2022年4月前半から6月後半までの各国新型コロナ感染状況

各国コロナ感染者&ワクチン接種推移表_220621

各国1万人当たりの感染者数表

日本の新型コロナ感染者は2月8日の10万1千人から4万6千人に減少した3月21日に「まん延防止重点措置解除」しました。(①~②)

すると、3日後の3月24日の3万9千人を底に増加に向かい4月14日の5万人まで拡大、これをピークに減少に転じました。(③~④)

 

しかし増加に転じる底の感染レベル3月24日の3万9千人まで減少したのは4月28日でその感染レベルまで回復するのに35日間かかりました。

(③(底、反転増加)~④(ピーク、反転減少)~⑤(③の底レベル到達まで35日間)

 

4月14日の5万人のピークから減少に入り、4月29日のゴールデンウィークに入ってからも減少が続き、5月6日2万4千人を底にまで減少した時点で、再び反転し拡大に入りました。

(④(ピーク)~⑥(底、反転増加))

そして、5月14日4万人まで感染拡大した後、ピークアウトし、減少に入りました。(⑦(ピーク、反転減少へ)

 

増加に転じる直前5月6日の2万4千人の感染レベルまで減少したのは6月1日26日間かかりました。

⑥(底、反転増加)~⑦(ピーク、反転減少)~⑧(⑥の底レベル到達まで26日間)

その後も減少は続き、6月21日現在1日感染者は1万4千人でゆるやかな減少を続いている状況です。

まとめると

① 2月 8日  10万1千人  ピーク

② 3月21日  4万6千人  まん延防止重点措置解除

③ 3月24日  3万9千人  底、反転増加へ

④ 4月14日  5万人        ピークから減少へ

⑤ 4月28日  3万9千人  減少中で増加に転じた底までの回復期間35日

⑥ 5月 6日  2万4千人  底、反転再び増加へ

⑦ 5月14日  4万人       ピークから減少へ

⑧ 6月 1日  2万4千人  減少中で増加に転じた底までの回復期間26日

⑨ 6月21日  1万4千人  減少中

 

2月から6月末までの5カ月間で感染拡大が2回あり、回復に61日間(約2カ月)かかり、マスク・手洗い・外出自粛など精神的苦痛は2カ月余分に強いられたことになります。

 

以上は2月から6月までのやや詳細の日本の感染動向ですが直近の4月から6月までの半月間の平均値で欧米・韓国の感染動向を分析すると日本とほぼ同様で感染の終息まだ見えませんが、一貫して緩慢な減少傾向にあります。

(コロナ感染による1日死亡者は百万人当たり1人以下でリスクはより減少しています。)

 

上記表の6月1日のワクチン接種率は2回目接種率(完全接種率)を表しています。

(完全接種:必要な接種回数)、(追加接種=ブースター接種:3回目、4回目接種)

欧米・韓国のブースター接種率(3回目接種率)は完全接種率(2回目接種率)の80%前後に達しており、また、4回目も進んでいるため、1万人当たりの一日感染者数は日本より多いですが、死亡リスクは低下しているとして、外国人の受け入れ制限はほぼ全面解除しているようです。

 

日本の3回目接種率は6月21日で61%とまだ完全接種率レベルに達してなく、4回目も1%以下ですが、感染減少は続いているとして、制限付きで6月10日から外国人受け入れを始めました。

 

【素人作成の制限解除基準】(本ブログのみ有効)

日本が外国人受け入れ制限だけでなく、すべての制限を解除する1日感染者数の基準「1万人当たり0.1人以下が10日から15月(半月程度)続く」と本ブログで設定します。

(3回目ワクチン接種率約80%や治療薬投与体制整備が済んでいることが前提)

 

現在、日本の人口は1億2千6百万人なので一日感染者が1000人以下が10日から15日(半月程度)続く時期は何時頃になるか、見届けたいと思います。

 

各国百万人当たりの死亡者数表

 

2022年7月の暦とおしりかじり虫

2022年7月の暦

上記は一足早い7月の暦です。

 

