上杉謙信公は上越市と米沢市で祭られています

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新潟県上越市では8月16日、17日に行われる「謙信公祭」には、武帝式(上杉謙信の出陣式)、甲冑行列、上杉・武田軍の「川中島の戦い」を再現しています。

同様に、山形県米沢市で4月29日~5月3日に行われる「上杉まつり」の呼び物にも武帝式、甲冑行列、「川中島の戦い」の再現があります。

上杉家所領の変遷
越後春日城時代  (1578年上杉謙信逝去前)      200万石 
                                新潟、佐渡、庄内
会津時代      (1591年2代上杉景勝~1601年) 120万石 
                                会津佐渡、米沢、福島、庄内
米沢時代(減封前)(1601年2代上杉景勝~1664年)  30万石                                             米沢、福島
米沢時代(減封後)(1664年5代綱憲~1863年)    15万石 
                                米沢
上杉家所領の変遷をみると、上杉謙信は越後春日城時代の4月29日になくなっており、活躍したのは上越市であり、米沢ではない。

しかし、2代目景勝は米沢転封のとき遺骸を米沢に持ってきて、祠堂(しどう)を作りに安置しており、現在、上杉家のお墓は御廟所(ごびょうしょ)(米沢市御廟一丁目)にあり、命日の4月29日にお祭りをしている。

上杉謙信公のお祭りはどちらがよりふさわしいかという話が出てくることもありますが、どちらがふさわしいかなどはどちらでも良い話であります。

上杉謙信公の祭りで両方の町が活性化するならば、上杉謙信公も草葉の影できっと満足していると思います。