいました。

 

【追】

飯豊山を源とする支流の横川が朝日山を源とする荒川に合流し、荒川と国道113号が並行して赤芝峡を通ります。

実際に赤芝峡をジョギングしたのは2015年10月16日です。10月18日に第29回長井マラソン(フルマラソン)に出場しましたが途中バテてしまい、なんとか完走したものの5時間19分42秒という最悪の成績でした。

 

コロナ感染を終息させられるのはワクチンしかないのだろうか?

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国内コロナ感染者数半月毎平均の表_201111

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日本東京コロナ1日感染者数グラフ_201111

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日本東京コロナ1日死亡者数グラフ_201111

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日本東京コロナ累積感染者数グラフ_201111

コロナ感染のリスクを極力抑える対策を打ちながら経済活性化支援策「GOTOキャンペーン」

東京以外の道府県の「Go Toトラベル」:2020年(令和2年)7月22日

東京都「Go Toトラベル」:2020年(令和2年)10月1日

音楽、演劇、スポーツ事業の支援「Go Toイベント」:10月中旬

飲食店・小売店などの支援「Go Toイート」、「Go To商店街」: 10月中旬

を実施してきましたが、恐れていたコロナ感染が拡大してきました。

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 【1日当たりの感染者数】

10月16日から31日までの16日間の平均

国内全体:630人、東京:167人

 

11月1日から10日までの10日間の平均

国内全体:916人、東京:196人は

コロナ感染第2波のピーク時の8月1日から15日までの15日間の平均である

国内全体:1253人、東京:318人

に近づきつつあり、やがて、感染者が1日何千人に拡大するのではと不安になりました。

 

今日(11月11日)、世界中が待ち望んでいたことが発表されたというニュースが報道されました。

新型コロナウイルスのワクチンを共同開発しているアメリカ「ファイザー」とドイツ「バイオエヌテック」製薬会社が臨床試験の最終段階の終了に近づきつつあり、治験結果の中間まとめではあるが、このワクチンは90%以上の人の感染を防ぐことができることが分かったと発表しました。そして、この11月末に認可を取得するため国の機関の緊急審査に申請する計画だという。

日本はファイザーと1億2千万回分を購入する契約を結んでいるそうですが入手できるのは2021年上半期だそうです。

 

やはり、コロナ感染を終息させるのはワクチンしかないのでしょうか。

気温と湿度が下がり始めた10月からコロナ感染者が急拡大している欧米諸国

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各国コロナ1日感染者数表_201106

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日本スイス1日コロナ感染者数グラフ_201106

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英仏独1日コロナ感染者数グラフ_201106

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米ブラジル1日コロナ感染者数グラフ_201106

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日本東京コロナ1日死亡者数グラフ_201106

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英仏独1日コロナ死亡者数グラフ_201106

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米ブラジル1日コロナ死亡者数グラフ_201106

【世界の累計感染状況】

5月21日 累計感染者 505万人、累計死亡者33万人

7月 7日 累計感染者1123万人、累計死亡者53万人

8月24日 累計感染者2338万人、累計死亡者81万人

10月5日 累計感染者3506万人、累計死亡者104万人

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 11月6日 累計感染者4852万人、累計死亡者123万人

 

【ヨーロッパの感染状況】

ヨーロッパでは、コロナ感染のリスクを抱えながら6月、経済活動を再開しました。

外出制限解除とバカンスなどの影響で8月下旬から感染者が徐々に増加し、気温・湿度が下がり始めた10月から感染が急拡大しています。

 

特に、フランスは1日感染者数6月、7月300人~800人でしたが8月2000人~4000人、9月7000人~1万人、10月には1万人~3万人、11月4万人と急拡大し、特に大都市パリなど深刻な事態になっています。

 

アメリカの感染状況】

2020年11月7日のニュースによるとアメリカ大統領選挙民主党ジョー・バイデン前副大統領(77)は接戦州ペンシルベニア州を制し、当選に必要な選挙人270人を超えたことで、共和党ドナルド・トランプ大統領(74)を抑え、勝利を確実にしたと伝えました。

バイデン氏は7日夜、地元デラウェア州で勝利宣言し、国内の分断の修復とコロナ感染拡大を防ぐ対策を実施する方針を示しました。

一方、郵便投票に不正があったと主張するトランプ現大統領は敗北宣言を拒み、法廷闘争を実施する方針を示しました。

 