2022年6月21日の今日は二十四節気夏至で1年で昼が最も長い日です。そして、2022年6月21日は月齢はちょうど下弦となりました。旧暦では5月23日に当たります。

ちなみに新暦2022年6月29日の月齢は新月になるため、旧暦では6月1日になります。

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【2022年7月の暦】

NHKみんなうたで2007年5月ののっぽさんが歌うグラスホッパー物語に続いて6月にへんてこなアニメキャラクターが歌う「おしりかじり虫」が登場しました。

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一瞬、ピーナツに手足が付いたようなキャラクターがナンセンスな歌を歌っているように思いましたが、“おしりかじり虫がおしりとおしりでお知り合い、カバとカバとでかばい合い”と歌いながら踊る姿に親近感を覚え、現在ではなくなりつつある親切なお節介や他人に対する思いやりが感じられ、心がほっこりしたことを思い出しました。

 

作画・作詞:うるまでるび(作曲は松前公高氏とコラボ)

作曲・編曲:松前公高

振付   :南流石

 

2022年6月16日の”Internet Explorer”サービスの終了とパソコン・インターネット黎明期の思い出

コンピュータの黎明期と発展

インターネットの超概略史

2022年6月16日をもって、Microsoftのインターネット用のブラウザ(閲覧ソフト)”Internet Explorer”のサポートが終了となり、Microsoft Edgeに全面移行となりました。

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1972年の大型コンピュータはメインメモリ80KBで、現在(2022年)のパソコンのメインメモリ4GBと比較しても20万分1の容量でした。

しかし、大型コンピュータはレンタル料月額1000万円に対し、現在のパソコンはレンタル料換算で月額5000円程度です。

当時は大型コンピュータといっても現在のパソコンメモリの20万分の1なのに価格は2000倍という高額でした。50年間の技術進歩に目を見張るばかりです。

 

1957年ソ連の人類初の人工衛星スプートニク打ち上げ、1962年キューバ危機、1965年ベトナム戦争など冷戦真っただ中の1969年にアメリカはアポロ11号による人類初の月面着陸を成し遂げ、テレビ中継をみた私を含め世界中が驚き、アメリカは宇宙技術でトップを走っていたソ連にようやく追いつき追い越し、国民はアメリカの底力を見せたと大いに満足したといいます。

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そして、同じ年の1969年、ソ連によるアメリカ本土攻撃に備え、ICBM、潜水艦、軍艦、航空機など兵器の設計図など重要書類を各地に分散保存し、必要時に瞬時に入力・保存・検索・表示・出力できる通信ネットワークシステムARPANET計画の研究を開始しました。

そして1991年に完成したARPANETを民間に開放したのが”Internet”だったのです。

 

アメリカではInternet接続業者(プロバイダー)がサービスを開始すると利用者が急激に増加してきました。日本では1993年にプロバイダーのサービスが始まり、internet利用者が徐々に増加していきます。

1995年にMicrosoftはInternetを閲覧するソフトウエア”Internet Explorer” を搭載したWindows95のパソコンを販売すると、その使い易さにたちまち全世界に広まっていきました。

その後、コンピュータ機器、通信技術、半導体技術が進歩し、それに加え、新しい分野に利用するためのソフトウエアが次々と開発され、コンピュータ利用者や技術が飛躍的に伸びていき、現在では世界中のほとんどの人にとってインターネットはなくてはならないものになりました。

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2022年6月13日までの新型コロナウイルス第6波による国内感染状況

国内コロナ1日感染者数推移

国内コロナ感染入院死亡推移

国内コロナ累積感染推移

コロナワクチン接種推移

年齢別コロナワクチン接種状況

新型コロナウイルスの変異ウイルス「オミクロン株」による第6波は28日の国内1日感染者数101,286をピークに減少に転じました。

(一日当たりの新規感染者=1日感染者)

 

減少が続き、321日に国内1日感染者数(以下7移動平均46,204まで減少しました。そして3月21日にまん延防止等重点措置を解除しました。

 

しかし、このころからオミクロン株がさらに変異したBA.2よる感染が顕著になり、制限解除後の5日後の3267,289の1日感染者を境に感染が拡大してきます。

 

