ロシアの起源キエフ・ルーシの解体と「タタールのくびき」がプーチンに影響を与えたかもしれません

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キエフ・ルーシの地図

yaseta.hateblo.jp

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ロシア軍は市民・ウクライナ防衛軍の抵抗に合い制圧が遅れており、挽回すべく過激な爆撃を始めています。

 

2022年3月16日激戦地マリウポリでは避難場所の劇場が空爆され子供を含む民間人が多数の死亡し、3月18日、人口40万人のマリウポリ市だけでこれまで少なくとも民間人2500人が死んでいると伝えられましたがプーチン大統領は停止するどころかフェイクニュースであるとして攻撃を停止する気配を見せていません。

 

ゴルバチョフが改革し、エリツィン共産党を解体し、ソ連を崩壊させた後、引き継いだプーチン自身は共産党を離党せず、党員証は今でも持っているといわれているが、共産主義思想に共鳴したわけでなく、強いていえば「強いロシアの復活」を目指す国粋主義者だと思われます。

 

国家最高権力者となったプーチン大統領共産党の常套手段であるプロパガンダ戦略とKGB時代の経験を活かし、ロシアの起源「キエフ・ルーシ」時代から現代も続いている「領土を拡大し自国を豊かにする」戦いと敗北した時の屈辱(タタールのくびき)から名誉の勝利を勝ち得た喜び、言い換えれば、ソ連邦時代の領土を取り返し、ソ連邦崩壊という屈辱から名誉を回復することと思われます。

 

徹底的な反体制派の弾圧と情報統制とフェイクニュースを駆使するプロパガンダ戦略は成功率が高くこれまでスターリン毛沢東、金 正恩(キム・ジョンウン)そして習近平は失脚していません。

特にスターリンは反体制派やライバル・同僚など100万人を粛清し、農業政策失敗で600万人の餓死者をだしたが徹底した情報統制で乗り切りました。

 

コンピュータ・通信技術の発達し、市民一人が1台スマホ持てる現在でも習近平プロパガンダ戦略は今のところ成功しています。

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ただ、これまでの戦争と違うところは情報戦争が加わったことです。軍のサイバー部隊が互いに国や軍部のインターネットや基幹システムを遠隔操作で侵入・攻撃し、制御不能にさせます。

それに対し、敵から自国のシステムを守るための防御体制を構築、操作を行います。

 

今回は欧米のサイバー部隊の他、世界中のプロハッカーがロシアにサイバー攻撃を加え、プーチンのプロバガンダ戦略に打撃を与え、効果をダウンさせようとしています。

 

西欧・日本などの経済制裁や国際社会からの締め出しによるロシア経済への打撃とサイバー軍やハッカー集団のサイバー攻撃によるプロパガンダ戦略への打撃でプーチン政権が倒れるかもしれません。

 

【ゆるく統一された連邦キエフ・ルーシの解体と分領制公国ルーシ】

800年中頃東スラブ族が他の諸族と糾合しプリチャチ沼沢地・ドニエプル川中流地域に部族統合体を形成

860年ルーシ軍団、ビザンツ帝国首都コンスタンティノープルを包囲攻撃

862年「原初年代記」の記述によると、東スラブ諸族の要請に応じて、リューリク兄弟、ノヴォゴロド、ベロオーゼロ、イズボルスクに居住し、統治

866年ルーシ軍船、ビザンツ帝国首都コンスタンティノープルを包囲攻撃

882年オレーグ、キエフを占領、公となり、一族、在地の首長を服属させ統一、ゆるい結び付きの種族連邦「キエフ・ルーシ」をつくる。このキエフ・ルーシは古代ロシア国家すなわちロシアの起源といわれている。

911キエフ・ルーシとビザンツ帝国 条約締結

941年キエフ公イーゴリの艦隊がコンスタンティノープルを攻めるが敗退する

945年キエフ公イーゴリ、トレヴリャー族に殺害される。

988年キエフ大公ウラジーミル、ビザンツギリシャ正教に改宗、黒海ケルソネソスで洗礼を受ける(年代記の伝承)、以後、ギリシャ正教は国教となる。

1015年ウラジーミル大公死後、キエフ大公を巡り、息子たちの権力闘争

1019年ヤロスラフ1世、権力闘争に勝利し、キエフ大公となる。

1043年コンスタンティノープルへの最後の攻撃でルーシの艦隊が壊滅する

1100年(*1)ペチェルスキー修道院のネストルを責任者として「過ぎし歳月の物語(原初年代記)」を編纂

1110年~遊牧騎馬民族のポロヴェツ(別称クマン、のちのキプチャク)が強大化してくる

11世紀~12世紀初めロシア最古の成分法典「ルーシ法典」が編纂される

1217年ジンギス汗の死後元の2代ハンとなったオゴタイはバトゥに西への遠征を命じた。

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1223年モンゴル軍を迎え撃ったロシアの諸公国軍は大敗し、6万人の戦死者をだした。

1223年このころキエフを首都とするゆるやかに統一された連邦「キエフ・ルーシ」は解体しており、11の独立した公国からなる分領制公国ルーシ(ロシア)となっていた

1240年モンゴル軍によりキエフ陥落

1243年バトゥ、キプチャク平原にサライを首都とするキプチャク汗国を樹立

1240~1480年(240年間)分領制公国ルーシ、「タタールのくびき」に縛られる

 

タタールのくびき】

タタール軍(モンゴル軍)に敗北した分領制公国ルーシはキプチャク汗国の従属国となり税(農産物・商品・兵士としての男子)を240年間徴収された屈辱をいう。

 

タタールのくびきの屈辱はその後のロシア人に大きな影響を与えているといわれています。

 

1360年頃からキプチャク汗国で内紛が頻発してくる

1378年モスクワ公国軍オカ川でキプチャク汗国軍を破る。

1380年ロシア諸公軍、クリコヴォの野の戦いでキプチャク汗国を破る

1450年キプチャク汗国が分裂し、カザン汗国、アストラハン汗国、クリミア汗国を形成

1453年ビザンツ帝国滅亡

1462年イヴァン三世はモスクワ大公となる

1472年イヴァン三世、ビザンツ帝国最後の皇帝の姪ゾエと結婚

1476年モスクワ公国、キプチャク汗国への貢納を拒否

1480年モスクワ軍、オカ川でタタール軍と対峙、タタール軍は戦うことなく退却

240年間のタタールのくびきを断ち切る

1480年イヴァン三世のモスクワ公国により分領制公国を統一、モスクワ大公国成立

 

【参考】

1.「ウクライナ情勢」、ナショナル ジオグラフィック日本版サイト、2022.02.22

西暦988年、キエフ公国のノヴゴロド公ウラジーミル1世がギリシャ正教に改宗し、クリミア半島の都市ケルソネソス(古代ギリシャの植民都市だった)で洗礼を受けた。この洗礼以降、「ロシア人とウクライナ人はひとつの民であり、一体である」と、2021年プーチン大統領は宣言している。

2.「世界歴史体系 ロシア史1」、田中陽兒、倉持俊一、和田春樹、1994.10.1、山川出版社

3.「地図で読む世界の歴史 ロシア」、ジョン・チャノン、ロバート・ハドソン、外川継男(監修)、桃井緑美子(訳)、2014.8.30、河出書出版社

4.「バイキング 世界をかき乱した海の覇者」、ヘザー・プリンシグル、神田由布子(訳)、日経ナショナル ジオグラフィック社、2020.12.30