石油の歴史No16【ベネズエラのマラカイボ湖底油田】

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メキシコの民族主義や革命の気運に嫌気をさした石油事業家はベネズエラに移動し始めました。

ベネズエラでは既に何世紀も前に、自然と石油がしみだしており、先住民族のイディオがカヌーの防水や修理に使っていました。

1908年にファン・ビンテ・ゴメス将軍は実権を握り、この国を自分の思うがままに動かせるほど、徹底した独裁政権を確立して、政治的に安定していました。

1913年までにロイヤル・ダッチ・シェルはマラカイボ湖畔に進出し、1914年になると小規模な石油生産を行うようになりました。

スタンダード石油もゴメス将軍一族からマラカイボ湖の湖底4200エーカー(1700ha)を手に入れます。

シェルもスタンダードも、その後の八年間は小規模な石油しか発見できなく、見通しは悲観的なものでした。

しかし、その年の1922年12月マラカイボ盆地のラ・ロサ地区にあるシェルのバロッソ試掘井で、現地マネージャーのジョージレイノルズはこの場所に勝負をかけます。

彼は15年まえアングロ・ペルシャでも油田を発見した「堅いイギリスのオークの木」と言われた人物です。
彼の忍耐は再びつきをよんだのです。このバロッソ試掘井から大量の石油が噴出しました。

油田開発は猛烈なスピードで進められ、拡大していきます。

しかし、石油事業家はゴメス独裁政権の安定した政治状況に不安を抱きはじめました。
政権交代による資産没収を恐れ、ベネズエラすぐ近くのオランダ領の島に製油所を移動させました。スタンダード石油はアルバ島、シェルはキュラソー島に移動させたのです。

一方、マラカイボ湖低の石油開発に挑んでいたニュージャージー・スタンダード石油の苦戦は続いていました。しかし、この間、水中で坑井を掘削する技術が開発され、マラカイボ湖底の石油開発は好転し、1928年、湖底から巨大な量の石油を掘り当てました。

1921年に1400バーレルだった石油産出量は1929年には1億3700バーレルに達し、アメリカに次第二位となりました。

この年石油はベネズエラの輸出の76%を占め、政府の歳入の半分に達し、1932年にはベネズエラはイギリスへの石油供給についてペルシャアメリカをしのいで最大供給国になりました。