2回目ワクチン接種後を終えた高齢者は80%を越えました。しかし、5カ月以上経過し、免疫効果低下している高齢者は多くおり、3回目接種率の接種率が10%未満と上がらないため、高齢者の感染が拡大すると思われました。

 

しかし、高齢者や中高年の感染率の増加はそれほどなく、オミクロン株の変異株(亜種)BA.2は若い世代、特にこれまでにない子どもに感染を拡大していきました。

 

そして、20歳代、12歳~19歳の2回目ワクチン接種率が70%越えた414日に国内1日感染者49,971をピークに減少に転じ、56日の24,384まで減少しましました。

 

しかし、減少とともに全人口の国内ワクチン接種率80%を越え、安心感とゴールデンウイークを迎えたこともあり、56日の24,384から再び、増加に転じ、514日の39,978まで増加し、ここをピークに減少に転じました。

 

2022年6月13日の一日の国内感染者の7移動平均14,545まで減少しました。

6月13日の一日の国内感染者の生データは7,956で1万人を下回まわったのは1月11日以来と読売新聞は伝えています。

 

感染状況をまとめ

 

感染者数の7日移動平均

2月 8日  10万1,286人  ピーク、オミクロン株

3月21日  4万6,204人  まん延防止等重点措置解除

3月26日      7,289人  最低減少

4月14日  4万9,971人  ピーク、BA.2、まん延防止等重要措置解除など影響

5月 6日  2万4,384人  最低減少

5月14日  3万9,978人  ピーク、ゴールデンウイークなど影響

6月13日  1万4,545人  減少中

感染者数の政府報告値

6月13日      7,956人  生データ

 

政府は6月10日から外国人観光客の受け入れをおよそ2年ぶりに再開しました。

ただし、添乗員付きツアー客限定です。

 

中国のように徹底したゼロコロナ対策を実施しても感染を抑えるのが難しいところをみると外国人観光客を前面受入れできる安全圏というものはなく、常にリスクはあるものとして、国内感染者数による判断だけではなく、ワクチンの3回目、4回目の接種率と医療体制と社会・個人の対策などを勘案した総合的な判断しかないと思われます。

 

国内コロナ1日死亡者数推移

国内コロナ累積死亡者推移

 

浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)鞘当(さやあて)の場の渡り台詞(わたりぜりふ)

鞘当

刀由来のことばについて

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刀由来のことば「鞘当て」から2006年に神田神保町の古本屋で購入した「芝居せりふ集」を思い出し読んでみました。

 

不破伴左衛門と名古屋山三(さんざ)がすれ違いざまにこじり(鐺)が当たり、互いに言い合う七五調の歯切れの良い「渡り台詞(わたりぜりふ)」にすっかり、はまってしまい、絵を描いてしまいました。

(渡り台詞(わたりぜりふ) : 歌舞伎の一続き(ひとつづき)の台詞(せりふ)を数人で分けて順次に言うもの)

 

「鞘当の場」は文政6年(1823)鶴屋南北の「浮世柄比翼稲妻(うきよ づか ひよくのいなづま)」を脚色した長い歌舞伎の一場面でしかないので全体像を知りたくなり、調べてみました。

 

しかし、数日の調査では内容全体を記載した資料やWeb記事を見つけることはできず、また、「鞘当の場」の一場面の資料でも台本の一部分とそれを解説したものでした。

 

おそらく江戸時代から全部通しで上演されることは少なく、人気の幕や場だけが演目として残り、現在に受けついできたからだと思われます。

 

結局、全体像はわからず、説明は明治31年(1898)10月歌舞伎座で上演したときの「鞘当の場」(参考2)の渡り台詞と概要だけになってしまいました。

 

【浮世柄比翼稲妻について】

文政6年(1823)鶴屋南北作の「浮世柄比翼稲妻(うきよ づか ひよくのいなづま)」は全9幕19場の長丁場の歌舞伎ですべて上演されることはほとんどないことがわりました。

ここでは「鞘当の場」の渡り台詞(わたりぜりふ)」の三分の二を取り上げます。

 

