202年前の今日、1805年10月21日はスペイン南部のトラファルガー岬沖でイギリス艦隊とフランス・スペイン連合艦隊との間で海戦を繰り広げ、ネルソン提督率いるイギリス艦隊が大勝利を遂げた日です。
イギリスは1793年以来ナポレオン率いるフランス軍と戦争をしており、1802年一時休戦したが、1年後、再び戦争が始まりました。そして、ナポレオンは1805年までにイギリスに侵攻する準備をしていました。
他にも、壊血病やマラリアや結核にかかっていた疑いもあるといわれました。しかし、彼の指揮能力の高さと勇敢さで多くの海戦の勝利勝ち取り、その功績によりナイトの爵位を授与され、部下や国民から尊敬を得ていました。
1805年3月ネルソンの英国艦隊はビルヌーブ提督率いるフランス艦隊とカディスに拠点を置くスペイン艦隊をカリブ海まで追跡しますが取り逃がしました。フランスはヨーロッパからネルソンの注意をそらし、ナポレオンの遠征軍がイギリス侵攻をしやすくするための陽動作戦だったのです。
そして10年近く続いてきた戦争の最終章がトラファルガー海戦でした。
風上側の艦隊の先頭を走るネルソンのビクトリー号の乗り組み員は820人、水兵と海兵隊は665名そのうち31人はまだ少年だったそうです。
ネルソンのビクトリー号は進路を変え、標的ビルヌーブが乗るビュサントール号の背後にまわり、カロネード砲を発射し船尾を吹き飛ばしました。フランス側1発の砲弾に対し、イギリス側は2~3発発射したといわれます。10分間の一斉射撃が終わったとき、ビュサントールの乗組員の四分の一の200人が戦闘不能になりました。
戦闘開始から1時間余りたった午後1時15分、フランス・スペインの連合艦隊のルドゥターブル号の狙撃兵の一人が撃った銃弾がネルソンの左肩の最上部から下に当たり肋骨2本を砕き、肺に穴を開け、肺動脈を切断、背骨にあたりました。そして、午後4時30分ネルソンは息をひきとりました。
トラファルガー海戦の敗北はスペインにとって南米に対する帝国支配の崩壊の始まりになりました。
【参考】
(1)「トラファルガー海戦」、NATIONAL GEOGRAPHIC、2005年10月号、日経ナショナルジフグラフィック社
(1)「トラファルガー海戦」、NATIONAL GEOGRAPHIC、2005年10月号、日経ナショナルジフグラフィック社