東洲斎写楽は1794年(寛政6年)5月に歌舞伎役者を描いた版画の役者絵発表し、翌年初めまで版画作品など140点余り制作した後、浮世絵版画の世界から忽然と姿を消しています。
写楽の版画「役者絵」
これまで写楽の正体は誰なのか決定的な手がかりがなくいろいろな説があり、謎の絵師と言われています。
専門家による鑑定の結果、この絵は浮世絵版画の世界から姿を消した直後の写楽の作品として本物であると判定されましたが写楽といえば「寄り目」という私の思いからすると今回、発見された絵は写楽の作品とは思いたくない心境です。
【訂正】
8月13日郵便局に暑中見舞いのはがきを買いに行ったところ8月1日に「江戸の浮世絵」という10枚1組の切手が発行されており、広重(5枚)、歌麿(3枚)、写楽(2枚)の浮世絵が描かれていました。
8月13日郵便局に暑中見舞いのはがきを買いに行ったところ8月1日に「江戸の浮世絵」という10枚1組の切手が発行されており、広重(5枚)、歌麿(3枚)、写楽(2枚)の浮世絵が描かれていました。
ここに描かれている東洲斎写楽の絵は「四代松本幸四郎の山谷(さんや)の肴屋五郎兵衛(さかなやごろべえ)」と「三代坂東彦三郎の鷺坂左内(さぎさかさなえ)」でした。いずれも写楽の描く目の特徴を持っていましたが「寄り目」ではありませんでした。