石油の歴史No54【人類の危機を警告したローマクラブの「成長の限界」】

イメージ 1

【石油過剰供給時代の終焉】
1970年前半になると、世界の石油需要が供給を上回り出し、これまで20年近い供給過剰が続いた時代は終わりを告げることになります。

 

1960年代後半からから1970年代前半にかけ先進工業国は安い石油に支えられ高度経済成長を続けました。1960年自由世界の石油需要量は1日約1900万バーレルだったのが1972年には4400万バーレルを超しました。

 

特に、1950年代から増加をしているアメリカのガソリン消費量はさらに増加します。自動車が増加したことも理由のひとつですが、エアコンや音響装置など自動車にサービス装備が増えたことにより重量が増え、燃費が悪くなりましたが当時、石油価格が安かったため燃費を上げることにほとんど考慮されなかったこともガソリン消費量増加の一因でした。

 

1960年頃からの高まる石油需要にアメリカ国内の生産量も増加の一途をたどり、1971年に25年間、課せられていた生産規制や輸入規制は外されます。その頃、アメリカの国内油田生産量はピークを迎え、これ以後、生産量は徐々に減少していき、輸入量が増加していきます。

 

石油の歴史No46【1950年、60年代のアメリカの文化】

yaseta.hateblo.jp

アメリカの生産余力の消滅は西側諸国に衝撃をもたらしました。不安定な中東原油の緩衝剤として重要な役割を果たしていたアメリカの石油が使えなくなることは戦略上の弱みを持つことになるからです。というのも、この10年間で増加した世界の石油需要のうちその三分の二が中東で生産されていた石油が消費されていたからです。

 

【経済成長の負の遺産「環境問題」】
石油の供給過剰時代が終わり、産油国有利になりつつある状況に対し、先進工業国ではもうひとつの重要な変化が起きていました。石油の需要拡大とともにもたらされた高度経済成長によるひずみで大気や水質が汚染される公害問題です。

 

公害による被害者と企業や行政との訴訟が頻発し、やがて一般市民も関心を寄せることにより社会問題、政治問題になっていきました。

 

特に、1969年1月カルフォルニアのサンタ・バーバラ沖で海底油田の掘削作業中、地下の地層の裂け目から原油が漏れ、海岸沿い56km(30マイル)にわたって流れ、漁業や生物に大きな被害をもたらした事故、翌1970年2月にルイジアナ沖で石油坑井から原油の海洋流出した事故などは多くの人々に環境保護の必要性を認識させることになりました。

 

そんな中、1972年出版した一冊の本-ローマクラブ“人類の危機”レポート-「成長の限界」は世界中に大きな反響を呼びました。

 

いろいろな国際会議の席上で人類が地球上でこのままの勢いで経済成長を続け、資源を消費し、環境が汚染されていった場合、地球は人類をいつまで生かしておいてくれるだろうかという議論から各国の科学者、経済学者、教育者、経営者、プランナーが集まり、1970年に国際的な団体「ローマ・クラブ」が設立されました。

 

そしてMITのメドウズ助教授を中心としたグループが人口、工業化、汚染、食料生産、エネルギー消費、石油資源の枯渇の分野に分け需給・供給、生産・消費、数量の増減など膨大な項目をシステムダイナミックス法による数式化した世界モデルを構築し、いろいろな条件を与えコンピュータシュミレーションを繰り返し、それぞれの分野項目でその影響を時系列にグラフで表し、予測分析したのが人類への警告書「成長の限界」でした。

 

レポートではこのまま手を打たなければ、工業化社会は行き詰まり、100年後にはこの地球の成長は限界に達すると警告しました。

 

現在、地球温暖化対策が進まず大きな問題になっていますが35年前のこのレポートの中では資源の枯渇だけでなく石油などエネルギー消費に伴い発生する二酸化炭素(CO2)が増加する結果、地球温暖化が起こり、地球に大きな影響を与えると警告していました。

 

この数式世界モデルにより各分野での人類の活動が地球にどのように影響を与え、場合により社会や地球の崩壊へたどりかねないと合理的に体系的に説明したことは画期的な成果でした。

 

【追加】
メドウズ助教授は国際会議で発表したときこの世界モデルについて多くの質疑と批判が行われたが本質的な不一致はなかったと述べています。

 

このモデルについて以下のような指摘がありました。
科学技術の進歩の可能性を軽視している。
限られた変数しか取り扱えなく、統合化せざるをえない。
人間を物質的なシステムの中でとらえている。

 

しかし、世界モデルの構築の結果、基本的な仮定を変化させケーススタディができ、その出力(影響)をシュミレート(模擬実験)できることは当時、画期的なことでした。

 

そして、この世界モデルを土台にして多くの研究者が引き継ぎ、発展させて欲しいと述べていました。

 

【参考】
(1)-ローマクラブ「人類の危機」レポート-「成長の限界」、D・H・メドウズ他(著)、大来佐武郎(訳)、ダイヤモンド社、1972年5月
(2)「石油の世紀」、ダニエル・ヤーギン(著)、日高義樹(他訳)、日本放送出版協会、1991年