1937年イギリスはドイツとの戦争に備え石油政策の検討を進め、石炭からの合成石油の生産を検討しました。
しかし、費用がかかりすぎることが分かり、シェルとアングロ・イラニアンという世界的な石油企業を持つイギリスは安い石油を大量輸入する体制を整え、備蓄する方策を採ることに決定しました。
シェル始めとする国内の石油企業からの抵抗はなく、政府はスムースに石油企業の精製・販売部門を管理化に置くことができました。
しかし、日本が東南アジアの石油を手に入れれば、極東からイギリスへの石油供給が大幅に減少し、ドイツがロシアやルーマニアの石油を手に入れれば、イギリスは大きなハンディーを負う事になります。
ドイツ軍は西ヨーロッパを制圧し、フランスが備蓄していた石油を手に入れ、イギリス海峡の対岸に到達していました。
イギリスは国内侵攻を受けた場合に備え、東部と南東部にある17,000のスタンドを2,000に集約し、爆弾を仕掛け、いざという時、ドイツ軍に石油を渡らないように爆破するようにしたのでした。
イギリスは急速に石油の備蓄が減少しました。ルーズベルト大統領は1941年3月ようやく「武器貸与法」を成立させ、イギリスへの物資供給のため、メキシコ湾、アメリカ東海岸の50隻のタンカーや貨物船による輸送体制をとりました。
タンカーと貨物船による物資供給が開始されてまもなく、ドイツ軍の潜水艦「Uボート」による攻撃で次々と撃沈されました。Uボートに脅威を受けたは両国は大西洋の監視強化し、イギリスはドイツが開発したエニグマ暗号機による暗号解読で壊滅の打撃を回避されました。
これにより、イギリス、ヨーロッパ、ソ連への石油輸送と兵員輸送航路の安全を確保でき、連合軍のドイツ軍に対する反撃体制が整えられました。
【参考】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照しますと1942年10月U-559から新しい海軍気象通報用鍵を捕獲し、これまで、解読に8日掛かっていたものが12時間に短縮されるようになったと載っていました。