「左兵衛佐(さひょうえのすけ)吉田兼好」は朝廷を早期退職したがそれなりに退職金と年金をもらいました。

朝廷についての語意調査表

鎌倉時代の朝廷と収入】

平安時代中期の朝廷は、首都平安京に国家機関の官庁街「大内裏」とその中心の皇居「内裏」を持ち、国を統治・運営していました。

しかし、鎌倉時代(1192年頃)の朝廷は、武士から政治権力を奪われ、「大内裏」の中の皇居「内裏」は残りましたが、「大宝律令(701年)」や藤原一族繁栄の礎石を築いた藤原不比等(ふひと)編纂の「養老律令(718年)」に基づいて改訂した律令制度や国家機関は、遠く離れた鎌倉の地に移され、大内裏の官庁街の庁舎は空き家となってしまいました。

大内裏と内裏

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鎌倉幕府律令に基づいた二官八省制など機能・組織をそのまま引き継いだのではなく、武士の制度に合わせて改変し、最高機関の執権・連署評定衆からなる「評定会議」、行政の実務を行う政所や軍事・警察を行う「侍所」、訴訟や裁判を行う「問注所」、など幕府が管轄する「場所」に移し換えたのです。

鎌倉時代の概略年表

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二官八省制の組織図

 

四部官制による官職名表

その結果、朝廷は、国の年貢など巨額な財源を失い、平安時代後期の4分の1または5分の1まで激減したといわれています。

 

残された朝廷の収入源

1.朝廷が所有していた各地の荘園からの年貢

2.寺社の保護の見返りとしての寄付

3.朝廷の権威の維持と公家社会の安定策として幕府からの定期的援助

4.朝廷への忠誠心による貴族・武士からの献金など

 

空き家となった大内裏の庁舎だった建物の一部は解体されて他の場所で再利用されましたが多くの建物は放置されて自然消滅したといわれています。

 

朝廷は政治権力を失いましたが、武士政権が確立した後も、天皇は国家の象徴として崇められ、朝廷は権威の源泉として存在し、日本の政治、文化、宗教において重要な役割を果たし続けました。

 

鎌倉時代、朝廷が政権を失った後も、朝廷は外交や律令に基づく官位・官職制度(官僚制度)などを保持しており、殿上人(「正一位上」~「従五位下」)は官人(官僚)でした。ただし、武士は官位・官職制度に組み込まれていないため、執権はじめ国政を担当する上級武士でも官人とは呼ばれませんでした。

 

そして、朝廷には平安時代から律令に基づいた俸禄・退職制度があり、官人(高級貴族、殿上人)に対しては恩賞(退職金)と恩給(年金)が支給されたといいます。

 

【平安・鎌倉貴族はサラリーマンである】

中世ヨーロッパ貴族は自分の領地から年貢を取り立て生計を立てていたのに対し、平安貴族は自身が所有している荘園からの年貢は少なく、朝廷から支給される高額な俸禄(俸給)によって生計を立てていました。

 

平安貴族の俸禄

従って、中世ヨーロッパ貴族が個人事業者とすれば、平安・鎌倉貴族は律令制に基づいて天皇が任命したサラリーマン(官人、官僚)ということになります。

鎌倉時代、朝廷は政治権力を失い財源は激減し、官人の俸禄も低くなりましたが官位・官職制度は維持しました。

吉田兼好は、1301年18歳の時、官位「正六位」、官職「蔵人(くろうど)」を得て後二条天皇の御代の朝廷に出仕し、1307年(24歳)の時、官位「従五位上」、官職「左兵衛佐(すけ)」に昇進しました。

 

1313年(30歳)(推定)の時、兼好は官位 従五位上で早期退職しましたので満額は無いですが、それなりの恩賞(退職金)と恩給(年金)をもらえたと思われます。

 

