再会のきっかけとなった35年前の送別記念色紙

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I社で私と一緒だったWTさんは非常に優秀な人で人脈も広く、7年前にヘッドハンターがかかり、I社からSA社の販売部長に迎えられました。

 

私の次男はソフトウエア会社C社(B社から社名変更)の営業におりますがこの会社の社長のMさんはWHさんと1985年頃I社の本社システム部門で仕事を通じて知り合い、現在も親交を深めているそうです。

 

Mさんを通じWTさんとお会いした次男は彼の豊富な知識、人脈にほれ込み、敬愛するようになったようです。そんなこともあり、8月22日に私はWTさんに夫婦同伴で7年振りにお会いしました。

 

思い出話や懐かしい話をしているうち、1972年I社徳山工場電算室(山口県周南市)でWTさんの仕事をしていたソフトウエア会社IW社のMHさんが当時I社電算室員から贈られた送別記念の色紙のコピーを持って35年振りにWTさんを訪ねてきて見せてくれたそうです。

 

そして、私はまったく忘れていましたが私が色紙に描いたマンガのコピーをこの席で見せてくれました。そのマンガを見て当時のことを次から次へと思い出しました。

 

1972年はオイルショックの前年であり、高度成長を続けていた時代で会社も社員も余裕があり、伸び伸びと仕事をしており、初めてマンガを描くようになったのはこの頃でこのマンガは私のマンガの原点であると確信しました。

 

35年前の汎用コンピュータ

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MHさんは現在、山口県下松市にあるソフトウエア会社S社の社長に就いており、現在、転勤で広島にいる次男はWTさんにMHさんを紹介されていますが、それとは関係なくなつかしさのあまりMHさんに是非会いたくなりメールを送り合うことにしました。

 

そして、9月3日18時徳山駅に行きました。35年前の顔しかわかりませんのでドキドキ、ワクワクしました。お会いしたらお互い年をとっていましたが面影は残っていました。

 

2年当時の話からその後の経緯、近況など本当になつかしく楽しいひと時を過ごしました。メールに私のブログのアドレスを連絡していたので見ていただいており、ほめていただき勇気づけられました。

 

WTさんと三人で東京で会うことにして別れました。