アメリカの1日のコロナ感染者は6月、2万人~3万人、7月から10月前半まで4万人~5万人で高い感染者数を維持しながら顕著な増加はなく推移してきましたが、10月後半から急拡大しています。

10月後半16日間の1日のコロナ感染者平均は7万人そして11月の6日間平均は9万人、11月6日単日の1日のコロナ感染者は12万6403人と深刻な事態になっています。

 

明治11年イザベラ・バードが3日かけて踏破した越後米沢街道の十三峠

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イザベラ・バードの13峠越え

 1878年(明治11年)5月21日、47歳のイギリス人女性旅行家イザベラ・バードは横浜に上陸し、6月10日東京を出発、日光東照宮会津、新潟、十三峠(関川村、小国、小松)、赤湯、上山、山形、秋田、青森、北海道を旅し、さらに京都、伊勢神宮、東京そして横浜に戻りました。

そして、12月に帰国するまでの7か月間の旅行「日本奥地紀行」を執筆、1880年母国で出版しました。

 

明治維新後の日本の急速な社会・文化の変化に欧米諸国の日本情報が追い付かず、当時の欧米の百科事典や書籍のほとんどに、日本は鎖国が続き、武士が統治する専制君主の国として記述されたままになっており、一般欧米人も地球の東の端(はし)にある国で野蛮な未知の国程度の知識しか持っていませんでした。そんな時、日本の奥地に外国人女性が足を踏み入れ、日本を紹介したこの本は欧米で大きな関心と興味を呼び、たちまちベストセラーになりました。

 

イザベラ・バードは新潟から人力車を乗り継ぎ、越後米沢街道が始まる新発田を通り、中條、黒川(現在の胎内市)を越え、7月11日、関川村の川口という集落に着きました。

日本海側の新潟県関川村川口から内陸の山形県川西町小松に出るまで標高2000m級の朝日連峰と飯豊連峰が交わる飯豊連峰側の裾野を通る越後米沢街道には十三峠の難所があります。(そのうちの十峠がある東京23区より広い山あいの小国郷は私の故郷です。)

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[紀行文]

7月11日、イザベラ・バードは十三峠の榎(えのき)峠と大里(おおり)峠(新潟県山形県の県境)との間にある越後口の「沼」に宿泊し、次のように記述しています。

関川村を出発し)これから先は日本一大中央山系(飯豊連峰)になるので人力車では行けなかった。馬を1頭しか確保できなかったのでどしゃ降りの中を歩かなければならなかった。持参した紙(桐油紙)の合羽(かっぱ)では雨は十分にはしのげなかった。

私は雨に濡れ、疲れはてていた。沼の宿はみじめで部屋の障子は破れ、火鉢には炭もなかった。玉子もなかったし、ご飯はとても汚い色をしていたうえに小さな黒い種子が混じっていて食べにくかった。

[補足]

明治元年(1868年)の東北戊辰戦争の際、沼は米沢藩と新政府軍の戦場となり、米沢藩家老で越後口総督、長門久長が戦死、米沢藩は降伏しましたが戦場となった沼の集落は全戸焼失し、明治11年になっても村の経済は苦しく、元の姿に戻っていなかったと思われます。

 

[紀行文]

7月12日イザベラ・バードは市野々に宿泊し、次のように記述しています。

7月11日、鷹ノ巣、榎(えのき)という大きな峠をつまづきながら上ったり、下りたり、すべるように下ったりした。どの峠も森に囲われた山中にあり、そこをすっぽりと包まれた峡谷が深く刻み、雪をかぶった会津の峰々の一つが時折姿を現し、一面の緑の世界の単調さを破った。

馬の草鞋(わらじ)は一度むすんでも数分ももたずにほどけてしまい、1時間かけてたった1.6kmしか進めなかった。そしてとうとう玉川という小さな村にある(代わりの馬の調達)見込みの到底なさそうなところで(馬)降ろされた。

玉川では3日前に馬は貸し出され、無かったので、荷物運びの背負子(しょいこ)1人、農耕馬1頭、牛1頭を借り、牛に乗って大里峠を無事越え、回りに水田が広がる小国峠と下っていった。

沼(黒沢)からここ市野々までは距離こそわずか一里半(6km)だが何百もの石段の道を上ったり、下りたりして険しい朴ノ木峠を越えねばならず、暗がりだったから楽しいことではなかった。

峠のふもとで私たちは立派な橋を渡って山形県に入り、すぐこの集落「市野々」に着いた。

[補足]