【語彙】

[蔵人所(くろうどどころ)] 機密文書の記録・管理、天皇からの命令伝達、天皇の身の回りの雑務を行う機関。

蔵人は官位「六位」から始まるが、蔵人にかぎり、殿上を許される。

[別当] 定員一人。蔵人所の総裁。左大臣や右大臣が兼任。

[頭(とう)] 定員二人。蔵人にかぎって、蔵人頭を「くろうどのとう」と頭を「とう」と読む。

他は内蔵頭(くらのかみ)、左馬頭(さまのかみ)など頭を「かみ」と読む。

[頭の中将] 従四位下近衛府の中将と蔵人所の頭を兼任した官人の通称。

例:光源氏のライバル、保元の乱で敗死した藤原頼長

[左兵衛府] 建礼門や建春門など内裏の中郭諸門の警備を担当

[左兵衛佐] (さひょうえのすけ)] 官位は従五位上、官職は次官(すけ)に相当する。

従五位下の恩賞と恩給)】

官位 従五位下の恩賞(退職金)であるが1ランク上の従五位上はこれより上と推定。

土地の場合:約10町歩(現代の約1万坪)

金銭の場合:約10貫文(文永通宝)

恩賞(退職金):約100万円~数億円

年々の恩給(年金):約10万円~数十万円

*文永通宝(ぶんえいつうほう)は鎌倉時代に鋳造された銅銭。

*当時の10貫文は現代の約100万円から数億円に相当すると推定される。

*当時の武士の生活費は現代の約10万円から数10万円程度と推定される。

蔵人所

天皇に近侍し、伝宣(天皇の意志を伝達)・進奏(天皇への申し上げ)・儀式・雑事。

別当は左右大臣が兼任。

*官位 正二位 官職 別当蔵人、四部官制 長官(かみ)

*官位 五位   官職 五位蔵人四部官制 次官(すけ)

*官位 六位   官職 六位蔵人、四部官制 判官(じょう)

近衛府

左近衛府(さこのえふ) : 内裏の内郭諸門の警備

右近衛府(うこのえふ) : 行幸の時に警備

*官位 従三位、  官職 大将(たいしょう)、四部官制 長官(かみ)、

*官位 従四位下、官職 中将、四部官制 次官(すけ)

*官位 正五位下、官職 少将、四部官制 次官(すけ)

*官位 従六位上、官職 将督(しょうげん)、四部官制 判官(じょう)

*官位 従四位下、官職 将曹(しょうそう)、四部官制 主典(さかん)

衛門府

左衛門府(さえもんふ) : 内裏の外郭諸門の警備

右衛門府(うえもんふ) : 行幸の時に先駆を担当

*官位 従四位下、官職 督(かみ)、四部官制 長官(かみ)

*官位 従五位上、官職 佐(すけ)、四部官制 次官(すけ)

*官位 従六位上、官職 大尉(たいじょう)、四部官制 判官(じょう)

*官位 正七位上、官職 少尉(しょうじょう)、四部官制 判官(じょう)

*官位 正八位下、官職 大志(だいさかん)、四部官制 主典(さかん)

*官位 従八位上、官職 少志(しょうさかん)、四部官制 主典(さかん)

兵衛府

左兵衛府(さひょうえふ) : 内裏の中郭諸門の警備

右兵衛府(うひょうえふ) : 儀式の時に儀仗(ぎじょう)を持ち、行幸時に行列の前後を守る。

官位および官職の督(かみ)、佐(すけ)、大尉(たいじょう)、少尉(しょうじょう)までは「衛門府」と同じである。

官職の大志(だいさかん)と少志(しょうさかん)が衛門府と同じだが官位がそれぞれ1ランク下である。

*官位 従八位上、官職 大志(だいさかん)、四部官制 主典(さかん)

*官位 従八位下、官職 少志(しょうさかん)、四部官制 主典(さかん)

【参考】

1.「さかのぼり日本史⑧室町・鎌倉“武士の世”の幕開け」 本郷 和人 NHK出版 2012.3.25

2.「紫式部藤原道長 歴史街道」 村田共哉/編 PHP研究所 2024.2月号

3.「官職要解 講談社学術文庫」 和田英松 講談社 1983.11

4.「誰でも読める日本古代史年表」 吉川弘文館編集部/編 吉川弘文館 2006.12

5.「新編日本古典文学全集44 徒然草」、校注・訳 永積 安明 小学館、1995.3.10

6.「平安大事典」 倉田実/編 朝日新聞出版 2015.4

7.「日本歴史大系 3」 井上 光貞/[ほか]編 山川出版社 1995.11

8.「日本史年表・地図」 児玉 幸多 吉川弘文館 2013.4.1