【仲之町鞘当の場の概要】

東海道境木(現在の保土ヶ谷区境木本町)の佐々木家の家臣:名古屋家と不破家

*不破伴左衛門(ばんざえもん)は名古屋山三(さんざ)の父山左衛門を殺害、伝家

 の名刀を盗む。

*名古屋山三は佐々木家の腰元「岩橋」と不義を働き、浪人となる。

*不破伴左衛門も岩橋に横恋慕していたことが知れて追放される。

*岩橋は山三の貧しい浪人暮らしを見兼ね吉原の遊郭に身を売る。

*吉原で評判の花魁「葛城(かつらぎ)大夫」となった岩橋を稲妻組の頭分となった

 不破は強引にわが物にしようとする。

*春爛漫の元禄江戸吉原仲之町大通りの引手茶屋上林の前で目関笠の二人がすれ違い

 ざまに鞘が当たり、口論となる。

*寛闊出立:かんかついでたち、派手な衣装や恰好、伊達男

*名古屋山三元春は明度が高い薄青色である縹(はなだ)色地に「雨に濡れ燕」の衣装

*不破伴左衛門は黒地に「雲に稲妻」の衣装

*白茶宇袴:しろちゃうばかま、白い茶宇縞(ちゃうじま、薄地の絹織物)の袴

*両者共に目関笠(深編笠)

*白柄組:水野十郎左衛門らの旗本が徒党を組んだその組の名称。

*伊達小袖:伊達な模様の小袖。

*陀々羅大尽:だだらだいじん、だだら遊びというのは湯水のように無茶苦茶にお金

       を使う人、客。

*往還:往来、大道。

*六法:六方、歌舞伎の歩きぶりの一つの芸で、元禄風俗をあらわしたもの。

*よしや男:派手な格好をした伊達男。

*上林:仲之町の引手茶屋の名前、上林の女将はお福。

*昔男の光る君:源氏物語の主人公光君のこと。典型的な二枚目の好男子。

*ひが目:めちがい。

 

【鞘当の場の渡り台詞(わたりぜりふ)と長唄(ながうた)】

  〽花の雨、濡れに廓(くるわ)のあかつきに、

  傘(からかさ)売りの風流も、

  遠い昔の伊達姿、白茶宇袴(しろちゃうばかま)、鼻平太、

  土手の小室(こむろ)の行き合いに、手綱(たづな)とりんず、

  すがたかたちでぞめきは夜の花に鐘、そこ退き給え長刀。 

 

不破:遠からん者は音羽屋(おとわや)に聞け、近くば寄って

   目にも三升(みます)の寛闊出立(かんだついでたち)。

   今流行の白柄組(しらつかぐみ)。

   通い廓(くるわ)の大門を、入れば即ち極楽浄土、

   虚空に花の舞いわたり。

山三:歌舞の菩薩の君たちが、妙(たえ)なる御声(みこえ)音楽は、

   誠(まこと)や天女の天下(あまくだ)り、

   花ふりかかる仲之町、色に色あるその中へ、

   ごろつき組か雷(いかづち)の、

不破:これを知らずや稲妻の、初(はじ)まり見たか不破が関、

   せきにせかれて目関笠(めせきがさ)、

   振られて帰(けえ)るか、

   雨に鳥、

山三:濡るる心の傘(からかさ)に、ねぐら貸そうよ濡れ燕、

   濡れにぞ濡れし彼(か)の君と、

不破:競(くら)べ牡丹の風俗は、

山三:下谷、上野の山かずら、

不破:西に富士が嶺(ね)、

山三:北に筑波(つくば)、

不破:思い競(くら)べん、

両人:伊達小袖。

 

 〽色にいかめし、銀こじり、野暮は垣根の外構え、二万七百六十余塀(へい)、

  不夜城に三年(みとせ)の桜の色くらべ、意気地くらべや無理くらべ、

  気を春霞(はるがすみ)に二本柳(ふたもとやなぎ)、

  道の街(ちまた)の粧(よそお)いは、風情ありけり次第なり。

 

