石油

石油の歴史No43【クーデターにより王制から共和制に転換したイラク】

1957年終結したスエズ動乱はナセルを英雄に仕立て上げ中東諸国の民族主義の勢いを盛り上げる結果となりました。そして、石油は高揚する民族主義の中心でありました。エジプトは石油産油国ではありませんが、ナセルは主権の問題、植民地主義に対する闘争…

石油の歴史No42【メジャーの産油国支配に亀裂を入れた男「エンリコ・マッティ」】

1920年代にイタリアはフランスにならい、国際石油会社に追いつこうと石油の精製・販売する国営の石油会社(AGIP)を設立しました。1930年代半ばまでにはAGIPは国内ではシェルなどの国際資本と同等の市場を持っていましたが、国外の市場はゼ…

石油の歴史No41【大型タンカーを登場させたスエズ動乱】

紅海から地中海を結ぶ160km(100mile)におよぶスエズ運河の建設はフランス人「フェルナンド・レセップス」が10年の歳月をかけ1869年に完成した19世紀最大の偉業と言われています。 スエズ運河はインドへの所要時間を半分に短縮し、イギリス…

石油の歴史No40【中東地域と世界石油市場を独占したセブンシスターズ】

1953年民族系石油元売会社「出光興産」のイラン石油購入に対し、アングロ・イラニアンは東京地方裁判所に訴訟を起こしましたが「出光興産」が勝訴しました。アングロ・イラニアンはそれを不服として控訴しましたが法廷闘争継続中の10月、突然、控訴を取…

石油の歴史No39【日章丸事件】

1951年5月、イギリス政府はイランのアングロ・イラニアンの石油施設接収は犯罪行為であるとして国際司法裁判所に訴え、制裁措置を発動しました。世界の市場の大半を抑えている欧米系大手石油会社から成る国際石油カルテルと組んでイラン石油のボイッコ…

石油の歴史No38【戦後日本の石油時代の幕開け】

連合国の初期対日方針は非軍事化と民主化を柱に財閥解体、農地解放、労働三法などの政策の実行でしたが、賠償取立ても課題のひとつでした。 当初、金銭的賠償でなく産業設備などによる実物賠償、特に、軍需的産業設備は取り立て対象でした。1946年(昭和…

石油の歴史No37【終戦前後の日本の石油事情】

下記地図の面をクリックすると拡大します。 1943年頃の世界の油田 1942年(昭和17年)日本軍はボルネオ、スマトラ、ジャワ、マレー、ビルマなどを占領し、南方の豊富な石油資源を確保しましたが、昭和18年後半頃から戦況の悪化と共に石油資源も次々…

石油の歴史No36【太平洋戦争と石油】

昭和16年(1941年)夏、ドイツ軍は電撃作戦でヨーロッパを席捲しており、日本軍は中国内部に侵略、続いてシンガポール、フランス領インドシナ(ベトナム)、オランダ領東インド諸島(インドネシア)を目指し、進駐を開始していました。 昭和16年(1…

石油の歴史No35【イランによるアングロイラニアン石油の国有化】

1935年ペルシャは国名をイランに改称し、その後アングロ・ペルシャ石油会社もアングロ・イラ二アン石油会社に改名しました。 1940年代のイランは政治、経済状況は混乱しており、外国の度重なる干渉を受け、イラン領土に対してソ連から直接圧力があり…

石油の歴史No34【産油国を覚睡させた一匹狼のポール・ゲッティと日本のアラビア太郎】

1922年、イギリスはあいまいなサウジアラビアとクウェートとの国境を巡る紛争を避けるため、中立地帯をつくりました。そして両国は共同で統治し、石油の利権も半分ずつ分け合っていました。 サウジ・クウェート中立地帯 yaseta.hateblo.jp 第二次大戦後…

石油の歴史No33【ヨーロッパの戦後復興に貢献した中東石油】

1945年8月、日本が降伏し、第二次大戦が終了しました。焦土と化した日本と違い、アメリカではガソリンの配給制が解かれ、1945年時点で2600万台走っていた車に一斉にガソリンを満タンにして走りだしました。 そして、5年後の1950年には40…

石油の歴史No32【中東石油を巡るアメリカ政府と石油業者の攻防】

1940年、中東の石油生産量は世界の生産量の5%以下、これに対しアメリカは63%の生産量でした。 そのため、アメリカはほとんど中東には無関心でした。しかし、イギリス政府は中東の石油だけでなく、国家戦略上、早くから関与していました。 イギリス…

石油の歴史No31【燃料補給出来ずベルリン一番乗りを逃したパットン戦車軍団】

1944年6月6日、史上最大の作戦「ノルマンジー上陸作戦」が開始され、西ヨーロッパ進攻を開始しました。 ノルマンジーの防衛線突破後は物資と燃料不足のドイツ軍を次々と破り、西ヨーロッパへの進撃が予想以上に進みました。 連合軍は第二次大戦で石油…

石油の歴史No30【バトルオブブリテンに勝利をもたらしたオクタン価100ガソリン】

第二次大戦中、スターリンはこの戦争はエンジンとオクタン価の戦いであると言いましたが、事実、第二次世界大戦では膨大な石油が消費されました。 アメリカは連合軍として膨大な物資を補給しましたがその物資の半分は石油でした。一人アメリカ兵が海外に派遣…

石油の歴史No29【北大西洋における連合軍とUボートの戦い】

1937年イギリスはドイツとの戦争に備え石油政策の検討を進め、石炭からの合成石油の生産を検討しました。 しかし、費用がかかりすぎることが分かり、シェルとアングロ・イラニアンという世界的な石油企業を持つイギリスは安い石油を大量輸入する体制を整…

