1979年プリンストン大学の学生が製造費2000ドルの小型核爆弾の製造法を発表

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1970年代に反体制派を虐殺したウガンダのアミン大統領についてのマンガを昨日のブログに載せましたが同じ頃描いたマンガが当時のメモと資料とともにありましたので紹介します。

 

1975年、19歳のビルゲイツマイクロソフト社立ち上げ、1976年にアップル社が世界でパソコン第1号を発表しました。

yaseta.hateblo.jp

日本ではNECが「TK-80」というマイコンキットを発売し、マニアの間では人気をよびました。

 

1978年に日本でパソコン第1号日立のベーシックマスタを販売し、1979年にNECがPC8001を発売しました。

 

1976年、アメリカのプリンストン大学物理学科3年のジョン・フィリップスという学生が既に公開されている資料だけでわずか2000ドル(当時の換算で日本円60万円)で小型の原子爆弾が製造できるという「小型核爆弾の製造法」という論文を学内で発表し、大騒ぎになったと報道されました。

 

論文の副題に「プルトニウム爆弾の設計を試みるテロ集団または非核保有国の直面する問題と可能性の検討」とついており、この通り製造するとテロ集団でも広島型原爆の三分の一の規模の威力を持つ核爆弾が作れる可能性があると述べられていたそうです。

 

アメリカ政府はこの論文を極秘扱いにするように学校側に伝え、学内に配布した論文は肝心な部分を削除されたものだったそうです。

 

当時、ビルゲイツという19歳の学生がBASICというプログラム言語をつくり、また、ジョン・フィリップスという大学3年生が原子爆弾製造法の論文を書いたと聞き、アメリカには凄い人がいるものだと驚いたものでした。