11日に関川村を出発し、鷹ノ巣峠、榎峠を越え、飯豊連峰に続く山々の一つ標高478mの大里峠の入口の集落「沼」に泊まり、次の日の12日は大里峠に向かっております。従って、雪のかぶった会津の峰々は米沢の後方に連なる吾妻連峰であり、大里峠の頂上近くから見えた光景と思われます。

沼から市野々まで、大里峠があり、さらに4つの峠、そして黒沢峠の計6つの峠があり、距離は約30kmあります。実際、イザベラ・バードは1日がかりで歩いているので黒沢峠を沼と勘違いしており、また、沼を出発した日は11日でなく12日です。

大里峠から1.6km下った小さな村は小国郷の玉川で、そこからイザベラ・バードは牛に乗り替え、出発します。荒川の支流の玉川の橋を渡り、萱野峠、朴ノ木峠を下ると、水田が広がる小国郷の中心の小国本村(小国町内を含む小国盆地)が一望できる170mの高鼻峠(イザベラは小国峠と言っている)に着きます。

さらに、小国盆地を流れる横川(荒川の支流)を見下ろしながら緩やかな坂を下り、杉沢に下り、種沢を通り、175mの貝淵峠を越えると黒沢集落に着きます。

そこから石段のある426mの黒沢峠を越えると小国郷の市野々に到達します。

 

[紀行文]

市野々では馬はほとんど飼っていない。商品は背中に藁(わら)で編んだ背中当に木枠をつけた背負子(しょいこ)を背負い、女性でも男性でも変わらぬほどに思い荷物を運ぶ。 このような気の毒な人達がさもつらそうなあえぎながら峠の山道を越えて来るのに出会うと気が滅入る。

峠の頂きで息も絶え絶えに休んでおり、その目は飛び出し、痩せているので痛々しいほどよく見える筋肉はひとつ残らずぴくぴくしていた。手で虻(あぶ)を追い払えないために、刺された部分の血で、裸の体が文字通り血だらけになり、ほとばしる汗で流れているところもあった。

彼らは家族のためにまさしく顔に汗を流して食料を得、まじめに生活の糧を得ているのである。苦しみ疲れ切っているものの、完全に独立している。ここで私は男であれ女であれ乞食というものに会ったことがない。不思議な田舎である。

市野々では一軒の農家しか泊まれるところがなかった。ところが2部屋以外はすべて蚕部屋になっていたものの、その2部屋は非常に立派で、池と庭石が眺められた。一つだけ嫌だったのはもう一つの部屋を通らないと私の部屋に出入りできないことである。

今は5人の煙草商が輸送待ちをし、三味線という幻滅を覚える楽器をつま弾いて暇をつぶしている。私が利用する馬も牛も手に入らないので、今日(7月12日)はここで静かに過ごしている。疲れ切っているので休息でき、かえってうれしい。

7月13日の朝は快晴だった。(疲れが取れ、気分が良かったのか)市野々はすてきな村でこのあたりのすべての村と同じく養蚕が盛んである。それで、真っ白なあるいは硫黄色の繭(まゆ)をむしろの上で天日干しにする光景を至るところで目にする。

眺望の美しい桜峠を越え、白子沢(しらこざわ)という山あいの村で複数の馬と交換し、さらに複数の峠を越え、午後に手ノ子という集落に至った。

[補足]

市野々ではほとんど馬を飼っていないとあるが、明治維新前は宿場として牛馬は飼われており、宿屋、問屋、医者がいました。

日本古来の馬は小さく、農村では馬は乗り物や荷物運びより農耕用として飼われ、農村・山村では牛の方を多く荷物運びや農耕用として飼われていました。日清戦争後、欧米の馬が入り、改良され、乗馬・輸送・農耕用として使われるようになったと言われています。

 

[紀行文]

数多くの敷石を上ったり、下りたりしながら、そびえ立つ宇津峠を越えた。これは重畳たる山並みにかかる峠うちの最後ものである。([補足]宇津峠には敷石はなかったと思います。)

ありがたい陽の光に包まれたこの頂きから私は、素晴らしい米沢平野(置賜盆地または米沢盆地)を見下ろすことができ、うれしかった。

この平野(盆地)は日本を代表する地味豊かな農耕地帯のひとつである。森が多く、灌漑が行き届き、豊かな町や村が一面点在していた。

([補足]飯豊町から諏訪峠を越え、川西町小松に着き、米沢を迂回し赤湯に向かいます。)

そして、豊かで繁栄する置賜盆地に立ち、おもわず、口にします。

「まさしくエデンの園である。晴れやかににして豊穣のなる大地であり、アジアのアルカディア桃源郷、理想郷)である」と。

 

