イエス・キリストとはそも何者ぞ?「第2話 キリスト教思想家“内村鑑三”肝煎で創立した山形県小国町の基督教独立学校」

キリスト教独立学園高校所在地

第1話

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【基督教独立学校】

2016年87歳の時に朝日新聞天声人語に「最高齢のオケ老人」として実名で全国に紹介された渡辺潔さんという方がおられます。

 

2023年現在93歳のクリスチャンであり、ちばマスターズオーケストラのチェロ奏者であり、現役時代はCD・DVDやヘルメット材料となるポリカーボネートの「連続的製造技術の開発」で化学工学学会技術賞を授与された方です。

 

私と同じ高校、同じ大学、同じ会社に籍を置いた先輩という存在ですが、趣味、生き方、業績などを身近で知る尊敬する人です。

(2023/1/28、光友会(元会社の定年退職者の会)の賀正会で渡辺さんとお会いし、話しているとき、渡辺さんと河北新報社の記者でその後子会社の社長になった故義兄(姉の夫)は高校時代、友人だったことを50年間の知り合いながら初めて知りました。)

 

渡辺潔さんから2021年にいただいた年賀状に「光は暗闇の中で輝いている ヨハネ1・5」とあり、私の故郷山形県小国町に関しても「基督教独立学園に何度か行ったことが、なつかしく思い出されます。」と記述されていました。

 

1955年(昭和30年)頃の小学時代、私は母親から母の妹が住む山形県西置賜郡小国町市野々からさらに山に入った叶水(かのみず)に「日本で有名な人が創ったキリスト教の学校がある」と聞きましたがすぐ忘れてしまいました。

 

1959(S34)年中学3年のとき、その学校は十数名の生徒が自給自足の生活をしながらキリスト教について学ぶ「基督教独立学園高校」であることを知りました。

 

私はこの1年後から3年間の高校時代、米沢で下宿生活をしましたが、小国町から米沢市長井市の高校に汽車通学するほとんどの学生は、冬になると米坂線が雪で頻繁に遅れや不通になるため、冬の間だけ下宿していました。

 

小国は冬になると積雪2mにもなり、周辺の集落から通う中学生でも寄宿する人がいたので、さらに山奥入ったところに、わざわざ学校を造ることが当時の私には理解できませんでした。

 

今回、再び記憶がよみがえりましたが学校については、良く知りませんので調べてみました。

 

鈴木弼美(すけよし)は1924(大正13)年東大物理学科在学中に日本の優れたキリスト教思想家「内村鑑三」を師に仰ぎました。

卒業する頃、鈴木弼美は物理の真理より信仰の真理の探究に目覚め、聖書の研究(神学)をライフワークにすると決心して、仲間とともに1934(昭和9)年に創立したのが「基督教独立学校」でした。

 

きっかけは内村鑑三が門下生を前にして「アメリカの宣教師も入ったことがなく、聖書研究に打って付けのところがあるので、そこを拠点にして純粋なキリスト教を伝えてくれる人はいないか」と呼びかけたことでした。

内村鑑三はどのようにして東北の山奥の地を知りえたか定かではありませんが、かつて上杉鷹山の所領でもあった2000m級の飯豊連峰山麓で山に囲まれた山形県小国地方の叶水(かのみず)という場所を聖書の研究とキリスト教伝道のため選びました。そして、それに応じて鈴木弼美(すけよし)と仲間が創立したのが「基督教独立学校」だったのです。

1948(昭和23)年に「基督教独立学園高校」に改名され、現在、3学年75名の全寮制になっています。

 

内村鑑三新渡戸稲造について】

宗教やキリスト教の本質にかかわるような哲学的・神学的な思想など、私はとうてい理解できないので一夜漬けで調べた一般常識的な記述になります。

 

日本人が最初に西欧諸国で国際人として認められた人物は明治維新(1868年)前生まれの内村鑑三新渡戸稲造と私は思います。

 

1.内村鑑三について

内村鑑三[1861(万延2)- 1930(昭和5)]は1878(明治11)年、札幌農学校時代、お雇い外国人教師クラークの影響により、キリスト教に入信しました。

 

お雇い外国人一覧

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1885(明治18)アメリカに渡り、マサチューセッツ州アマースト大学3年に編入し、神学を学び、卒業後1887(明治20)年神学校に入学するがその神学教育に失望し、1888(明治21)年帰国しました。

 

1894(明治27)年英文の著作「日本および日本人」を出版し、開国間もない未知の国の日本人が本家本元のキリスト教について東洋の自然主義・仏教的な考え方から論じたことで反響を呼び、ドイツ語訳、デンマーク語訳も刊行されました。

 

ドイツ語訳の序文に以下のことを記しました。

「----- ついに余も主イエス・キリストの仕者(つかえびと)として選らばるるにいたった。

余はキリスト教の外国宣教師より何が宗教なりやを学ばなかった。

すでに、日蓮法然蓮如、その他敬虔なる尊敬すべき人びとが、余の先輩と余とに宗教の本質を知らしたのである。----- 一国民はいうまでもなく、一人の人間といえども、一日で「回心」せしめらるべきものと信ずるなかれ。真の意味における「回心」は数世紀の事業である。」(参考2)

 

アメリカのカール・マイケルスン教授の著書「キリスト教神学にたいする日本の貢献」で内村鑑三[1861(万延2)-1930(昭和5)]と北村嘉蔵[1916(大正5)-1998(平成10)]を取り上げ、それらはまったく独創的な、また東洋の頭脳またずにしては生まれえないものであることを強調しています。(参考2)

 

神学とは

信仰を前提とした神をはじめとする宗教概念について理論的に考察する哲学であり、全ての学問の起源とも言われている。

キリスト教が保持してきた信仰を守るために発展してきた学問体系。

聖書神学・歴史神学・組織神学・実践神学などの各部門があり,キリスト・終末・救済・宣教などが論じられる。(参考1,4)

 

回心とは

神に背いている自らの罪を認め、神に立ち返る個人的な信仰体験のことを指す。

信者が周りを見回す要領で頭を旋回すると、その時点で起こっている事象についての解釈や感じ方が変わることを指す。(参考1)

 

2.新渡戸稲造について

新渡戸稲造[1862(文久2)-1933(昭和8)]は内村鑑三と同じ1878(明治11)年札幌農学校時代、キリスト教に入信しました。

1884(明治17)年アメリカ、ジョンズ・ホプキンス大学に入学、その後結婚しました。

そして、アメリカ人の妻や留学先の人々から「日本の学校では宗教教育がないのか、どうして道徳教育を教えるのか」、「善悪の判断や正義の観念は形成されるのか」など尋ねられすぐに答えられなかったと言います。

 

そこで日本には世界に恥じない優れた道徳教育の手本があるとして1899(明治32)年に出版したのが英文の著作「武士道」でした。出版されるやベストセラーとなりドイツ語訳、フランス語訳など多くの言語に翻訳され、野蛮な極東の島国とみられていた日本には世界に誇る道徳教育の存在することを知らしめました。

武士道

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ノブレス・オブリージュ
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イエス・キリストとはそも何者ぞ!第3話】

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【参考】

1.「基督教独立学園高校、内村鑑三新渡戸稲造」、Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/

2.「現代人の教養9 宗教の意味」、ジョン・コグレー、(訳)柳川啓一、(株)ティビーエス・ブリタニカ、1968.2.30

3.「武士道」、新渡戸稲造、(訳)岬龍一郎、PHP文庫、2005.8.25

4.「なぜ宗教はなくならないか」、渡辺聡、キリスト新聞社、2013.9.16