小説「ドクトル・ジバゴ」の背景と内容の超概略

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ソ連政府の禁止令を逃れ、1957年、国外出版された小説「ドクトル・ジバゴ」はロシア革命を真実に近い形で知ることができると世界から高い評価を受けました。
ソビエト政権は政権確立後、共産主義国家として厳しい情報統制を敷いたため、当時の世界の人々はロシア革命の記録などソ連の国内情報を知ることができなかったからです。

 

1900年以降の歴史や記録が明らかになるのはソ連邦崩壊後の1988年以降でした。そして、ロシアでこの小説が出版されたのも実に30年後の1988年でした。
1958年10月、著者ボリス・パステルナークはノーベル文学賞受賞を伝えられましたが、ソ連政府からの圧力により、ノーベル文学賞を辞退しました。

 

物語の背景
日露戦争の敗北の危機が迫る1905年2月9日の日曜日、ニコライ二世に対する生活改善を願うデモに対し、銃撃で応えた「血の日曜日事件」を契機に専制君主制下で極貧に苦しむ農民、労働者、革命運動家が反乱を起こしますが鎮圧されました。

 

皇帝は社会の最下層の人々に加え、改革を求めていた自由主義者の法律家、学者、政治家、企業家、貴族、地主の意見を聞かざるを得なくなり、わずかながら民主化に近づいた立憲君主制を認めました。
しかし、依然、改善されない生活に不満を持つ労働者・貧農はデモを続け、あくまで革命を目論むボルシェビキらはデモを拡大し、1917年、2月革命を起こします。
皇帝ニコライ二世は退位、300年続いたロマノフ王朝ロシア帝国は滅亡し、続く、1917年、10月革命でボリシェビキが政権を奪取しました。

 

ボルシェビキ政権に抵抗する帝政派との間で内戦が始まり、ボルシェビキは白軍にニコライ二世の奪還を恐れ、1918年に一家を処刑、政治体制を巡る赤軍と白軍との内戦は英仏など外国からの干渉を招き、内戦は拡大し、ロシアは大混乱に陥ります。国民は生活を失い、疲弊していきます。
1922年に赤軍が勝利、ソ連邦が成立します。

 

当たり前の生活を営む、自然と成り立っていた秩序が、ある日180度ひっくり返り、相次ぐ内戦で家庭の崩壊・離散、焦土と化した家や土地そして飢餓のなか、生き延びることだけでも大変でした。
まわりの人々は共産革命に反対・抵抗するか、または、熱狂的に革命運動に加わるか、しかたなしに共産主義を受け入れるか、しかし、大半の一般民衆はわけもわからずただ翻弄されていきます。

 

yaseta.hateblo.jp

 

 

物語の超概要
(一)ジバゴの道ならぬ恋
ジバゴは子供の頃両親を亡くし、一人娘「トーニャ」を持つ富裕階級のモスクワ大学化学教授一家に引き取られ、育てられます。やがて、成人し、医者になると「トーニャ」と結婚します。
詩人であり、医者であるジバゴは妻「ト―ニャ」と長男「シューラ」を愛しながらも、革命運動のリーダーの夫「パーシャ」と娘「カーチェンカ」を持つ人妻「ラーラ」と第一次大戦が始まり、従軍医と看護婦として活動中、恋に落ちてしまいます。

 

革命運動家の「パーシャ」はラーラを愛しているが第一次大戦中、ロシア革命が起こると大義のため、家族を捨て、名前を「ストレーリニコフ」と変え、赤軍の軍事委員となり、ユリャーチンの町があるウラル地域で白軍と戦っている赤軍戦闘部隊を指揮します。ラーラは夫ストレーリニコフ説得しようと後を追いかけユリャーチンの町まできます。

 

一方、モスクワは食糧難のためジバゴ家族は戦場から離れているユリャーチン郊外のワルイキノの別荘に疎開します。
トーニャはジバゴが心から愛してくれない不安にかられ、彼は別の女性に思いを寄せているからだと疑い、悩みますが、知性と詩人としての才能そして自由な思想を持つジバゴを尊敬し、彼の行動を妨げることはせず、容認します。

 

(二)ラーラとの決別
人民の敵「帝政派・富裕階級」の養父一族は国外追放になり、トーニャはパルチザンに医者として強制徴用され、行方知れなくなっているジバゴへの手紙を恋敵であるラーラ宛に送り、パリへ亡命します。

 

赤軍の勝利が確実になる頃、赤軍の軍事委員でラーラの夫ストレーリニコフはボルシェビキ内の権力闘争の敗北と住民虐殺の責任を問われ、指名手配されます。
ラーラの母のパトロンだった弁護士で実業家のコマロフスキーはかつて高校生だったラーラにみだらな関係を迫り、うしろめたさを感じていたコマロフスキーはラーラと娘カーチェンカにも逮捕の命令が出たことを知らせ、逃亡させるため迎えに来ました。

 

パルチザンから逃げ、ワルイキノの別荘に戻ったジバゴはラーラと会い、再び愛し合うようになっていましたが、手紙でトーニャのひたむきな愛と娘マーシャの誕生、家族の亡命を知ると悲しみと苦悩で、ラーラと別れることを決意します。一緒でなければ逃げないと言うラーラにジバゴは後で追いかけると嘘を言い、ジバゴは残ります。

 

ジバゴはラーラに自分の子供が宿っていることを知らないまま、これが永遠の別れとなってしまいました。

 

(三)ジバゴとラーラの死
モスクワに戻ったジバゴは自宅に閉じこもり、ラーラに捧げる詩を書き続けます。
ある日、ジバゴはラーラに似た婦人を見て、後を追いかけようとした時、心臓発作を起こし、石畳に倒れ、帰らぬ人となりました。

 

ラーラはジバゴの葬儀で異母弟「エヴグラフ」と会い、彼が行っている「ユーリィ・ジバゴの詩編」編集の手伝いを引き受けるとともに、ジバゴの娘探しを頼みます。ある日、ラーラは忽然と姿が消えてしまいました。消息筋によると、街頭で逮捕され、シベリアの収容所に送られ、その後、生死についても不明となり、忘れ去られてしまいました。

 

(四)ジバゴとラーラの娘
それから10数年後の1941年、ソ連軍少将となったエヴグラフは孤児で洗濯女ターニャという娘を探しあてました。エヴグラフはターニャから生い立ちを聞き、ラーラからの情報を合わせ、ターニャがジバゴとラーラの娘であることを確信します。
エヴグラフはターニャがこの大動乱のよくぞ生き抜いたと感動し、今度こそ幸せになって欲しいと救いの手を差し伸べたのでした。

 

【参考】
小説と映画の違う点

 

一.映画は異母弟エヴグラフがジバゴとラーラの娘トーニャ(小説はターニャ)を探しあて、トーニャに両親の物語を聞かせるところから始まります。

 

二.物語が終わってもトーニャは半信半疑でした。エブグラフもジバゴの娘という確証を得られないまま帰します。
しかし、2階から見送るエヴグラフは“はっ”と気がつき確信します。エバグラフはジバゴの母親のことを知っていたからです。映画のシーンにはさりげなく現れていました。

 

三.小説ではジバゴはラーラと別れてから養父一家の下男の娘「マリーナ」を内縁の妻とし、身の回りの世話をしています。

 

--- 平成29年9月27日 ---