【聖書は格調高く近寄り難いという先入観の壁】
第2話で紹介した御歳93の渡辺潔さんから、毎年、聖書のことばとコードを記した年賀状をいただいています。20年以上も聖書のことばを受け取りながら、心に響くことなく、右から左に流れ、語尾のコードを暗号と思うくらい無知でした。
本ブログを始めたばかりの17年前ハワイ旅行の際、ハイアットリージェンシーホテルで英語か日本語か忘れましたが聖書の細かい文字がぎっしり詰まった文章を見てすぐ閉じてしまいました。
私が抱くキリスト教や聖書のイメージは異次元の近寄り難い宗教と書物という先入観でした。しかし、ブログの作成や小説や映画を見ているうちに聖書の知識があるほうが欧米の小説や映画や絵画をより楽しめるのではないかと思うようになり、気が向いたとき、理解し易い解説書や入門書を読むようになりました。
これまで一度も聖書を読んだことがなかったので、解説書の聖書内容は私が抱く聖書のイメージからかけ離れた殺人、争い、裏切り、親子喧嘩などの神話や事件がほとんどで、その多くはこれまで小説・映画などで見られる馴染みのある物語でした。
そして物語の多くは史実と異なり、その上、資料は断片的な話の解説のため、キリスト教や聖書の概要・位置付けや歴史としての流れや全体像を把握することができませんでした。
解説書の内容が「本物の聖書」と本当に同じ内容なのか、そして、欧米の人(キリスト教徒)は本当に解説書や入門書に説明している3000年以上も前の神話を信じ、生きる指針としていることが私には信じることができませんでした。
まだ、私は聖書の価値をわかっていませんが、敷居が高く、近寄り難い聖書に触れてみるという最初の壁を乗り越えることができたのは2022年12月に読んだ神学者兼物語作家のウォルター・ワンゲリン著作の“小説「聖書」旧約篇”と“小説「聖書」新約篇”でした。
この小説のキャッチコピーと訳者仲村明子氏のあとがきに本物の聖書の内容を忠実に小説化しているという記述を読み、年末に野田市興風図書館から旧約聖書と新約聖書を借り、内容を確認して、当然ですが、解説書や入門書の通りだということを納得したしだいです。
難解・近寄り難いという先入観が払拭されたためか、20年目にして初めて2023年元旦の渡辺さんの年賀状の聖書のことばに目が行き、読むことができました。
「山々が平和をもたらし 丘が恵みをもたらしますように 詩 72・3」
語尾のコードは暗号を解読する気持ちで聖書を調べた結果、語尾のコードは聖書の中の「文書名の略 章または篇 文番号-文番号」で上記「詩 72・3」の場合、「旧約聖書の詩篇 第72篇の3番目の文章」であることがわかりました。そして、6年前までの年賀状をさかのぼり、旧約聖書と新約聖書のことばを確認しながら読むことができました。
2023年1月28日の光友会(元会社の定年退職者の会)で渡辺さんとにお会いし、喫茶店でこれまでの顛末や学生時代や会社時代の話で盛り上がり、気がついたら、2時間近く経っていました。
【キリスト教や聖書の影響力の大きさを感じた映画・小説・テレビ】
(1)1890年代(当時カナダはイギリスの植民地)、カナダのトロントを舞台にして繰り広げられる海外テレビドラマ「マードック・ミステリー“刑事マードックの捜査ファイル”」のシーズン1第5話「揺らぐ信仰」を2023年1月14日に見ました。
事件を解決したものの理不尽さが残り、悩む正義漢のマードック刑事は教会で「告解」します。(参考1)
(マードック)神父様、信仰の土台が揺らいでいます。亡くなった2人はいずれも善人でした。
彼らの苦しみも神の意思ですか?
