石油の歴史No46【1950年、60年代の日本の若者が憧れたアメリカの文化】

イメージ 1

アメリカでは1948年~1972年までに石油消費は日量580万バーレルから1640万バーレルと3倍増加しましたが、西ヨーロッパでは97万バーレルから1410万バーレルと15倍に増加しました。日本の場合は3万バーレルから440万バーレルの137倍と驚くべき増加率を示したのです。

 

アメリカの自動車台数は1949年4500万台でしたが1972年には1億1900万台になり、アメリカ以外の世界の自動車台数は1890万台から1億6100万台と大きく伸びました。
1955年日本の自動車生産台数は6万9000台でしたが、13年後の1963年には410万台になり、自動車生産が拡大していきましたが日本の自動車輸出ブームはまだ始まっていませんでした。

 

自動車を初めとする工業製品は販売の増加とともに大量生産が始まり、工場の燃料としての石油、ガソリン、灯油、軽油の原料としての石油、プラスチックはじめとするさまざまな石油化学製品としての石油は増加の一途をたどっていました。

 

産油国は石油収入を増やそうと石油利権を与えた石油会社に対し、生産を拡大するよう圧力を加え、石油会社は新市場に対し、猛烈な売り込みをかけたからです。

 

1950年代から1960年代は石油価格は大幅に低下し需要は増々拡大していきました。先進諸国は経済成長と工業化の拡大のため石油利用の推進を図りましたが、石油需要が拡大したのは価格だけではありません。

 

イギリスは1950年中頃、煤煙による大気汚染や呼吸障害などを引き起こす訴えが続発し、石炭より安く、環境に良い石油に1958年以降より切り替えが始まりました。1960年になるとフランス、ドイツが石油に切り替えを始めました。日本においても1960年始め、政府も企業も石油価格が安く、また炭鉱の労働争議による経済損失は避けられると石炭から石油に転換すべきと開始しました。

 

アメリカの豊富な石油はアメリカの生活を次々と変化させていき、その生活スタイルに全世界の人々は憧れをいだきました。第二次世界大戦後から1960年代まではアメリカの全盛時代といっても過言ではありません。

 

戦後、まもなく不動産業のレベット一族がニューヨークの東25マイル(40km)ロングアイランドのハンプステッドに4000エーカー(4km×4km)の土地をブルドーザーでならし、区画ごと、りんごや桜や常緑樹を植え、住宅地域を開発し、1万7400戸の住宅をつくりレベットタウンと名付けました。そして一戸あたり、7990ドルから9500ドルで販売され、8万2000人が暮らすようになりました。

 

このレベットタウンが戦後初の郊外住宅地のモデルとなり、全米に広がり、1976年には郊外地域の人口は都市中心部や農村部より上回るようになりました。

 

急速な経済成長に伴う収入の増加で国民は住宅を買い、電化製品や暖房器具や冷房用エアコンそして自動車を買うようになり、郊外に大型ショッピングセンターが次々とできました。

 

1956年にアイゼンハワー大統領がインターステート・ハイウエイ法案に署名し高速道路建設計画が出来上がり、全長4万2500マイル(6万8000km)の高速道路網が作られることになりました。

 

自動車台数は益々増加しアメリカはドライブイン社会になりました。モーテル、ドライブインレストラン、ドライブインシアターそして1955年シカゴ郊外にマクドナルド一号店ができました。

 

マクドナルド

yaseta.hateblo.jp

毎年、秋に発表される自動車のモデルチェンジは人気がありアメリカの国民的行事の一つになりました。1957年に発表されたテールフィン(車後部のヒレ)の自動車は時速100km程度ではほとんど効果がないと言われたがジェット機のスピードに憧れブームとなりました。

 

日本の60代~80代の人ならば憧れ、懐かしく思い出す数々の作品は1950年から1960年代に作られ、アメリカではテレビや映画や音楽の黄金時代を築きます。テレビでは法廷ドラマ「ペリーメースン」、西部劇「ローハイド」、コメディドラマ「アイラブルーシー」、一流スターが出演するバラエティ番組「エドサリバンショー」がありました。

 

1954年ロックンロール歌手エルビスプレスリーテネシー州メンフィスでデビュー曲「ザッツ・オールライト・ママ」が爆発的ヒットし、全米に広がり一躍スターダムに上りました。
2年後の人気テレビ番組「エドサリバンショー」に出演、全米が釘付けになるほどの人気ぶりでした。

 

yaseta.hateblo.jp

映画は1953年「シェーン」、「ローマの休日」、1950年初め「エデンの東」、「ジャイアンツ」、1959年「リオ・ブラボー」、「ベンハー」、1960年「荒野の七人」1961年「ウエストサイド物語」などがありました。

 

映画「ジャイアンツ」の原作のモデルとなった石油成金
【参考】
(1)「石油の世紀」、ダニエル・ヤーギン(著)、日高義樹(他訳)、日本放送出版協会、1991年
(2)「20世紀の全記録(クロニック)」、小松左京堺屋太一立花隆講談社、1987年