雷神に姿を変えた学問の神「菅原道真」

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OB会報の編集作業を今日もやっています。各文章と写真をWordに貼り付ける作業を延々と8日間行い、校正ヶ所を修正し、66ページの文書になりました。

 

2月1日の編集会議での指摘事項の修正や三次校正などがまだ残っていますが、ようやく山場を切り抜けた感じがします。

 

ただ、従来の手作業によるきめ細かい罫線書式をWordの5段組の機能の罫線を使い簡単な方法に変更していますので編集会議で了解を取れなければ、戻す作業もあります。

 

編集作業とは全然関係ないですが、数年前、そのとき歴史は動いたというNHKの番組で菅原道真について放映されました。

 

平安時代(877年)菅原道真は33歳にして文章博士(もんじょうはかせ)(詩文や歴史を研究・教授する学者としての官職)に任命されました。

 

中央の貴族と地方の豪族の私利私欲のために農民に対税金をかけている現状に道真は政治改革を朝廷に提言しましたが、藤原時平の陰謀に会い57歳のとき太宰府に流され、2年後の903年に失意のまま亡くなってしまいました。

 

道真が亡くなった後、京の都では天変地異が相次ぎ、清涼殿への落雷で大納言の藤原清貴が亡くなったことから、道真の怨霊が雷神(火雷天神)なって現れたと言われるようになり、天神さまと呼ばれたり、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から菅原神社を天満宮と呼ばれるようになりました。

 

琳派風神雷神図屏風の雷神は京都の北野天満宮にある北野天神縁起絵巻の清涼殿落雷の場面で黒雲にのっている雷神の姿を参考にしたと言われています。

 

参考「天才絵師3人が描いた国宝「風神雷神図屏風」の比較展示」