1960年代から先進国の経済の著しい伸びに対応し石油も激増し1970年初めは石油の供給に緊迫感が漂い始めました。
1973年初め、アメリカ国務省の石油専門家の一人で外務担当官ジェームズ・エイキンズはエネルギー問題報告書で「遅くとも1975年までに売り手市場になり、主な産油国が供給削減することで石油危機を生み出すことは可能となるだろう」と予測しました。
しかし、ニクソン大統領の国務顧問ジョン・エーリックマンは疑問を呈し、他のほとんどの人も注目しませんでした。そこでエイキンズは1973年4月フォーリン・アフェアーズ誌に論文「石油危機-今度こそ狼が出た」を発表し、世界のエンルギー危機到来を警告しました。それに対応し、ライバル誌フォーリン・ポリシーは「石油は本当に不足しているのか?」を掲げ、エネルギー危機はフィクションであると反論しました。
そしてアメリカ国内も先進工業国もエネルギー危機の対応策を講じることなく見過ごしてしまったのです。
世界経済の伸びによる物価上昇などインフレにより原油価格の実質的値下がりを不満に思ったOPECは原油の公示価格引き上げを要求してきたのです。1971年2月14日OPECは国際石油資本との原油価格交渉が妥結しバーレル当たり35セントの値上げが実施されました。
1972年1月20日公示価格の8.49%を値上げ、翌1973年6月、それまでの公示価格を2ドル50セントを11.9%値上げすることと公示価格スライド制導入を決定しました。世界のインフレ率1%上昇する度に公示価格が引き上げられることになったのです。
1967年6月の第三次中東戦争以来の大規模な戦争です。
10月17日OAPEC(アラブ石油輸出機構)は原油公示価格を21.22%値上げするという決定とともに次の声明文を発表しました。
第2にイスラエルを支持する国への石油輸出を禁止する
というものでした。
本当に「狼がやってきた」のです。アラブの石油輸出停止措置は石油不足を引き起こし、パニックとなり、さらに石油不足はひどくなるとともに石油価格も高騰していきました。
各国が石油備蓄を増加し個々にアラブ側と交渉を始めたり、イラン産石油などは競売にかけられたからです。石油輸出停止措置に対するヨーロッパの反応は狂乱的なもので状況を改善するどころではありませんでした。
安い石油を湯水のごとく消費していた西側先進国や日本は経済に大打撃を受け、第一次石油危機(第一次石油ショック)となりました。
日本では物価高騰し、需給バランスが崩れ、トイレットペーパーなど買い占め騒動が起こりました。そして、石油・電力の消費の10%削減、日曜ドライブの自粛、給油所の日曜自粛などが実施され、生活関連物資の高騰を防止する国民生活安定緊急措置法が制定されました。
フランスではアルジェリアからの石油を確保していたにもかかわらず厳しいエネルギー規制を実施したのです。ベルギーでは日曜日の自動車使用を禁止しました。オランダはイスラエルを支持していると断定されヨーロッパで最大の標的になりました。営業用以外の自動車の交通は完全に禁止され、燃料は配給制になりました。
エイキンズの論文「石油危機-今度こそ狼が出た」など迫りくる石油危機への警告に各国政府は信頼していなかったのは石油会社が出していた情報を信頼していたからです。
また、石油危機の数年前から石油価格を他の原材料と同様に適正に値上げを認めていたらこれほど大きなパニックになっていなかったかもしれません。
1971年初めほとんどの原材料は3~4倍になっていました。これらは徐々に値上げしていったのに対し石油はこの危機で数カ月の間に4倍値上がりし、一挙に10ドル原油の時代に突入してしまったからです。