(神父) 神の意思を問うべきではない。
(マードック)そこが問題なのです。もう無条件に従えません。
(神父) 信仰心を強く持つことだ。
(マードック)世界はもっと思いやりに満ちて---良識ある場所かと---。
(神父) いつかはそうなる。ずっと先になるかもしれない。
それまでは神の導きにゆだねなさい。
[ロザリオの祈り」を2度唱えて----(参考2)
(マードック)そうします。
(2)2003年アメリカで出版されたダン・ブラウンの小説「ダ・ヴィンチ・コード」が世界でベストセラーになり、2007年に映画化されヒットしましたがその内容に賛否の声があがりました。
レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」の中に暗号が隠されており、主人公はそのコード(暗号)から娼婦のマグダラのマリアはイエスの妻であり、子供がいたと解き明かします。この映画はフィクションにもかかわらず聖書の記述に反するとしてキリスト教関係者や熱心な信徒から猛反発の声があがりました。それほどキリスト教の持つ影響力は大きいということを知りました。
名画「最後の晩餐」に隠された暗号、映画「ダ・ヴィンチ・コード」
ダ・ヴィンチ・コード盗作裁判と暗号潜む判決文
科学と神学(キリスト教)の対立を描いた映画「天使と悪魔」
(3)映画「エデンの東」(1955年作)、「十戒」(1956年作)、「ベンハー」(1959年作)、「エル・シド」(1961年作)、「栄光への脱出」(1961年作)、「天地創造」(1966年作)などのうち、エデンの東は1970年代、他は高校時代(1962(S35)年)から大学時代(1968(S43)年)にキリスト教に関連しているとは全くしらず、宣伝文句の迫力がある大スペクタル歴史映画に興味が引かれ見に行きました。
(4)小説「月長石」(ウイルキー・コリンズ作1868年)、「カインとアベル」(ジェフリー・アーチャー作1979年)、「薔薇の名前」(ウンベルト・ユーゴ作1980年)、「大聖堂」(ケン・フォレット作1989年)、「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン作2003年)、「イエスの古文書」(アーヴィング・ウオーレス作2005年)、「大聖堂」(ケン・フォレット作2005年)、「天使と悪魔」(ダン・ブラウン作2006年)、「大聖堂‐果てしなき世界」(ケン・フォレット作2009年)、「火の柱」(ケン・フォレット作2020年)、「サラゴサ手稿」(ヤン・ポトツキ作1810年、復刻版2022年)などはキリスト教に関連した文があり、印象に残っています。
ケン・フォレットの大聖堂三部作の3作目の題名「火の柱」や数日前に読んだヤン・ポトツキの1810年作の小説「サラゴサ手稿」の中の「火の柱」に関する描写は旧約聖書の 下記から引用されたものでした。
出エジプト記13・21-22(第13章21-22)
「21主は、
昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、
夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、
彼らの前を進まれた。
彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
22 昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。」
(日本聖書刊行会)
ケンフォレット作「火の柱」の主人公の母のことば
これまで述べたようにキリスト教や聖書に関することがらは、テレビ・映画・文学・芸術・音楽に世界中で頻繁に使われ表現されているだけでなく、生活・社会・政治・経済・科学・教育の分野などでも古くから広く、深く根付いています。
私は世界のあらゆるところにキリスト教が影響を及ぼしていることを認識し、小説や映画の内容を知るだけでなく、世界の政治・経済・社会を知るうえでもキリスト教や聖書の基礎知識が必要であることを痛感しました。
【参考】
- 神父と牧師の違い(参考7)
神父はカトリックや東方正教会の聖職者に対する呼称であり、役職名でない。
牧師はプロテスタントの聖職者の役職名である。
カトリックでは枢機卿の下に、司教、司祭、助祭、副助祭という役職がある。
司祭は教会を管理する。
東方正教会では、主教、司祭、補祭という役職がある
1.告解(懺悔)はカトリックが行うものでプロテスタントにはない(参考7)
2.ロザリオの祈り:カトリック教会においてロザリオ(数珠)数えながら聖母マリアへ祈ること
「ロザリオは社会を害する悪と戦うための霊的武器である」(レオ13世)(参考8)
3.「小説「聖書」旧約篇」、著作ウォルター・ワンゲリン、訳 仲村明子、(株)徳間書店、1998.5.31
4.「小説「聖書」新約篇」、著作ウォルター・ワンゲリン、訳 仲村明子、(株)徳間書店、1998.6.30
5.「旧約聖書 1955年改訳」、日本聖書協会、三省堂、1965
6.「新約聖書 1954年改訳」、日本聖書協会、三省堂、1965
7.「キリスト教の基礎知識」、Newsweek THE WORLD IN 2007、ニューズウィーク日本版2007.4.18
8.「ロザリオ」、Wikipedia、https://ja.wikipedia.org/wiki/
9.「サラゴサ手稿」、著作ヤン・ポトツキ、訳 畑浩一郎 、(株)岩波書店、2022.9.15