芸術

令和元年9月の絵 「風神・雷神 像」と「風神・雷神 図屏風」

彫刻 風神・雷神像 ・作者不明 (鎌倉時代) 京都妙法院三十三間堂 屏風絵 風神・雷神図屏風(びょうぶ) ・俵屋宗達(江戸時代初期17世紀前半)京都建仁寺が所蔵 ・尾形光琳(江戸時代前期18世紀初)東京国立博物館所蔵 ・酒井抱一(江戸時代後期182…

7月の絵「大威徳明王坐像と大日如来坐像」

日本彫刻発展の基礎を築いた仏師「運慶一族」 【大威徳明王坐像】 1998年(平成10年)横浜市の称名寺の光明院で高さ21.1cm木造の「仏像大威徳明王坐像」(だいいとくみょうおうざぞう)が発見されました。 2007年、中世歴史博物館「神奈川県…

元号が一時断絶した原因を探ってみる

2019年5月1日徳仁(なるひと)皇太子が第126代天皇に即位され、元号が令和となり、新しい時代が始まりました。初代天皇は縄文時代末期の紀元前660年に即位した神武天皇であると日本書紀に記されており、それから2019年までの2679年間で…

子供時代のふるさとのある夏の日の川をイメージした絵

60数年前のふるさと山形県小国町の町中を流れる横川は水量も豊富で泳ぎができ、カジカ(魚)やヒメマスが獲れました。 飯豊山麓から流れる横川は下流4km先で飯豊山から流れる玉川と朝日山麓から流れる川が合流し、荒川となり、新潟県との県境には旧(株)小…

平時忠の末裔「時国家」を訪ねて

小さい頃から母は平時忠の子孫である能登の時国家とは関係あるということを折に触れ、話してくれましたが知識も乏しく、平時忠がどれほどの人物であるかなどほとんど知らず、聞き流していました。3年前、野田市報に載った「平家物語を楽しむ会」の入会募集…

12月の絵「平家物語 建礼門院の死去、六代の斬られ、それよりしてこそ、平家の子孫はながくたえにけれ」

yaseta.hateblo.jp 1185年3月24日壇ノ浦の合戦で平氏は敗れ、多くの平家一門は入水し、最後を遂げる。入水したものの引き上げられた建礼門院、生き残った宗盛と清宗父子、平時忠・時実(ときざね)父子および女房・僧侶など多くの非戦闘員は捕らわれの身とな…

11月の絵「平家物語 壇ノ浦合戦で平氏壊滅」

yaseta.hateblo.jp 1185年(元歴2年、文治元年)2月21日の屋島の合戦で敗れた平宗盛を総大将とする平氏本軍は平知盛(とももり)の陣がある長門の国の彦島(関門海峡)に退却した。 平氏は瀬戸内海各地の水軍を持ち、淡路・讃岐から長門・北九州までの制海権…

10月の絵「平家物語 屋島の合戦と那須与一の扇の的」

yaseta.hateblo.jp 1184年(寿永3年、元歴元年)2月7日の一の谷の合戦で大敗北に帰した平氏は舟で屋島に落ち延びたが水軍を持たない源氏は追撃することができなかった。 そこで、頼朝は都周辺、山陽・九州の掃討に努め陸地の勢力確保を図るため、平氏の支配…

9月の絵「平家物語 義経軍による鵯越(ひよどりごえ)坂落としの奇襲」

yaseta.hateblo.jp 平氏が都落ちした1183年(寿永2年)7月25日の3日後の7月28日、木曽義仲と源行家は南北二手に分かれて京都に入った。 比叡山から御所に戻った後白河法皇は平氏に安徳天皇と三種の神器を返すよう求めたが拒否されたため8月20日、安徳天皇の…

8月の絵「平家物語 京に攻め上る木曽義仲と平家一門の都落ち」

yaseta.hateblo.jp 1181年閏2月4日の清盛亡き後、嫡男の宗盛は平氏のリーダーになったものの、後白河法皇を制しながら源氏に対抗するという難題を解決し、平家一門だけでなく政治の安定化を図っていくというリーダーとしての素養に欠けていた。宗盛は策略家…