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[補足]

・明治4年(1873年)から8年(1877年)までイギリス人チャールズ・ヘンリー・ダラスは米沢の興譲館米沢興譲館高校)で教鞭をとっていました。

ダラスは米沢で牛を食用として自ら飼い、任期終了後、1匹を連れて帰り、横浜でイギリス人仲間に食べさせました。米沢牛を世間に知らしめた恩人として知られています。

イザベラ・バードが米沢に立ち寄らなかった理由は明治11年には彼が既に帰国していたからかもしれません。

イザベラ・バードは紀行文の中の至る所に蚤(のみ)・虱(しらみ)に悩まされる場面がでてきますが日本では戦前までごく当たり前のことでした。

古来から日本人は旅をして紀行文を書いていますが蚤・虱がいることが当たり前だったので記述するまでもなかったと言われています。

戦後、進駐軍DDTが入り、一般に売り出され、虱に刺されることはなくなりましたが、私が子供の頃(昭和20年代)はまだ、蚤がおり、布団の中で刺されることがしばしばありました。

[蛇足]

日本人は欧米人と比べ、コロナ感染者や死亡者が少ないのは蚤・虱に対する免疫がコロナに効いているからかも知れません(医学的根拠はまったくなく素人考えです)

 

[関連してふるさとの記録]

置賜盆地や小国・関川村に恵みを与えた白川や荒川に関連してダムに沈んだ親戚のふるさとを忘れ去られてしまわないようにここに記録しておきます。

高井家

市野々の集落は横川ダム(昭和47年、1972年完成)の底になるため、小国町に移住しました。

昭和24年に小国の母(長女)の妹(四女)が豊原村(現飯豊町)から市野々の林業・農業を営んでいる高井家に嫁ぎました。牛も飼い、米沢牛として出荷もしていました。

井上家

宇津峠を境に小国町から飯豊町になり、置賜盆地に入ります。

手ノ子から白川の上流約8km先に飯豊町高峰南荒尾に集落がありましたが白川ダム(昭和47年、1972年完成)の建設に伴い、住民はふるさとを離れました。

井上家は伊達家の侍で「鷹待役」をしていたが伊達家が国替えになったため、手ノ子から高峰に移り百姓になりました。その後、上杉藩の「鷹の役」として鷹の捕獲と藩へ売り渡す権利や名字帯刀を許されました。

「鷹書餌飼之巻抄」、「鷹絵図」や「上杉景虎の書状」など戦国末期から江戸期までの古文書が約50点残っており、飯豊町史や山形県史の編集に使われました。

築後400年の家屋は小原建設(愛知県岡崎市)という会社に買い取られ解体、静岡県裾野市須山に移築され、現在、「蕎仙坊(そうぜんぼう)」という蕎麦処になっています。

昭和13年に小国の母(長女)の妹(次女)は豊原村(現飯豊町)から高峰の林業・農業を営んでいた井上家に嫁ぎました。

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【参考】

1.「越後米沢街道・十三峠の案内」、平成23年度 重点分野雇用創出事業(歴史街道・十三峠観光資源活用事業)、置賜総合支庁建設部

2.「完訳 日本奥地紀行 2(新潟―山形―秋田―青森)」、金坂清則 訳注、平凡社東洋文庫 823)、2012年出版

3.「イザベラ・バードの東北紀行(会津置賜篇)」、赤坂憲雄平凡社、2014.5.23

4.「イザベラ・バードの日本奥地紀行を読む」、宮本常一平凡社、2002.12.9

5.「チャールズ・ヘンリー・ダラス」、米沢日報デジタル版

6.「私家本 井上家の歴史」、井上憲夫、2011.3

 

欧米人に比べ日本人がコロナに強いのはかつて蚤や虱にかまれたから?(私見)

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Blog図02_日本東京累積感染者図_201012

上記10月11日までの状況を見ると2020年9月8日に私見ながら「国内コロナ感染者50人以下は11月7日頃」と超予測しましたがまったく外れてしまいました。

これからも経済活動キャンペーンの影響があるので感染者減少の超予測することも困難になりました。

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2020年(令和2年)7月22日から始まった政府の観光需要の喚起策「Go Toトラベル」の旅行代金の割り引きは、感染者の減少が顕著に見られない「東京都内への旅行と都内在住者の旅行」は外れてしまいました。

 

