ダ・ヴィンチ・コード盗作裁判の判決文に潜ませた暗号

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2ヶ月前の読売新聞に“「ダ・ヴィンチ・コード」暗号潜む判決文“という見出しの記事が掲載されました。

現在、日本で公開中の映画でも人気を博しており、世界的にも話題になっているベストセラー小説「ダ・ヴィンチ・コード」が盗作かどうかをめぐる裁判行われ、ピーター・スミス判事は4月7日の判決で「ダ・ヴィンチ・コード」は盗作とはいえないとの判断を下しました。

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その際の判決文は全71ページもあったそうですが、前半の5ページから13ページにわたって文章と異なる不規則な斜体文字がちりばめられていたそうです。

この暗号文を発見した弁護士の話を聞いたメディアが飛びつき、報道したものですから、大きな話題なりました。

その後、ピーター・スミス判事もメディアの取材に遊び心で暗号文を忍ばせたことを認めたそうです。

そして、4月26日に報道された暗号文を基にメディア、一般読者も参加して解読競争が行われ、4月28日に、判決内容とは無関係の「スミス・コードJ、ジャッキー・フィシャー、何者か?ドレッドノート」と解読されました。

「ジャッキー・フィッシャー」という人は第一次世界大戦の頃、活躍したイギリス海軍のジョン・アーバスノット・フィッシャー提督のことで、ウインストン・チャーチルと共に1912年、大英艦隊の燃料を石炭から石油に転換し、第一次大戦の勝利に貢献した中の一人でした。

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また、フィッシャー提督は1906年、当時としては画期的な性能で世界の軍備、戦術に革命をもたらしたといわれる戦艦ドレッドノートの建造をリードしました。
(この船の建造は石油燃料転換前だったので石炭を燃料としたものと思われますが、フィッシャー提督は1904年頃から石油燃料に変えることを主張していましたので石油かもしれません。要確認 )

これ以後、ドレッドノードクラスの戦艦を弩級(どきゅう)戦艦と呼ぶようになりました。この弩級戦艦から「同類のものよりも、けた違いに大きいことを意味する“超弩級(ちょうどきゅう)”」ということばが生まれました。(広辞苑より)

このような業績を残したフィッシャー提督についてピーター・スミス判事は尊敬の念を暗号文にしたためたそうです。

堅いと思われている裁判だけでなく他の分野にも、こんな遊び心を持った人がたくさん出てくれば、その分野にも興味を持つ子供や若者が増えてくるかもしれません。

【参考】

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