山三:刀の鐺(こじり)、捕(とら)えし御方、

   こりゃ何とめさる召さるる。

不破:これやこなたへ御免なされい。

   身はこの廓(さと)に通いつめ、

   人も知ったる闇の夜に、吉原ばかり月夜かな、

   ことに夜桜まばゆくも、咲き揃うたる仲之町、

   この往還(おうかん)をよけずして、何で身どもがこの鞘へ、

   武士の 鞘当、挨拶さっしゃい。

山三:そりゃこの方より申すこと。大道(だいどう)広き往還を、

   我が物顔の六法は、よしや男の丹前姿、

   模様も雲に稲妻は、もしや噂のそこもとが、

不破:今この廓(さと)に隠れなき、稲妻組の関大尽。

   その名も高き富士筑波、心にたがえば闇雲に、

   抜けば玉ちる剣(つるぎ)の稲妻。

山三:その模様とは事変わり、雨の降る夜も風の夜も、

   通い廓(くるわ)の上林(かんばやし)、

   夜の契りも絶えずして、明くるわびしき葛城(かつらぎ)と、

   しっぽり濡れん濡れ燕(つばめ)、無法無体の行きちがい、

   避けて通すも恋の道。

不破:そこをそのまま通さぬが、稲妻組の達衆(たてしゅ)の意地づく。

山三:稲妻組の頭分(かしらぶん)、関大尽(せきだいじん)とお言やれど、

   実は不破の伴左衛門、包むとすれど物腰恰好(ものごしかっこう)。

不破:その声音(こわね)こそ覚えある、昔男の光る君、

   名古屋山三と見たはひが目か。

山三:面(おもて)を包む目関笠、取って貴殿の御面相(ごめんそう)。

不破:痩(や)せ浪人のこなたの面体(めんてい)、まずその笠も。

山三:貴殿の笠も。

不破:いざ。

山三:いざ。

両者:いざ。

不破:思うにたがわぬ名古屋元春。

山三:さ言うは不破の伴左衛門。

不破:絶えて久しき対面に、

山三:場所も多きに吾妻(あずま)なる、

不破:花の中なる花の頃、

山三:折よく此処(ここ)で、

両人:逢いましたなあ。

山三:今行き違いの鞘当が、縁となったるこの出合い、

   して、そこもとには用ばしあってか。

不破:貴殿に用とは別儀(べつぎ)でない、通いつめたる葛城を、

   身が相方(あいかた)に貰(もら)いたい。

山三:その儀ならば相ならぬ。

   一旦約せしあの女、たとえ刃金(はがね)がなまるとも。

不破:いいやなまらぬ某(それがし)が、刀にかけて葛城を、

   申し受けます貰(もら)います。

   さよう心得すみやかに。

山三:貰(もら)いかけられ侍(さむらい)が、しからば貴殿に進上と、

   申したけれどそりゃならぬ。

不破:ならぬとあれば看板の、雲に稲妻剣(つるぎ)の光り。

山三:貴殿の剣の稲妻より、その前方(まえかた)に山三めが、

   身に降りかかる濡れ燕。

不破:見事(みごと)御身(おんみ)が、

山三:おんでもないないこと。

不破:何を。

 

【鞘当の場の結末】

*葛城を渡せ渡さぬと互いにゆずらず両人はついに刀を抜いて斬り合いになる。

*そこへ引手茶屋上林の女将お福が止めに入る。

*不破は一度抜いた刀を血を見ずに納めるのは武士の沽券にかかわるなどごねる。

*お福は互いに刀を取り替えそれぞれの鞘に納めて引き分けよと両人を納得させる。

*不破の刀は山三の鞘に、山三の刀は不破の持つ鞘にぴったりたりと納まる。

*通常、日本刀はオーダーメイドなので別の鞘に収まることはめったにない。

*山三は我が家から盗まれた刀であり、父の敵であることに気付く。

*山三は刀を納めたこの場ではかたき討ちはできないとまたの機会を待つことにした。

*両人はお福に礼を言い立ち去ります。

 

ここで【鞘当の場】に幕が下ります。

 