7月の絵「平家物語 海外貿易と平家安定の夢半ばで逝った平清盛」

yaseta.hateblo.jp 1181年、年明けて早々、鎮西(九州)の有力武士が叛乱を起こし、伊予、阿波などで源氏に呼応した武士が蜂起、紀伊熊野では平氏の発祥の地、伊勢に乱入事件があり、各地で内乱が起こりました。 平氏はこれに対し、正月16日、畿内(都の領域…

6月の絵「平家物語 福原から京への都帰りと奈良炎上」

yaseta.hateblo.jp yaseta.hateblo.jp 1180年2月の安徳天皇即位とともに平家の栄華がさらに続くかと思われたがこの時点を境に平家は急速に衰退に転じていきます。 1180年4月28日、源頼政が「平家打倒すべし」の以仁王(もちひとおう)令旨を諸国の源氏に伝え…

5月の絵「平家物語 平清盛のクーデターと以仁王(もちひとおう)の謀反」

yaseta.hateblo.jp 鹿ヶ谷事件の翌年の1178年(治承2年)平清盛の娘で高倉天皇の中宮「徳子(とくし)」が懐妊し、11月に言仁親王(ときひと、後の安徳天皇)が誕生しました。 平家にとってさらなる栄華が期待され喜びに沸きかえっていました。しかしながら…

4月の絵「平家物語 平家の横暴と鹿ヶ谷事件)」

yaseta.hateblo.jp 平清盛は保元・平治の乱の経て次々と官職昇進をなし、1167年、清盛は従一位・太政大臣になり、やがて息子の重盛は左大将、宗盛は右大将になります。そして平家一門40人以上が公卿・殿上人になり、高位高官を独占、清盛の娘たちも高倉天皇…

3月の絵「平家物語 公家社会の終焉と武家社会のはじまり~平治の乱~」)

yaseta.hateblo.jp 1156年の保元の乱で後白河天皇方につき実権を握った信西は戦後処理で全230巻におよぶ「法曹類林」という法律書を整備編集した実績を背景にして、崇徳上皇(後白河天皇の兄)の遠流し、過去200年間行われなかった死刑を復活させ、源為義(…

2月の絵「平家物語 保元の乱で歴史の表舞台に躍り出た平清盛と源義朝」

yaseta.hateblo.jp 平家物語(*1)ではこれまで藤原一門が支配していた政治権力を平家一門が占めることになったいきさつについて、最初の2つの項で一之巻の「殿上の闇討」と「鱸(すずき)」で簡単に述べているだけでした。 まず、平清盛や源義朝が歴史の…

1月の絵「平家物語 平清盛吾身の栄華」

2010年のマンガ絵12ヵ月シリーズは「平家物語」を題材にして絵を描こうと思います。 平家物語と言えば、「祇園精舎の鐘の声・・・・・」で始まる文章はあまりにも有名です。(この文章の終わりに平家物語「祇園精舎」の冒頭部分の現代語訳を載せました。) この文…

12月の模写絵「広重の東海道五十三次之内 三条大橋」

東海道五十三次の終着地、京都「三条大橋」は現在の京都市東山区にあります。 53番目の宿場町「大津」から逢坂山を越えると、東海道と京都を迂回して伏見・大阪に向かう伏見街道の分岐点の山科追分に着きます。その右側の道を行くと三条大橋に着きます。 当…

11月の模写絵「広重の東海道五十三次之内 草津」

[東海道五十三次] ブログ村キーワード 「草津」は東海道五十三次の52番目の宿場町で、現在は滋賀県草津市です。 草津は東海道と中仙道の合流点で交通量が多かったそうです。53番目の宿場町「大津」へ行く道は瀬田経由の道と矢橋経由の道があります。二人連れ…