石油の歴史No28【燃料不足で敗北を喫した砂漠の狐ロンメル】

1939年8月ヒトラーはスターリンと独ソ不可侵条約を結びました。 ルーマニアのプロイエスティ油田を占領後は1940年のドイツの全石油輸入量の58%はこの油田からで30%はソ連からでした。 ソ連は独ソ不可侵条約の範囲内としてルーマニア北東部を…

石油の歴史No26【ドイツ軍の主要燃料となったI・G・ファルベンの合成石油】

1913年ドイツの化学者フリードリッヒ・ベルギウスは高圧で水素ガスによる石炭の液化に成功しました。(*1) 1926年ウイルヘルム石炭研究所の化学者フィッシャーとトロプシュは一酸化炭素と水素ガスから常圧で炭化水素を合成する「フィッシャー・トロプ…

石油の歴史No25【盧溝橋事件から太平洋戦争へ拡大そして敗戦】

1937年(昭和12年)7月7日の夕方、支那駐屯軍歩兵第一連体第三大隊の中隊長清水節郎大尉は第八中隊を指揮し、夜間演習のため、北京郊外の盧溝橋付近の演習地に向かいました。盧溝橋は氷定河にかかる石橋でそのたもとには乾隆帝が橋の美しさに感動し…

石油の歴史No25【満州に活路を求めた日本】

1904年(明治37年)日露戦争が起こり、日本は苦戦しながらも勝利し、1905年ポーツマス条約で朝鮮半島における自国の優位の確保、遼東半島の租借権、東清鉄道南部(長春・旅順間)の経営権、樺太の南半分の譲渡を獲得しました。1906年日本政府…

石油の歴史No24【御木本幸吉の養殖真珠がクウェートの石油開発を促進した】

19世紀終わり、クウェートはオスマントルコからの独立を確保したがっていましたし、イギリスはドイツのベルリン・バグダット間鉄道建設を阻みたがっていましたので、イギリスはクウェートの外交を肩代わりし、首長国を保護領としました。 クウェートはバス…

石油の歴史No23【イブン・サウドとカルフォルニア・スタンダード】

1922年ベドウィンの首長イブン・サウドがアラビア全土を掌握した後、イラクのフセインと衝突し、1922~1930年一連の戦争で勝利を収めました。 1932年イブン・サウドはサウジアラビア国王に即位しました。しかし、すぐに大きな問題にぶつかり…

石油の歴史No22【石油発見を否定されたアラビアで石油を発見した男】

イギリス陸軍少佐で鉱山技師だったフランク・ホームズは第一次大戦中に駐屯したバスラでペルシャ湾岸で見られる地表に石油の兆候を感じ、石油採掘会社を作りました。 1923年クウェートとバーレーンの間の海岸地域ハサーとサウジアラビアとクウェートが共…

石油の歴史No21【レザ・パーレビのアングロ・ペルシャ国有化騒動】

【ヨーロッパで起こるナショナリズム】1920年後半からヨーロッパやその他地域に政治的勢力が出現し、大手石油会社に政治的圧力をかけるようになります。1930年代には、ヨーロッパの各国政府は自給自足主義と二国間相互主義を主張し、自国のカルテル…

石油の歴史No20【多国籍石油企業による石油価格アズ・イズ(現状維持)協定】

1928年8月シェルのディターディングはスコットランド屈指の風光明媚の高地にあるアクナキャリー城を1ヶ月間借り切り、旧友ニュージャージー・スタンダード(後のエクソン)のウォルター・ティーグルと狩猟と釣りと静養を兼ね訪れました。 しかし、アン…

石油の歴史No19【東テキサスのオイルラッシュと世界大恐慌】

1925年65歳のアラバマ州出身の通称「ジョイナー親父」また「ワイルドキャッターの王」とも呼ばれる一人の男が東テキサスのサビン盆地の土地の借地権を持って、ダラスに現れました。 (ワイルドキャッター:石油の出そうな土地の借地権を手に入れ、他の…

石油の歴史No18【政権を掌握したスターリンとソ連政府のビジネスへの参加】

1922年のソ連が成立後まもなく、レーニンが病気に倒れ、1924年レーニンが死去しました。 政権を握ったスターリンは“一国社会主義論”の主張を押し通し、どの企業とも提携することなく、ソ連の石油を政府自らの手で売ることを決めたのです。 ニュージ…

石油の歴史No17【バクー油田国有化とレーニンによるソ連樹立】

1917年の10月革命でレーニンは第一次大戦でドイツと戦っている社会革命党のロシア臨時政府首相のケレンスキーを追い出し、ソビエト連邦を組織しますが、以後も内乱が続きます。西側諸国にとってソビエト社会主義政権が続くのかバクー油田ひとつとって…

石油の歴史No16【ベネズエラのマラカイボ湖底油田】

メキシコの民族主義や革命の気運に嫌気をさした石油事業家はベネズエラに移動し始めました。 ベネズエラでは既に何世紀も前に、自然と石油がしみだしており、先住民族のイディオがカヌーの防水や修理に使っていました。 1908年にファン・ビンテ・ゴメス将…

石油の歴史No15【メキシコで生まれた資源ナショナリズム】

メキシコ沿岸にガスと石油が湧き出している泥沼がありました。 1870年にメキシコ人が石油会社を作りましたが資金と販路不足で事業は失敗してしまいました。 1892年エドワード・L・ドヒーニーはカルフォルニア南部で油田を掘り当て巨額の富を手にし…

石油の歴史No14【ガソリンスタンドの誕生とビッグビジネスになったガソリンの小売り販売】

第一次世界大戦が終わり、平和が訪れると欧米では自動車が急激に増加していきました。特に増加が大きかったのはT型フォードで自動車の大量生産システムを確立したアメリカでした。1916年340万台だった自動車は4年後の1920年末には2310万台…