冬の分類
分類 秋 冬
気象学的季節 9月~11月 12月~2月
天文学的季節 秋分~冬至 冬至~春分
太陰暦の季節 七月~九月 十月~十二月
太陰太陽暦の季節 七月節~九月中 十月節~十二月中
節月区切り 立秋初日~立冬前日 立冬初日~立春前日
太陽歴の本日の西暦2024年12月1日は陰暦11月1日で太陰太陽暦では“初冬(陰暦の日付的「十月」および二十四節気の季節的「十月節・十月中」)”の初冬の終わりに近い十月中です。
そして太陽暦の12月7日(陰暦11月7日)には“仲冬(陰暦の日付「十一月」および二十四節気の季節「十一月節・十一月中」)“に入り、太陰太陽暦では本格的な冬の到来となります。
【太陽暦と太陰太陽暦の季節が2か月早い理由について】
現在、一般に気象学的な冬は“初冬(12月)、仲冬(1月)、晩冬(2月)”とされていますが、太陽太陰暦の冬は“初冬(陰暦の日付的「十月」および二十四節気の季節的「十月節・十月中」)、仲冬(日付的「十一月」および季節的「十一月節・十一月中」)、晩冬(日付的「十二月」、季節的「十二月節、十二月中」)”と気象学的季節より2か月早い季節になっています。
この原因は暦の基本となる太陰暦の1年と太陽暦の1年が異なるためと私は思っていましたが私の大きな誤解でした。太陰太陽暦を創設したことで季節のズレを補っていたのです。
【太陰太陽暦による季節のズレの補完】
太陰太陽暦の主体となる太陰暦は月の満ち欠けによる日の数え方のため太陽の運行による日の数え方と比べ、日付にズレで生じ、気象学的季節にもズレが生じます。
しかし、太陰暦の気象学的季節ズレを補うため、太陽の運行による日の数え方に対応する二十四節気および七十二候を取り入れ、太陰暦の日付にこれら季節を対応させ補完したのが太陰太陽暦なのです。
(確定はしていないが、太陰太陽暦が飛鳥時代(6世紀後半~8世紀)に伝来した暦法に二十四節気や七十二候は採用されていたようです。)
しかし、太陰太陽暦(旧暦)年の基本である太陰暦は太陽暦の1年より約11日少なく、3年(約33日)で約1カ月のズレとなり、このまま運用すると太陽暦の日付の差が増々拡大し、暦そのものに支障をきたします。
そこで、太陰太陽暦の3年に一回閏月を挿入した1年13カ月の閏年を作り、太陽暦の日付に近づけ調整してきました。
こうして運用上は大きな問題なく太陰太陽暦が伝来した飛鳥時代から千年以上使われてきたのです。
上記に述べたように、二十四節気・閏月方式により旧暦(太陰太陽暦)で季節を確認することは太陽暦のそれと大きく変わりません。とすると、新暦と旧暦の季節に2か月のズレがあるのは太陽暦と太陰太陽暦の違いから生じるものでないことはわかりましが、伝来した暦法の季節の分類の基準をそのまま採用したからか、あるいは飛鳥時代当時の人々が奈良地方の気象を肌身に感じて分類した季節基準なのか、原因はわかりませんでした。(数日の調査では確定が困難でした)