【後宮制度について】
【後宮十二司と官女(女官)】
後宮の皇后・中宮・妾御息所(めかけみやすんどころ)に奉仕する女性達は大宝・養老律令により、十二司の官女と命婦、乳母、采女などを含む官女組織として規定されました。
律令政治から摂関政治へと変化していく過程で、後宮の官女組織も変化していき、官女もいつしか女官と呼ばれるようになり、官位を持つ女官、無位の女官そのほか種々の雑役する女性達の名称も、役割も変化していきました。
【後宮十二司】
後宮に仕える女官が所属する所(ところ)。時代の変化により一司が統合、五司が廃止されていきます。
➀内侍司(ないしのつかさ) ⇨ 内侍所(ないしどころ)
②蔵司(くらのつかさ) ③書司(ふみのつかさ)
④薬司(くすりのつかさ) ⑤兵司(つわもののつかさ) ⑥闤司(みかどのつかさ)
⑦殿司(とのものつかさ) ⑧掃司(かにもりのつかさ)
⑨水司(もいとりのつかさ)⑩膳司(かしわでのつかさ)
⑪酒司(みきのつかさ) ⑫縫司(ぬいのつかさ)
①[内侍司(ないしのつかさ)] ⇨ (内侍所(ないしどころ))
天皇の日常生活や奏請(天皇に奏上して裁可を請う)や宣伝や礼式を行う役所。
「内侍所」は温明殿(おんめいでん)の中の神璽が鎮座しているところで「賢所(かしこどころ)」のことである。内侍が常に勤めていたので内侍所と呼ばれるようになった。
[尚侍(ないしのかみ)] の位階はもと従五位であったが平城天皇が尚侍(ないしのかみ)薬子(くすこ)を寵愛し、従三位にあげ、御寝所に伺候させた。品位がのぼり、大臣の娘が尚侍になるようになり、後に右大臣師輔の娘が尚侍となって村上天皇の寵愛を受けた。また道長の娘嬉子(きし)も尚侍となって東宮の妃となった。
[東豎子(あずまわらわ)] 尚侍司に所属。姫松ともいう。行幸のときに馬に乗って御供した。枕草子にも書かれている。
②[蔵司(くらのつかさ)]:
神璽(しんじ)・関契(かんけい)・御装束などを保管・貯蔵する役所。
[神璽しんじ)] 古くは皇位のしるしの鏡と剣であったが後に勾玉を加え「三種の神器」となる。
1.八咫鏡(やたのかがみ)、2.天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)、3.八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。
[尚蔵] くらのかみ。律令では尚蔵(くらのかみ)の位階は、正三位、尚膳(かしわでのかみ)、尚縫(ぬいのかみ)は、正四位であった。これに対し、尚侍(ないしのかみ)は従五位と低かったが、平城天皇の頃から内侍司の権威がしだいに上り、やがて蔵司の地位と同等になり、蔵司の本務を掌る尚蔵(くらのかみ)の任務を尚侍(ないしのかみ)が代行するようになった。
宇多天皇時代(887~896)、神璽を保管する賢所が温明殿に移動、尚侍は別格として、内侍司の典侍(ないしのすけ)以下の女官が温明殿に移り、守護するようになると賢所は「内侍所」と呼ばれるようになった。
「蔵司(くらのつかさ)」は村上天皇時代(946~966)の頃までに姿を消してしまった。
➂[書司(ふみのつかさ)]
➃[薬司(くすりのつかさ)]
尚薬(くすりのかみ)、典薬(くすりのすけ)および女嬬とともに医薬を供する役で平安時代には典薬寮の所管になった。
⑤[兵司(つわもののつかさ)]:
尚兵(つわもののかみ)、典兵(つわもののすけ)、女嬬(にょじゅ)などとともに兵庫寮から必要な兵器を出して供することを掌る。
⑥[闤司(みかどのつかさ)]:
闤(みかど)は御門(みかど)、宮中の門のことをいい、尚闤(みかどのかみ)、典闤(みかどのすけ)、女嬬などともに門の鍵を預かり、出し入れを掌る。
⑦[殿司(とのものつかさ)]:
主殿司(とのものつかさ)とも書き、尚殿(とのものかみ)、典殿(とのものすけ)、女嬬(にょじゅ)とともに燈火や薪・炭などを掌る。村上天皇時代(946~966)の頃に男官の主殿寮に置かれるようになる。
