石油の歴史No15【メキシコで生まれた資源ナショナリズム】

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メキシコ沿岸にガスと石油が湧き出している泥沼がありました。
1870年にメキシコ人が石油会社を作りましたが資金と販路不足で事業は失敗してしまいました。

1892年エドワード・L・ドヒーニーはカルフォルニア南部で油田を掘り当て巨額の富を手にしました。
そして、ドヒーニーは石油が湧いているといううわさの土地に興味を示していました。

1900年メキシコ国有鉄道総裁はドヒーニーを招待しました。総裁は不足しつつある薪炭に代わるものとして鉄道沿線の石油開発に期待を寄せていたからです。

ドヒーニーは石油開発に乗り出します。
1903年4月メキシコで初めてセロベラデスから石油が噴出しました。ドヒーニーはメキシコに初めて製油所、貯蔵タンク、教会を中心に一つの村をつくりました。そのときの古い建物は現在も使用されています。

1907年ドヒーニーの会社はアステカ石油として発足し、ディアスの保護を受け拡大していきます。

当時、独裁者のメキシコ大統領ポルフィリオ・ディアスはメキシコ産業発展のため、外国企業を優遇しますが、搾取されただけでした。

ディアスはじめ側近の政治家はアメリカに自国の経済すべて牛耳られることに我慢できなかったのです。
自国の鉄道・土木工事建設を、わざわざ、遠くの離れたイギリスの土木技師ウィートマン・ピアスンに依頼しました。

ピアスンはメキシコシティに運河や大西洋と太平洋を結ぶテワンテペック鉄道を建設しました。
1901年ピアスンは新しいテワンペック鉄道の燃料に石油が最適と考え、石油開発を始めます。

ピアスンもディアス大統領の優遇措置を利用します。本国イギリスで資金を得ると再びメキシコに戻って調査を始めました。

鉄道沿線に石油がしみでているという従業員の話をもとにタンピコの南方に採掘地を確保しました。

採掘開始から10年経た1910年、ボトレロ・デル・リャノ4号井の発見を皮切りに、次々と大油田を掘り当てました。
このボトレロ・デル・リャノ4号井は日量11万バレルと当時世界最大級の規模の油井でした。

ピアソンの作ったメキシカンイーグルは一夜にして世界最大級の石油会社となりました。
そして、あっという間にメキシコは世界の石油市場の一大勢力となりました。

しかし一方ではメキシコを取り巻く政治状況が大きく変化していました。
911メキシコ革命が勃発、81歳のディアス大統領は政権の座を追われました。暴動が頻発し、メキシコへの海外からの投資は急速に冷めていきました。

石油会社にとって大きな影響を受ける問題が生まれてきました。
それはメキシコ民族主義と革命陣営、それに対する外国投資家との間に生じた闘争でした。

メキシコで生まれたこの闘争は、その後、世界各地の政府と石油会社の間に広がり、長く続く争いとなるのです。

1917年カランザが大統領に就任し、新憲法が発布されました。この憲法の第27条には土地はその所有者に属するが石油を含む地下資源は国家に属すると定められたのです。

この憲法はメキシコで石油を開発する外国企業を大きな不安に陥れました。アメリカ、イギリス企業の反発は激しいものであらゆる手段を使ってメキシコ政府を妨害しました。

1917年を境に石油生産の急激な低下が始まりました。カランザが企業に対する課税を上げ、厳しい財政管理を行ったのでカルテルはメキシコを離れ、ベネズエラに投資をするようになったからです。

しかし、デターディングはこの機に乗じ、シェル帝国の拡大に乗り出します。

メキシカン・イーグルを創立者のウイートマン・ピアスンは将来に向けてのリスクの負担に懸念を抱き、売却したいと考えていました。
そして、デターディングはメキシカンイーグルをシェルの傘下に収めました。

その間、メキシコではカランザが暗殺され、無政府状態が続きますがメキシコ政府はドルを稼ぎたいので現段階では外資企業を追い出すことはなく、石油産業は発展していきました。

第一次世界大戦の間、アメリカの生命線となり、1920年にはアメリ国内需要量の20%を供給するようになり、1921年までに世界第二の石油産出国となりました。

根強い石油問題の対立はメキシコとアメリカの関係を不安定なものにします。
ワシントンや石油会社からメキシコを見ると「不安定で安全の保障されない場所、野蛮で契約をごまかす国」だった。

しかし、メキシコからワシントンやアメリカの石油会社をみると「外国勢の搾取や侵略、それに主権の侵害のかたまりであり、強大な圧力と権力をもつヤンキー帝国主義」だった。

こうして、メキシコは次第に革命に対する熱情とナショナリズムが高まっていきます。

石油会社側は次第に不安や危機を感じるようになり、投資も減少し、企業活動は後退していきます。まもなく、メキシコは世界第二の石油産油国から転落し、石油市場での競争力を失っていくことになるのでした。