【参考】

1.「芝居せりふ集」、(編集)演劇界出版部、演劇出版社、1991.09.15

2.「名作歌舞伎全集 第九巻」、戸板康二、利倉幸一、(監修)河竹登志、(株)東京創元社、1969.04.25

3.「歌舞伎の名セリフ」、(編集)藤田洋、(株)、東洋書院、1988.11.28

 

2022年6月の暦とグラスホッパー物語

2022年6月の暦

子供たちに新しい物事に「挑戦する気持ちや勇気を持つ大切さ」と人間が本来持っている「やさしさ」を歌った「グラスホッパー物語」は2005年12月から2006年1月にかけて「NHK みんなのうた」で放送され、人気を博し、あまりの人気に再放送が続き、8カ月というロングランとなりました。 また、DVD・CDもベストセラーとなりました。

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グラスホッパー物語の人気が大きかったため、シリーズ 第2弾、第3弾が放送され、グラスホッパー物語3部作となりましたが、第1弾ほどの人気が出なかったようです。

 

第1弾の「グラスホッパー物語」はたまたま教育テレビでみて知り、人気が出たことからブログに載せましたが、普段教育テレビを見ない私は第2弾、第3弾が放送されたことをまったく知らず、今回の調べて初めて知りました。

 

今回、 グラスホッパー物語 3部作をYouTubeまとめて聴いてみました。

 

2007年04月〜05月 グラスホッパー物語シリーズ第2弾「ハーイ!グラスホッパー

子供たちにあいさつがたいせつであることを伝える歌。

2009年10月〜11月 第3弾「グラスホッパーからの手紙 ~忘れないで~」

失われゆく自然、すみ家を追われる虫たちの切実な声を「人間の皆さんへの手紙」にして伝える歌。

 

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【参考】

1.「グラスホッパー物語」歌・作詞 高見のっぽ、作曲 松本俊明、編曲 宮川彬良みんなのうたNHK Webサイト

2.「ハーイ!グラスホッパー -」歌・作詞 高見のっぽ、作曲 松本俊明、編曲 宮川彬良みんなのうたNHK Webサイト

3.「グラスホッパーからの手紙 ~忘れないで~」歌・作詞 高見のっぽ、作曲 松本俊明、編曲 宮川彬良みんなのうたNHK Webサイト

 

日常生活に使われることばの中に日本刀由来のことばが多いことを再認識しました。

日本刀の各部名称

日本刀

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2022年5月2日、「徒然草を楽しむ会」の終了後、講師の武田先生に誘われて野田市郷土博物館で4月9日(土)から5月29日(土)まで開催されている日本刀展「刀百姿-彩(いろ)褪(あ)せぬ日本刀の燦(さん)-」を見学しました。

 

見学しながら、少なくとも60年以上手入れしたことがなく、錆びついた備前長船(びぜんおさふね)が実家(山形県西置賜郡小国町)にあることを思い出したので解説員の方に聞いてみました。

 

備前長船は現在の岡山県の長船という地域の刀鍛冶が作った刀で、長船地域は鎌倉・室町時代から日本でも有数の刀の生産地で、現在でも他の生産地と比べ、多く残っているそうです。

 

刀身の元(茎[なかご])に銘があることを今回初めて知りましたので実家の刀は備前長船と親から聞いているだけで確認はしておらず、鑑定書(折り紙)は見当たりません。錆が2か所あり、1か所はひどい錆がある上、大量生産品と思われるのでやはり価値はほとんどないと思いました。

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親の代から手入れをしていないため伝家の宝刀?(いや普通の刀です)を伝家の駄刀にしてしまい、結局、親子ともども身から出た錆となりました。

 

見学して刀剣本体の良し悪しはよくわかりませんでしたが元禄時代の刀の付属品の笄(こうがい)や小柄(こづか)や目貫に施された緻密な模様の金細工に驚きました。

 

そして解説書に記載されていた日本刀由来のことばに興味があったので日本刀の部分の名称と日本刀を語源とすることばを調べ記載してみました。

 

【参考】

1.「日本刀展 刀百姿」、主催 野田市美術刀剣会、野田市郷土博物館、2022.4.9~5.29

2.「日本刀展 目録&ガイドブック」、野田市美術刀剣会、2022.4.9~5.29

ガイドブック