⑧[掃司(かにもりのつかさ)]:
尚掃(かにもりのかみ)、典掃(かにもりのすけ)、女嬬とともに後宮の殿舎の維持・管理や朝夕の格子の上げ下げや清掃を行う。
⑨[水司(もいとりのつかさ)]:
尚水(もいとりのかみ)、典水(もいとりのすけ)、女嬬六人とともに漿水(しょうすい、水・飲物)や雑粥を掌る。
⑩[膳司(かしわでのつかさ)]:
膳司の役目は内膳司の御厨子所(みずしどころ)で調理された料理を配膳する。
宮内省の被官(下部組織)の大膳職(外廷の食膳)の被官の司として内膳司(内廷の食事)その中に台所の御厨子所がある。
平安時代中期に膳司の役目はすべて御膳宿に移ると尚膳(かしわでのかみ)、典膳(かしわでのすけ)、掾膳(かしわでのじょう)はなくなった。
⑪[酒司(みきのつかさ)]:尚酒(みきのかみ)、典酒(みきのすけ)造酒司(みきのつかさ)]とともに御酒を造る役。
⑫[縫司(ぬいのつかさ)]:
尚縫は後宮でも地位が高く、権力もあったが、縫殿寮に改組された。
【用語】
[官人(かんじん)]:朝廷における官職に就いている者の総称。
[官女(かんにょ)]:宮中や貴人の家に仕える女性の総称。男性の官人と区別するための設けられた。
[女官(にょかん)]:後宮に仕える女性官人の総称で「官女」とほぼ同義。「女官」がより正式な呼称として定着していく。
[上臈(じょうろう)]:御匣(みくしげ)殿、尚侍、二位、三位の典侍で禁色(きんじき、赤または青の装束)を許された大臣の娘あるいは孫娘などをいう。
[中臈(ちゅうろう)]:四、五位の女官など
[下臈(げろう)]:摂関家の家司(けいし:役人)の娘、賀茂、日吉神社の家の娘。
[命婦(みょうぶ)]:大宝律令では五位以上のを持っている婦人を内命婦(ないみょうぶ)、五位以上のを持っている官人の妻を外命婦(げみょうぶ)と呼ぶ。
[女蔵人(にょくろうど)]:下臈の女房のことで、御匣殿の御装束や裁縫など種々の御用を務めた。皇后宮、東宮にも女蔵人がいた。
[女房(にょうぼう)]:御匣(みくしげ)殿、尚侍以下、命婦、女蔵人などの総称。
[采女(うねめ)]:大宝律令以前、郡司および諸氏の容姿端麗な娘を選び、朝廷に出仕させた。天皇の近くにも仕えていた。
[女嬬(にょじゅ)]:大宝律令以後、采女(うねめ)は、女官十二司の下に配し、女嬬(にょじゅ)と改名した。水司(もいとりのつかさ)、膳司(かしわでのつかさ)の無位の官女は采女(うねめ)と呼ばれた。
[得選(とくせん)]:御厨子所(みずしどころ)の女官。采女と区別(特別)してよぶようになった。
[刀自(とじ)]:刀自は老女の名称であったがやがて御厨子所(みずしどころ)や御膳宿(ごぜんやど)などの御用を務める女官を呼ぶようになった。
[わらわ(童女)]:皇后のわらわなど、小間使い(こまづかい)のようなもの。
[雑仕(ぞうし)]:雑役を担う女。
[下仕(しもつかへ)]:これも雑仕(ぞうし)と同様雑役をする女。
[半物(はしたもの)]:または「はした」ともいう。召つかいの中でも身分が高くもなくあまり賤しいものでない、中ほどの女をいったようだ。
[長女(おさめ)]:身分の低いもので、下女の長。
[樋洗(ひすまし)]:便器を洗う下女
[厠人(みかわやうど)]:樋洗(ひすまし)と同じように便器を取り扱う下女。
【参考】
1.「官職要解」講談社学術文庫、和田英松、(株)講談社、1983・11・10
2.「知っ得 後宮のすべて」国文学編集部、(株)学燈社、2008・1・10
3.「日本の歴史2 古代国家の成立」直木孝次郎、中央公論社、昭和40年3月15日
4.「日本の歴史3 奈良の都」青木和夫、中央公論社、昭和40年4月15日
5.「日本の歴史4 平安京」北山茂夫、中央公論社、昭和40年5月15日
6.「日本の歴史5 王朝の貴族」土田直鎮、中央公論社、昭和40年6月15日