石油

ロシアのウクライナ侵略から1週間経つが攻撃を止めずエネルギー供給停止懸念でWTI原油価格が110.60ドル/bblに高騰

原油先物価格推移グラフ 2022年2月24日(木) 中東原油先物価格 北海原油先物価格 WTI原油先物価格 93.08ドル/bbl 96.84ドル/bbl 92.10ドル/bbl 2022年3月01日(火) 中東原油先物価格 北海原油先物価格 WTI原油先物価格…

日経平均株価バブル崩壊後初の3万円台に回復、しかし、再び失われた20年が来ることを恐れます。

日経平均株価-WTI原油価格-為替グラフ ドバイ-北海-WTI原油価格グラフ 2021年2月15日から昨日(2月18日)まで4日連続で日経平均株価が30年前のバブル期の3万円台に並ぶ高値となりました。 【バブル景気絶頂期】 日付 日経平均株価 1989年…

サウジ・アラムコ石油タンク攻撃事件により原油価格は?

2008-2019原油価格推移グラフ 2019年9月14日、サウジアラビアアブカイク油田にあるSaudi・ARAMCO製油所の石油施設が攻撃を受け爆発炎上しました。 今回の攻撃事件でSaudi・ARAMCOの事件(1)は3回になりました。 サウジアラビアはイエメンの反政府武…

2015年3月13日の日経平均株価が震災直後より10,649円値上がり19,254.25円に

前日のアメリカ市場の株高や国内企業の業績改善期待に支えられ、日経平均株価の終値が1万9,254.25円と15年ぶりに1万9,000円の大台を回復したと日経Web刊が伝えていました。 震災直後(2011年3月15日)の8,605.15円より、1万649.10円と1万円超値上がりしまし…

原油価格下落・円安で赤字のエネルギー関連企業と黒字のトヨタ自動車

資源エネルギー庁はレギュラーガソリンの平均価格(2月2日時点、1Lあたり)が134.3円(前週より1.9円安)と2012年12月下旬以来、28週連続で下落と発表した。 中国、欧州の景気減速に伴う原油需要の落ち込みと米国でシェールガス開発が進み、世界最大の石油消…

リーマンショック以来、5年ぶりに日本経済は上向いてきているが・・・・。

2007.11.12頃 半年後の世界的不況の兆しが見えた時期の原油価格 yaseta.hateblo.jp yaseta.hateblo.jp 2008.9.15 金融大手リーマンブラザーズ破綻から始まった世界的大不況yaseta.hateblo.jp 2011.3.9 東北地方大震災直前の原油価格 不況からようやく脱しか…

2008年3月から2011年3月までの原油価格推移とガソリン価格について

2011年1月末、チュニジアで反政府デモにより強権体制が崩壊したことに続き、エジプトでムバラク大統領の退陣を求める反体制デモが行われ、2月10日遂に辞任に追い込まれ、ムバラク政権は崩壊しました。 さらに、リビア、サウジ、バーレーン、イエーメンに飛び…

石油の歴史No62【第二次石油危機の経済不況を撥ね除けた日本の工業品輸出増】

イラン・イラク戦争 yaseta.hateblo.jp 日本は1971年の1ドル360円の固定相場制から変動相場制に移行して9年目になり、1ドル217円になっていましたが1971年変動相場制に移行した年の為替は335円/ドル(原油価格は2.3ドル/バレル)で…

石油の歴史No61【1984年、セブンシスターズの一つ「ガルフ」の消滅】

1975年、セブンシスターズの一つで国際的に認知度が高いガルフは自社の油田や施設をクウェート政府によって国有化され、虎の子である石油の供給元を失います。ガルフはアメリカ国内を含む諸外国に油田を求めて巨額の開発資金を投資しますが、新しい油田…

石油の歴史No60【1980年代、新たな価値観で始まった石油企業間の買収・乗っ取り合戦】

1981年ごろから、石油の過剰供給と価格の低迷が産業の流通経路の変化をもたらし、アメリカでは石油も規制が完全撤廃され、競争原理がいっそう働くようになりました。 当時、アメリカでは年金や投資信託資金や企業の資金を運用する機関投資家はアメリカ主…

世界中の株価が下落し、金融危機に(データ更新)

2008年日経&ダウ平均株価グラフ アメリカの住宅価格が下落し、低所得者向け高金利住宅ローンであるサブプライムローンが焦げ付き、約1年前、住宅供給会社の破綻が始まり、その後、証券会社はじめとする金融会社が次々と損失を発表し、株価を徐々に下落させ…

石油の歴史No59【石油の先物取引開始と世界経済状況を表す指標となったWTI原油価格】

イラン革命、イラン・イラク戦争の影響で石油価格の高騰が続くと思われた1979年~1980年初めにかけて、売り手市場で買い手は契約保証のためさらにプレミアムを払わなければなりませんでした。 しかし、1982年頃になると市場は変化してきます。ア…

石油の歴史No58【第二次オイルショック後弱体化したOPECの石油価格決定力】

1979年のイラン革命に続き、翌1980年に始まったイラン・イラク戦争は8年間も続き、両国に獏大な損害を残し、1988年停戦しました。 1970年後半から1980年後半までの石油関連の流れの一部を辿ってみます。 1979年のイラン革命に続き…

石油の歴史No57【イランの米大使館人質事件とイラン・イラク戦争】

1979年2月イスラム教シーア派最高指導者アヤトラ・ホメイニ師の帰国でパーレビ国王に任命されたバクチアル政権は崩壊し、バザルガン暫定内閣が誕生しました。 3月30日行われた国民投票の結果、賛成98%でイランはイスラム共和制移行が決定しました…