10月の模写絵「広重の東海道五十三次之内 石部」

[東海道五十三次] ブログ村キーワード 「石部」は東海道五十三次の51番目の宿場町で、現在は滋賀県湖南市です。 伊勢参りの一行が踊りながら歩いており、その様子を通りがかった旅人が眺めています。昔も路上パーフォーマンスがあったようです。京都まであと…

9月の模写絵「広重の東海道五十三次之内 関」

[東海道五十三次] ブログ村キーワード 「関」は東海道五十三次の47番目の宿場町で、現在は三重県亀山市(2005年1月、関町が合併し、亀山市となった)です。 東海道五十三次のルートは現在の鉄道の東海道本線沿いと思っていましたが8月の模写絵「宮」を描いた…

8月の模写絵「広重の東海道五十三次之内 宮」

[東海道五十三次] ブログ村キーワード 東海道五十三次の41番目の宿場「宮」は熱田神宮の門前町でもあり、現在の名古屋市熱田区に当たります。 熱田神宮では毎年5月5日に馬の搭(うまのとう)と呼ばれた行事がありました。近隣の村人達が飾り立てた「本馬」と…

7月の模写絵「広重の東海道五十三次之内鳴海」

鳴海は40番目の宿場で現在の名古屋市緑区の名鉄名古屋本線の鳴海駅あたりのようです。 鳴海は有松絞りと呼ばれる木綿の風呂敷や浴衣の絞り染めが有名です。 版画は有松絞りの店と通りには籠に乗った女性、馬に乗った女性、歩きの女性が描かれていますが女性…

6月の模写絵「広重の東海道五十三次之内御油」

御油は35番目の宿場で現在の愛知県豊川市御油町です。 東海道五十三次之内浜松(5月の絵) yaseta.hateblo.jp

5月の模写絵「広重の東海道五十三次之内浜松」

広重の東海道五十三次の版画は「冬枯れの浜松」で焚き火にあたりながら一服している風景です。 模写絵は駕籠かきや馬子が新緑の季節に焚き火をしているのは暖をとるためでなく、一服するためとして描きました。 5月1日、夜9時のフジテレビで、昭和40年…

奈良興福寺の柔和な阿修羅像と他寺院に見られる怒りの阿修羅像の違い

野田市南図書館の雑誌棚の雑誌の表紙に見たことのある仏像の絵が載っているのに気がついて見てみました。 雑誌は芸術新潮3月号で興福寺創建1300年を記念して開かれる「阿修羅展」の特集でした。 【2009年3月31日(火)~6月7日(日)、上野公園の東京国立博物館…

4月の模写絵「広重の東海道五十三次之内鞠子」

4月は東海道五十三次の20番目の宿場「鞠子宿」です。現在の静岡市駿河区丸子で日本橋から約46里(184km)の道のりです。 鞠子といえば「とろろ汁」が有名です。 東海道五十三次之内戸塚(3月の絵) yaseta.hateblo.jp

イブ・サンローラン所有の清朝ブロンズ像を39億円で落札した中国人が支払いを拒否

[イブサンローラン] ブログ村キーワード 世界的ブランド「イブ・サンローラン」を創り上げ、巨万の富を稼いだ有名なフランスのファッションデザイナー「イブ・サンローラン」氏が2008年6月1日に逝去しました。 彼の膨大なコレクションは、ピエール・ベ…

3月の模写絵「広重の東海道五十三次之内箱根」

3月は東海道五十三次のなかで最大の難所の箱根です。明治になって、箱根峠は「箱根八里」に歌われたように紀元前200年頃、劉邦が守備した要害の関所「函谷関」にも勝るとも劣らない「天下の険」と言われました。 広重の版画と広重が参考にした(模倣した…

2月の模写絵「広重の東海道五十三次之内戸塚」

2月は東海道五十三次の戸塚宿です。現在の横浜市戸塚区で日本橋から約42km(約10里半、徒歩約10時間半)の道のりです。 絵の中の店の看板に「こめや」と書いていますが米屋ではなく茶店だと思います。 日本橋(1月の絵)yaseta.hateblo.jp