東洲斎写楽の肉筆画をギリシャで発見

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8月4日(月)の読売新聞の第一面に写楽の肉筆画がギリシャ・コルフ島のアジア美術館で発見されたと載っていました。

 

東洲斎写楽は1794年(寛政6年)5月に歌舞伎役者を描いた版画の役者絵発表し、翌年初めまで版画作品など140点余り制作した後、浮世絵版画の世界から忽然と姿を消しています。

 

写楽の版画「役者絵」

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これまで写楽の正体は誰なのか決定的な手がかりがなくいろいろな説があり、謎の絵師と言われています。

 

近年、阿波藩(徳島県)の能役者「斎藤十郎兵衛」という説が有力と言われているそうです。

 

写楽の作品は版画がほとんどで題材は役者絵が多く、描かれている役者の目は「寄り目」でマンガチックになっています。私はそんな写楽の役者絵が気に入り、真似をしてマンガを描くようになりました。

 

今回、発見された絵を見ると仮名手本忠臣蔵加古川本蔵と娘の小浪を肉筆で描いており、目が寄り目になっていません。

 

専門家による鑑定の結果、この絵は浮世絵版画の世界から姿を消した直後の写楽の作品として本物であると判定されましたが写楽といえば「寄り目」という私の思いからすると今回、発見された絵は写楽の作品とは思いたくない心境です。

 

【訂正】
8月13日郵便局に暑中見舞いのはがきを買いに行ったところ8月1日に「江戸の浮世絵」という10枚1組の切手が発行されており、広重(5枚)、歌麿(3枚)、写楽(2枚)の浮世絵が描かれていました。

 

ここに描かれている東洲斎写楽の絵は「四代松本幸四郎の山谷(さんや)の肴屋五郎兵衛(さかなやごろべえ)」と「三代坂東彦三郎の鷺坂左内(さぎさかさなえ)」でした。いずれも写楽の描く目の特徴を持っていましたが「寄り目」ではありませんでした。

 

写楽といえば寄り目という私の連想は写楽の絵の一部しか知らない私の偏った考えでありました。私のブログを見ていただいた皆様に誤解を招くような記事を書きましたことをお詫び申し上げます。