石油の歴史No56【イラン革命とホメイニ師の凱旋】

1970年代の中頃、イランでは石油収入が増えているにもかかわらずパーレビ国王の独裁と近代化政策への過度の投資と政府の腐敗が経済的混乱、社会的混乱を招いていました。 yaseta.hateblo.jp 地方から都市への人口流入が都市の過密化を招くとともに、農業…

石油の歴史No55【OPEC以外の油田開発を目指した各国企業】

アメリカでは1973年の第一次オイルショック後、メジャーは絶え間ない攻撃に晒されました。メジャーの利益は1972年までの5年間、増加する需要にもかかわらず1972年69億ドルで、ほとんど増加しなかったのに対し、1973年117億ドル、197…

石油の歴史No54【人類の危機を警告したローマクラブの「成長の限界」】

【石油過剰供給時代の終焉】1970年前半になると、世界の石油需要が供給を上回り出し、これまで20年近い供給過剰が続いた時代は終わりを告げることになります。 1960年代後半からから1970年代前半にかけ先進工業国は安い石油に支えられ高度経済…

石油の歴史No53【アラスカ油田開発とパイプライン建設の凍結】

1923年アメリカ海軍はアラスカの北極海沿岸に艦船の石油補給地を作ったのがきっかけで人がアラスカを訪れるようになり、山師たちも石油を求めてアラスカに来ましたが発見できずいつしか忘れさられました。 33年後の1956年のスエズ危機の時、シェル…

三菱化学エチレンプラントの火災事故について

12月21日(金)午前11時頃に茨城県神栖市の三菱化学鹿島事業所第2エチレンプラントの分解炉付近で火災が発生し、協力会社従業員の方々4名が亡くなるという痛ましい事故がありました。 亡くなった方々には心からお悔やみ申し上げます。 三菱化学の発…

石油の歴史No52【産油国が完全勝利したメジャーとの利権争奪戦】

【石油利権】 yaseta.hateblo.jp 【イラン】 メジャーは中東地域の油田を独占していましたが1952年のイランモサデク首相のアングロイラニアン国有化をきっかけに次第に国有化され油田や経営権を失っていきます。 石油の歴史No35【イランのアングロイラニ…

原油価格推移グラフの作成と価格高騰の原因について

1972~2007年原油価格グラフ 1999~2007年四半期別原油価格グラフ ニューヨーク原油先物取引市場(NYMEX)のテキサス産軽質油(WTI)の原油年平均価格は史上最高の2006年1バレル(159リットル)66.22ドルあったがいったん2007年1…

原油価格の高騰に伴うガソリン・灯油価格の値上げ

11月1日~2日の各テレビや新聞はニューヨーク原油先物取引市場のテキサス産軽質油(WTI)が2007年1月の今年最安値の1バレル(159リットル)50.48ドルから上がり出し10月31日史上最高値の96.24ドルを記録したと伝えました。 今…

石油の歴史No51【第一次石油危機とウォーターゲート事件】

1973年10月6日の第四次中東戦争とその後のOAPEC(アラブ石油輸出機構)による原油生産の削減、ヨーロッパや日本に対する石油輸出削減、そして、イスラエル支援国とみなされたアメリカとオランダへの石油の全面輸出禁止は全世界に石油不足の不安…

石油の歴史No50【第四次中東戦争と第一次石油危機】

1960年代から先進国の経済の著しい伸びに対応し石油も激増し1970年初めは石油の供給に緊迫感が漂い始めました。 1973年初め、アメリカ国務省の石油専門家の一人で外務担当官ジェームズ・エイキンズはエネルギー問題報告書で「遅くとも1975年…

石油の歴史No49【石油利権システムの改定版パーティシペーション】

アメリカを除いた産油国では1901年ペルシャで石油事業を始めた時、ノックス・ダーシーが使った利権システムは1970年代初頭まで成り立っていました。 yaseta.hateblo.jp この利権システムでは石油会社は産油国と契約を結び土地を借り受けますとこの土…

石油の歴史No48【メジャーから産油国に転換した石油の支配力】

【米英の影響力の低下】 1960年代後半になると中東における米英二大国の影響力にかげりが見えてきました。アメリカはベトナム戦争の泥沼に陥っており、国内では反戦運動が起こり、国外の発展途上国では帝国主義、新植民地主義、経済搾取を叫び反米運動が…

石油の歴史No47【イスラエルにパレスチナを奪われた六日戦争】

1956年10月エジプトのナセル大統領によるスエズ運河国有化をきっかけにスエズ動乱が発生し、結果的に国有化に成功し、イギリスの影響力と威信を低下させ、ナセルの民族主義が勝利したと中東諸国に受け入れられました。 スエズ動乱 yaseta.hateblo.jp …

石油の歴史No46【1950年、60年代の日本の若者が憧れたアメリカの文化】

アメリカでは1948年~1972年までに石油消費は日量580万バーレルから1640万バーレルと3倍増加しましたが、西ヨーロッパでは97万バーレルから1410万バーレルと15倍に増加しました。日本の場合は3万バーレルから440万バーレルの1…

石油の歴史No45【結束力に欠けるOPECだが増加する加盟国】

1960年9月14日産油国の会合は終わり、国際石油会社と共同で対決する組織OPEC(Organization of Petroleum Exporting Countries、石油輸出国機構)が創設されましたが、当初のOPECは結束力に欠け、足並みが揃わず成果がでませんでした。 19…

石油の歴史No44【OPEC設立の立役者「ベネズエラのアルファンソとサウジのタリキ」】

これまで産油国は石油に関する主権を取り戻すために一国の利己の利益だけで散発的にセブンシスター等のメジャーに挑戦しましたが巨大資本のメジャーに対しては無力でした。これまでバラバラだった産油国を団結させ組織的にメジャーに対抗するたには、2人の…