石油の歴史No60【1980年代、新たな価値観で始まった石油企業間の買収・乗っ取り合戦】

イメージ 1

1981年ごろから、石油の過剰供給と価格の低迷が産業の流通経路の変化をもたらし、アメリカでは石油も規制が完全撤廃され、競争原理がいっそう働くようになりました。

 

当時、アメリカでは年金や投資信託資金や企業の資金を運用する機関投資家アメリカ主要企業の四分の三を支配するようになっていました。

 

石油も他の商品と同様に世界の市場に取り込まれると同時に機関投資家が参入して、やがて、利益を積極的に追求するようになり、投資への見返りを強く主張するようになりました。

 

そして、新たに注目されてきたのが「資産価値と株価の差」で、この差が大きいほど外部の勢力に介入されることになります。

 

一方、国際石油資本や独立系の石油会社は二度のオイルショックで獏大な利益を上げ、この資金で海外やアメリカ国内の油田開発に投資し、OPECに頼らない新しい原油供給システムを確保しようとしました。しかし、多くの企業の油田開発は不発に終わり、大きな損失を出してしまいました。

 

石油を探鉱し、油田開発する場合、失敗する確率も高く、獏大な開発費用がかかります。さらに、その後の石油の過剰生産と価格下落が相まって環境が変わってきました。

 

しかし、資産価値(油田の価値など)に比べ株価が低い「資産価値と株価の差」が大きい石油企業を探し出し、買収できればこちらの方が利益を生みだします。その結果、企業の長期経営計画による利益より、短期の利益を株主に求められ、新たな競争を生みだすことになりました。

 

このような環境の変化の中で石油企業の「資産価値と株価の差」を誰よりも早く嗅ぎつけ、買収、乗っ取りの下克上を仕掛け、成功したのが独立系の小規模石油業者「ブーン・ピケンズ」でした。

 

ブーン・ピケンズ」は全米で1978年から13年間続き、最高視聴率53.3%を記録した超大河TVドラマ「ダラス」の主人公「ジョン・ジョック・ユーイング」のモデルとも言われています。(下記【参考】のTVドラマ「ダラス」の概要を参照)

 

ピケンズは1951年、大学で地質学を専攻し、フィリップス石油に入りましたが1954年に退職し、石油取引のコンサルタントを始めました。テキサス州南西部を回り、自分も石油や天然ガスを掘り当て会社を大きくしようと石油掘削事業を始めます。1964年これまでの事業をまとめ、新たに「メサ石油」を設立しました。

 

彼は抜け目なく、分析能力に優れ、徐々に会社を大きくしていきます。そして、自分の会社メサ石油よりはるかに大きい会社で、油田や天然ガス田の評価額と株価と大きな差があるカンザス州のヒューゴトン社を買収し、メサ石油を中堅の独立系石油会社に仕立て上げました。

 

彼の仕事はゲームの理論を実践するかのようなやり方で細かい点にも注意して決断は早く、これが官僚的機構の大会社との競争を可能したのです。

 

次に仕掛けたのはフォーチュン誌の大企業ランキング500社中38位のシティーズ・サービスという石油会社でした。石油会社としては19位のシティーズ・サービスはメサ石油の3倍の規模の会社でした。株価は石油と天然ガスの確認埋蔵量の評価額の三分の一であることを調べ上げ、株の買い占めを開始しました。

 

そこにガルフ石油が参入してきて買収合戦前の約2倍の株価で買うとシティズ・サービスに持ちかけますが失敗に終わり、結局、アーマンド・ハマー率いるオキシデンタル石油がシティーズ・サービスの全株を買い、決着しました。しかし、ピケンズのメサ石油はシティーズ・サービスの株を売却し3000万ドル(1981年当時、1ドル約210円として日本円換算で約63億円)の利益を手にしたのです。

 

ピケンズは原油生産会社ジェネラル・アメリカン社の買収に乗り出しましたが先にフィリップス石油に11億ドル(約2310億円)で買収され失敗に終わりました。

 

