石油の歴史No14【ガソリンスタンドの誕生とビッグビジネスになったガソリンの小売り販売】

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第一次世界大戦が終わり、平和が訪れると欧米では自動車が急激に増加していきました。特に増加が大きかったのはT型フォードで自動車の大量生産システムを確立したアメリカでした。

1916年340万台だった自動車は4年後の1920年末には2310万台と年間500万台ペースで増加しました。
走行距離も1919年1台平均7,240キロメートル(4,500マイル)が1929年には12,070キロメートル(7,500マイル)と1.7倍に増加しました。

平和と繁栄が続き、自動車の増加はその後も続きます。自動車の燃料はガソリンです。その結果、石油産業ばかりでなくアメリカ人の生活のそのものが大きく変わていったのです。

自動車の登場で一変した1920年代のアメリカ社会の様相を当時、出版された本には以下のように記しされていました。

「鉄道沿いの繁華な町がすっかり寂れ、国道61号線沿いの町には、自動車修理工場やガソリンスタンドやホットドック屋、レストラン、喫茶店、旅行者のための休憩所、キャンプ場などが次々に誕生して、賑わうようになった。

1920年代の初め頃、ほとんどの中心街の交差点は、一人の警察官で交通整理ができましたが、1920年代終わりごろには、なんという変わりようだろう。

赤、青の交通信号、点滅器、一方通行の道路が増え、客寄せの車止めだらけの遊歩道、どこまでも厳しくなる一方の交通規制、それでも毎週土曜と日曜の午後には、メインストリートで数ブロックも、車が数珠つなぎになって渋滞するようになった。」

1929年には、アメリカ世界の自動車生産量の78%がアメリカで、国民5人に1台の割合で車がありました。

これに対し、イギリスは30人に1台、フランス33人に1台、ドイツ102人に1台、日本702人に1台、ソ連6130人に1台しかありませんでした。

1929年の石油消費量の85%はガソリンと重油が占めており、灯油は無視できるほどの量でした。既に灯油の時代は過ぎ去り、新しい燃料“ガソリン”の時代に入っていたのです。

1920年以前、ガソリンは缶に入れられ、店のカウンターの下や店の裏に置かれ、一般の小売店で販売されていました。効率が悪く、まどろっこしく客の評判は思わしくありませんでした。

販売方法に色々なアイデアがだされ、改善されていく中で効率よくは小売する方法が誕生しました。ガソリンスタンドです。

初期のガソリンスタンドの中で最初に注目されたのはセントルイスの「自動車ガソリン会社」の高いやぐらの上に二つのタンクを設け、重力を使ってガソリンをホースで車に直接注入する装置でした。

1920年初め、ガソリンの小売店は10万軒でその半分は食料品店や雑貨・金物店を兼ねていましたが、1929年には30万軒になり、そのほとんどがガソリンスタンドか自動車修理工場になりました。その中でドライブイン方式のガソリンスタンドが増え、1921年1万2000軒から1929年には14万3000軒に増えました。

現在のガソリンスタンドの構造を初めて生み出したのはシェルでした。シェルはロスアンジェルスで巨大な看板、手洗い所、植え込み、舗装した車の進入路、雨よけの塀の標準的構造を初めて作り出しました。
この標準化されたガソリンスタンドは新型の給油ポンプとともに瞬く間に全米に広がりました。

新型の給油ポンプはガソリンがポンプの中にあるガラスの玉の中を通るもので、客がガソリンに混じりけがないことを確認できるので好評でした。

20年末になると現在ではごく当たり前になっているTBA(タイヤ、バッテリー、カーアクセサリー)なども販売され、利益を上げるようになりました。

また、ガソリンスタンドは地図作成法にユニークで偉大な貢献をしたと言われています。

1914年ガルフ石油がピッツバーグに最初のガソリンスタンドを開店したとき、その地域の道路地図を無料で配布しました。

そして、1920年代、アメリカ人が車で道路を利用するにつれ、このアイディアは大流行し、道路地図は必需品となりました。

ガソリンの小売り販売は増加し、さまざまなサービスを生み出し、広告・宣伝にも力がはいるようになりました。
1920年代末にはガソリンの小売り販売は競争の激しいビッグビジネスとなっていったのです。