2000年以上ロングセラーを続ける孔子の言行録「論語」

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論語は4世紀後半、朝鮮半島百済(くだら)から和仁(わに)によって持ち込まれた日本最初の書物と言われています。7世紀に聖徳太子によって作られた十七条の憲法論語の影響を受けました。論語を中心とした儒学が武士や庶民に触れるようになったのは江戸時代の後半、幕府が儒学を奨励し、藩校や私塾が作られてからと言われています。やがて、武士の生き方として武士道のモデルにもなりました。

 

論語を始めとする中国古典は2000年経た現在も人間形成や生き方の指針として広く読まれ、実践されています。

 

私の中国古典の知識は1970年からバブル崩壊の1989年あたりまで会社経営のあり方や人間の行動規範を示すものとして会社幹部の訓話や研修を受けたり、ビジネス雑誌で数多く取り上げられてから断片的に知った程度のものです。

 

その頃の日本の経営者の多くは自信に満ち、儒教的哲学に裏打ちされた日本的経営や品質管理を企業で実践し成功し、世界中から注目を浴びました。しかし、バブル崩壊後、中国古典の信奉者であった経営者は自信を失い第一線から身を引き、アメリカの市場経済主義が台頭してきて、社会や企業から武士道や中国古典に関する声が聞こえなくなりました。

 

しかし、最近、仁や義を欠落した国や企業のリーダーが幅を利かせ、日本の社会にほころびが見え、まともな国民は危機感を覚え始めました。そして、数年前から再び、武士道や中国古典が再認識されるようになって、これらに関する出版物や記事や話題が再び脚光を浴び始めております。

 

私もこのような風潮に刺激され、断片的にしか知らない中国古典を勉強したいと思っていました。そんな時、図書館で二松学舎大学夏休み公開講座の募集を見つけ、さっそく「論語の入門講座」に申し込みました。

 

8月6日「論語を読むということ」8月7日「論語はおもしろいか」というテーマの講座を受講しましたが受講記録を作成する前に論語の原作者【孔子】について調べてみました。

 

孔子は2500年も前の紀元前551年に魯の昌平郷に生まれ、紀元前479年に死ぬまでの72年間生きた思想家であり教育者です。孔子は平民の身で十五歳の頃独学で学問を志します。十九歳で結婚、二十歳で倉庫の管理人になりました。

 

仕事は完璧で、牧場管理では家畜を増加し、建築現場の監督では効果的な指揮で工期短縮を行います。また、礼学に詳しい孔子のうわさは広がり、人に教えるようになりました。

 

34歳に才能を見込まれ、魯の家老の推薦で、周に留学しました。 魯に戻るとさらに門下生が増えました。魯(ろ)にクーデターが起こった30歳後半、斉に亡命し、仕官しますがかないませんでした。その後、魯に帰りますが定公の治世に落胆し、魯を去り、弟子を連れ、流浪の生活に入りました。

 

そして、帰国する64歳まで、諸国を回り、自己の理想の実現を図るも実りませんでした。帰国後、書経詩経、春秋などの整理にあたるとともに門弟の教育に力を注ぎました。

 

孔子の72年の生涯は苦労の連続でした。しかし、苦労に負けることなく常に胸を張って人生を堂々と生きました。その中から生まれた言葉を孔子の死後、300年経って弟子たちによってまとめられた言行録が「論語」なのです。

 

【蛇足】
孔子の思想を研究する学派を儒家と呼ぶようになり、教えは儒教となりました。その後、孟子はさらに儒教を発展させました。

 

儒教では「五条」と「五倫」を基本として、現世での秩序を重んじました。
四徳:①仁(思いやりの心)、②義(不正を憎む勇気)、③礼(礼儀)、④智(善悪を見分ける力)
五常:四徳+⑤信(誠実さ)
五倫:①父子(ふし)の信(父と子は自然の愛情で結ばれている)、②君臣の義(主君と家臣は道徳と倫理にかなった結びつきである)、③夫婦の別(夫と妻は役割が違う)、④長幼の序(年下は年上に従う)、⑤朋友の信(友達同士は互いに信じあう)

yaseta.hateblo.jp

【参考】
(1)「中国古典一日一言」、守屋洋、PHP文庫、1987年
(2)「マンガ 孔子の思想」、蔡志忠 作画、和田武司 訳、講談社、1994年
(3)「學 特集 論語生きるヒント」、学校法人二松学舎、Vol.9、2004年7月
(4)「PRESIDENT 仕事に役立つ歴史・古典入門」、2007年1.15号
(5)「知識ゼロからの論語入門」谷沢永一 著、古谷三敏 画、幻冬舎、2007年
(6)「世界の宗教がわかる絵事典」、井上順孝監修、PHP研究所、2006年