同じ1981年、コノコはドーム石油から買収工作を受けるも拒否、78億ドル(約1兆6380億円)でデュポンに買収された事件、マラソン石油はモービルの買収を拒否、USスチールに59億ドル(約1兆2390億円)で買収された事件などこれまで石油業界では敵対的買収などほとんどありませんでしたがこの頃から公然と実施されるようになったのです。

 

1984年2月、独立系大手石油会社「ゲッテイ石油」の買収を巡り、100億ドル(2兆3千億円超)の買収額をかけたテキサコとペンゾイルの争いは日本の新聞で報道され、話題を呼びました。

 

ゲッティ石油(旧パシフィック・ウエスタン)の創設者「ポール・ゲッテイ」は1948年サウジアラビアとクゥエートの中立地帯を手に入れ、巨大油田を掘り当て、瞬く間にガソリン販売では全米第7位の大企業になりました。そして、1957年にはアメリカ長者番付1位の大富豪となりました。

 

ポール・ゲッティ

yaseta.hateblo.jp

しかし、1976年ポール・ゲッテイが亡くなり、1980年代になると収益が落ち込み、自社の中東油田の石油埋蔵量の価値に対し株価は非常に低くなりました。

 

ポール・ゲッティの息子のゴードン・ゲッティは大量の株を所有するも会社経営には興味がなく、実権を握る重役達と対立します。ゲッテイ石油は恰好の買収のターゲットとなったのです。

 

1983年、最初に株の大半を所有するゴードンに買収を申し入れたのが同じ独立系大手石油会社ペンゾイルでした。

 

続いて、メジャーの一つテキサコもゲッティ石油買収をゴードンに提案してきました。1984年2月、ゴードンはペンゾイルに受け入れの意向を示していたにもかかわらず、テキサコの提案を受け入れ100億ドル(1984年2月当時のおおよその為替レートで233円/ドルで円換算すると約2兆3300億円)でゲッテイ石油を身売りしたのです。

 

この買収合戦ではゲッテイ石油内部で会社経営陣と主要株主のゴードン・ゲッティの対立、ベンゾイルとテキサコの対立、陰ではブーン・ピケンズがゴードン・ゲッティに株価と資産評価などについて指南していたなど3社と個人が入り乱れ争い、ペンゾイルはテキサコを訴訟する事件に発展していきました。

 

そして、1988年12月に和解金30億円(約6990億円)でテキサコとペンゾイルは和解に合意に合意しました。

 

米石油企業間の買収・乗っ取りはまだ続きます。ペンゾイルがゲッティ石油に買収を仕掛けていた頃、ポール・ピケンズは会社の資産価値に対して株価が非常に安いメジャーの一つの企業の買収を仕掛けようとしていました。

 

【参考】
TVドラマ「ダラス」の概要
主人公ジョックは一代で巨大企業「ユーイング石油」を築き、牧場も兼ねた大豪邸「サウスフォーク」に住む大富豪で、ドラマはジョックは相棒から油田を取り上げ、追い出したことからユーイング家とバーンズ家の二つ家族間で2代にわたり、繰り広げられる争いの物語である。

 

このドラマは人間の欲望のすべて(七つ大罪:1.憤怒、2.羨望、3.大食、4.矯慢、5.怠惰、6.淫乱、7.貪欲)が含まれており、その確執を巡る争いは全米で大人気なり、1978年から1991年までの13年間続き終了しましたが、1996年に「ダラス/JRリターンズ」、1998年に「ダラス/新たなる野望」が放映され終了しました。
(1)Super!DramaTV「ダラス」、http://www.superdramatv.com
(2)「石油帝国」、H,オコーナー(著)、佐藤定幸(訳)、岩波書店、1955年
(3)「テキサコが100億ドルでゲッテイ石油買収(1980.2.13)」、20世紀の記録、(株)講談社
(4)「石油の世紀」、ダニエル・ヤーギン(著)、日高義樹(他訳)、日本放送出版協会、1991年