石油の歴史No61【1984年、セブンシスターズの一つ「ガルフ」の消滅】

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1975年、セブンシスターズの一つで国際的に認知度が高いガルフは自社の油田や施設をクウェート政府によって国有化され、虎の子である石油の供給元を失います。ガルフはアメリカ国内を含む諸外国に油田を求めて巨額の開発資金を投資しますが、新しい油田は確保できず、ガルフが確保している石油埋蔵量は急速に減少していきました。

 

ガルフの会長「ジミー・リー」は会社をスリムにし、競争力をつけるため改革に乗り出しますが非効率で官僚的な経営体質の改革は遅々として進みません。

 

1981年ポール・ピケンズがシティーズ・サービスに買収を仕掛けた時、ガルフもシティーズ・サービスに買収をかけ失敗し、最終的にオキシデンタル石油が買収する事件がありましたが1983年、今度はガルフがポール・ピケンズの買収のターゲットになったのです。

 

ピケンズのメサ石油はパートナーとともに投資グループを作り、株の買い集めに出ました。これに対し、ガルフは株主のガルフ支持を説得し、委任状獲得に乗り出します。1983年12月、ガルフは委任状による投票の結果、52対48の僅差で買収を退けました。

 

ピケンズはビバリーヒルズの「ジャンク・ボンドの王(くず株の王)」と言われる「マイケル・ミルケン」に協力を仰ぎ、ジャック・ボンドを発行してさらに資金を作り、敵対的買収に乗り出しました。

 

1984年1月国際的に地位の高いガルフに魅力を感じたARCOの会長「ロバート・アンダーソン」はガルフ株を株62ドルで買う提案をガルフの会長リーに伝えたがリーは両社のアメリカ国内の業務提携を主張して物別れで終わってしまいました。

 

アンダーソンはピケンズと話し合い、メサの投資グループに側面援護を取りつけました。そして、アンダーソンはガルフを買収するとリーに伝えたのです。

 

これでガルフの生きる道は閉ざされたと認識したリーはARCOやメサ石油以外に身売りすることを決心し、いくつかの大企業のトップに身売りの打診をしました。そしてセブンシスターズの一つであるシェブロンのジョージ・ケラーが名乗りをあげました。

 

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1984年3月ガルフの身売り先を決定するガルフの重役会議が開かれ、ピケンズ率いるメサの投資グループとARCOの案件、ガルフの上級重役グループの案件、その他投資グループの案件、シェブロンの案件の検討に入りました。

 

ARCOのアンダーソンは1株75ドルを提示しましたが、シェブロンは1株80ドルで総額132億ドル(1984年3月1ドル250円として約3兆3千億円)の史上最高額を提示、シェブロンに決定しました。

 

ピケンズが仕掛け、ガルフ株を買い占め続けた結果、当初1株41ドルから80ドルに上昇し、資本は68億ドルから132億ドルに増加し、株主は64億ドルの利益を得たことになりました。

 

ピケンズ率いるメサの投資グループは7億6千万ドル(約1900億円)の利益を上げ、そのうち5億ドルがピケンズのメサ石油に入り、税金を引いて純利益3億ドル(約750億円)を手にしたのでした。

 

1901年メロン財閥が設立したガルフはアメリカ国内で経営基盤を築き、世界に飛躍し、中東では数々の油田を開発、国際的な地位を確立し、セブンシスターとして世界の石油市場を独占したこともある名門石油企業が1984年、83年の歴史を閉じ、同じセンブシスターズの「シェブロン」に併合されたのでした。

 

ガルフの設立

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石油利権獲得
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クウェート石油の誕生
 

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世界の石油市場を独占したセブンシスターズ

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クウェート政府の国有化で石油利権失う

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ピケンズはさらに大手石油会社2社のユノカルとフィリップに買収を仕掛けました。フィリップスの買収工作では銀行家カール・アイカーンと組み買収を企てました。両社は訴訟を起こし、最終的には裁判に勝利したものの買収攻勢により株価が上昇し、買い戻すため多大な資金を費やすことになりました。そしてピケンズや株主は大きな利益を獲得しました。

 

合併や買収・乗っ取りによる石油産業の再編成は続きますが、外部に介入されないため、石油企業は不採算部門の切り捨て、業務提携や合併など社内外の改革の実施や企業自ら自分の企業の株を株主から高く買い戻し、資産価値に見合う株価に上げることもやりだしました。

 

ピケンズがトリガーとなって起こった石油業界の再編成で株主は大きな利益を得ました。1985年メサ石油の重役会が開かれ、ピケンズはガルフ買収工作でメサ石油に純利益3億ドルをもたらした功績で1860万ドル(約46億5千万円)の特別ボーナスを得ました。また、経営者が株主だったガルフ消滅の責任者の会長ジミー・リーは名誉も仕事も失ったが1100万ドル(約27億5千万円)の大金を手中に収めていました。

 

この一連の石油業界再編成の結果、経営の方向は将来を見据えた長期計画の実行より短期間で利益を出す株主重視の経営にシフトいくことになりました。

  

【参考】
ユノカル
ユノカル(Unocal Corporation)は1890年に設立され、カリフォルニア州エル・セグンド市に本社を置く。2005年4月、ユノカルシェブロンと合併に合意したが6月、中国の中国海洋石油(CNOOC)がユノカル買収に185億ドルの高額買収額を提示し攻勢にでたが米議会の反対で断念した。

 

(1)「石油の世紀」、ダニエル・ヤーギン(著)、日高義樹(他訳)、日本放送出版協会、1991年
(2)「石油を読む」、藤和彦、日本経済新聞社、2005年2月