石油の歴史No49【石油利権システムの改定版パーティシペーション】

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アメリカを除いた産油国では1901年ペルシャで石油事業を始めた時、ノックス・ダーシーが使った利権システムは1970年代初頭まで成り立っていました。

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この利権システムでは石油会社は産油国と契約を結び土地を借り受けますとこの土地の利権所有者である石油会社は石油探鉱から生産までの全ての権利を持つことになります。

 

1971年のテヘラン協定、トリポリ協定後は主導権が産油国側に移り、産油国の長年の夢である利権システムの改定や国有化の機会が巡ってきたのです。

 

1971年以前に利権システムを一方的に接収し、国有化した国は1905年のロシア革命後のロシア、1938年のメキシコ、1951年のイランや1959年のイラクの90%国有化がありました。

 

イランモサデク首相やイラクのカセム首相の国有化にみられたように国有化は国家やリーダーの威信を回復するもののメジャーが支配する市場からボイコットされ大幅な収入減を招くことにました。

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このような例を勘案して完全国有化と利権システムの中間案として考え出されたのが「パーティシペーション」即ち、交渉によって獲得される利権の部分的所有権でした。

 

 

サウジのヤマニ石油相は産油国が対立を招く一方的な国有化よりもパーティシペーションのほうが得策であると1969年から説いており、産油国が主導権を握った1971年においても同様であると主張しました。

 

多くの産油国が国有化すると油田を持つ産油国は輸出先を求め、お互い競争をすることになり、逆にメジャーなどは販売市場で利益を求め、安い石油を手に入れようと動きます。

 

また、産油国同士の生産競争も起こり、価格下落を招くことになり、価格下落による収入減を防ぐため、大量の石油を市場に出すことになり、ますます価格下落を助長することになるというわけです。

 

しかし、アルジェリアはフランス系石油会社の所有権の51%を強制的にとりあげ、ベネズエラは利権協定が1980年代に切れると同時に国有化になる法律を成立させました。

 

1971年12月リビアカダフィはイギリスのBPを一方的に国有化し、1972年6月、イラクもただひとつ残っていたイラク石油のキルクーク油田の利権を一方的に国有化しメジャーとの対立が深まりました。

 

一方、1972年10月ヤマニ石油相はサウジアラビアとメジャー間のパーティシペーション協定の調印に成功しました。内容は産油国が即時、25%のパーティシペーションを獲得できること、以後段階的に率を変更でき、1983年の最終までに51%の利権を所有するというものでこの条件はOPEC加盟国すべても合意したものでした。

 

イランのシャー(パーレビ国王)はコンソーシアムからの利益配分率を55%に改定させ協調路線をとっていましたが石油生産の操業はイラン国営石油(NIOC)でなくコンソーシアムが行っていました。

 

シャーはコンソーシアムを解散させ、新たにNIOCが指名し再契約させる形でNIOCが操業権を獲得しました。産油国側が石油生産活動の主導権を公に認めさせたことは世界で初めての出来事でした。

 

しかし、リビアカダフィはパーテシペーションに目を向けることなく、イタリア国営石油公社ENIの利権51%を一方的に接収し国営化し、その後もハマーのオキシデンタルなどリビアで操業している会社を次々と国有化していきました。

 

【蛇足】
カダフィ大佐は反イスラエル、反シオニズム、反西欧を掲げ、石油からの収入を背景に日本赤軍やアラブのテロリストをかくまい、資金援助しているといわれるようになります。

 

後の1986年4月2日にギリシャ上空を飛行中のアメリカトランスワールド航空(TWA)旅客機の機内で爆弾テロが起こり、乗客4名死亡、9人が負傷しましたがアラブ革命細胞と名乗る組織が犯行声明をだしました。同時に西ベルリンのディスコで爆弾テロが起こり2名死亡、多数の重軽傷者をだしました。死亡者の一人はアメリカ兵でした。

 

CIAはこれらの事件の背後にカダフィいるという確実な証拠をつかんだと発表しました。そして、時のレーガン大統領はカダフィを「中東の狂犬」と非難し、報復を考えます。

 

4月15日イギリスのアメリカ空軍基地と地中海の第6艦隊から飛び立ったアメリカ軍機がリビアの首都トリポリと第2の都市ベンガジを爆撃しました。

 

トリポリカダフィの住居兼司令部などが空爆のターゲットとなり破壊されました。地下室にいたカダフィは無事でしたが養女が犠牲になりました。

 

その後、カダフィは一定の場所に住まず、十数か所にテントを張り住居を分散し、秘密裏に次々と居住場所を変えるようになりました。
 
【参考】
(1)「石油の世紀」、ダニエル・ヤーギン(著)、日高義樹(他訳)、日本放送出版協会、1991年
(2)「20世紀の全記録(クロニック)」、小松左京堺屋太一立花隆講談社、1987年
(3)「ビートたけし独裁国家で何が悪い!?」、日本テレビ、2007年9月29日9:00放映