東京以外の道府県は旅行客が増えると同時に東京も都内への外出者が増加しましたが、まだ感染の影響はでず、国内1日感染者は8月初めの1400人から9月8日の500人まで順調に減少してきました。

 

ところが、2週間経った9月頃から8月夏休みと「Go Toトラベル」の影響が出始め、感染減少が止まり、9月8日~20日頃まで、1日感染者は500人を中心に増減を繰り返します。

 

ようやく感染増加が安定し、9月21日~29日頃まで再び減少に向かい、1日感染者は430人となり、このまま減少を続けて行くかにみえました。 しかし、9月19日(土)~22日(火)の秋分の日までの4連休後、2週間過ぎた9月下旬頃から再び増加傾向になりました。

 

10月11日の現在まではこれまでの1日感染者500人のところで増減を繰り返しています。しかし、10月1日から他県からの東京都内旅行や東京在住者の国内旅行の許可や飲食店などを支援する「Go Toイート」(割引ポイントの提供)が始まっていますので、2週間後の10月中旬からこの影響が出始めるので増加に向かうと思われます。

 

さらに10月中旬から音楽、演劇、スポーツ事業の支援「Go Toイベント」や小売店などの支援「Go To商店街」が加わりますので、これ以上、感染者を増やさないため、一人一人が感染状況に注意を向け、予防することが肝要です。

 

私見:日本人がコロナ死亡率や感染率が少ない理由]

欧米人と比べ、日本人のコロナ感染者の死亡率や感染者が圧倒的に少ないようです。

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日本には遠い昔から昭和30年前頃まで普通に蚤(のみ)や虱(しらみ)がおり、かまれていました。素人の見解ですが、それが日本人の体質に影響を与え、現在、日本人がコロナに感染しても悪化を少なくしている原因のひとつとも考えられるような気がします。(医学的根拠はまったくない素人の思い付きです。)

 

明治11年(1878年)イギリス人女性イザベラ・バードは7か月間日本の内陸(奥地)を旅して「日本奥地紀行」を出版し、欧米でベストセラーになりました。

 

イザベラ・バードは日本を旅の最初から終わりまで蚤(のみ)・虱(しらみ)に悩まされ、嘆いており、同じ宿に泊まっている日本人はまったく気にしていないのを見てなんと文化の遅れている国だと見下していました。

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古代から昭和20年代まで日本人の多くの人々が旅をして日記や紀行文を書いていますが蚤・虱がいることが当たり前だったので記述するまでもなかったと思われます。

戦後、進駐軍DDTが入り、その後、虱にかまれることはなくなりましたが、私が子供の頃(昭和20年代)はまだ、蚤がおり、布団の中でかまれることがしばしばありました。

 

世界の多くの国で2020年10月5日現在もコロナ感染者が増加しています。

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Blog図01_日本スイスコロナ等1日感染者

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Blog図02_英仏独等コロナ1日感染者

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Blog図03_米ブラジル等コロナ1日感染者

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Blog図04_日本スイス等コロナ1日死亡者

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Blog図05_英仏独等コロナ1日死亡者

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Blog図06_米ブラジル等コロナ1日死亡者

【世界の累計感染状況】

5月21日 感染者 505万人、死亡者33万人

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7月 7日 感染者1123万人、死亡者53万人

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8月24日 感染者2338万人、死亡者81万人 

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10月5日 感染者3506万人、死亡者104万人

 

【ヨーロッパの感染状況】

ヨーロッパではコロナ感染第1波が低下してとして6月、コロナ感染のリスクを抱えながら経済活動を再開しました。

しかし、8月末頃から再び感染が増加して10月現在も増加しています。政府はロックダウンをしないが、営業制限を敷き、飲食業、観光業、イベント業などの従事者、企業の労働者に経済的支援を続けていますが感染の長期化を心配しています。

 

原因の一つはヨーロッパ内各国の外出制限解除と7月~8月のバカンスで多くの人が旅行に繰り出したからです。

 

特にフランス、スペイン、イギリスで感染者が増加しています。

 

国民全員抗体政策のスェーデンは感染者が増加していますが多くないので抑制されていると思われます。

 

【10月5日現在の大量感染国の状況】

インド  累計感染者655万人、累計死亡者102万人

ブラジル 累計感染者492万人、累計死亡者 15万人

米国   累計感染者742万人、累計死亡者 21万人

 

インド  1日感染者7万5千人、1日死亡者940人

ブラジル 1日感染者8千5百人、1日死亡者365人

米国   1日感染者3万9千人、1日死亡者412人