34年前のコンピュータについての思い出

イメージ 1

現役時代勤務していた会社のKTさんから、退職後も継続勤務しているTTさんが勇退されるので、色紙に入れるTTさんの20代の写真をスキャナーで撮って送って欲しいとのメールが入った。

探し出し、1972年(昭和47年)の会社の所内報の計算室紹介記事と写真を送った。

1972年は私は山口県徳山市(現、周南市)にある工場の製造部門から同工場の計算室に異動し、紹介記事の写真にTTさんと一緒に写っていた。(あの時、私は27歳、若かったなあ。)

紹介記事を読みながら当時のコンピュータのことを残日録に書いてみることにした。

1970年頃に富士通は商用のコンピュータをトランジスタ回路(第二世代)からIC回路(第三世代)にした汎用機FACOM230シリーズを世に出だしました。

1972年に工場に入ったコンピュータはそのシリーズの小型汎用コンピュータFACOM230-25でした。

メインメモリはたったの24キロバイト(24KB)でした。
なにしろ、大型汎用機FACOM230-60でさえ、メインメモリが80キロバイト(80KB)の時代だったのです。

ハードディスクに相当するものが磁気ドラムで容量は1メガバイト(1MB)、外部記憶装置としての磁気ディスクは48メガバイト(48MB)しかありませんでした。
経理データや給与データなど大量のデータはオープンリールの磁気テープ装置に保存していました。

小型汎用機でレンタル料が月100万円、大型汎用機で月1000万円の単位の値段でした。(*1)

現在のパソコンのメインメモリは800メガバイト(800MB)でリース料は月5,000円位(買取10万円位)ですから驚きです。

あの頃のコンピュータや外部装置は人の高さ位あり、横は人の幅の2倍はありました。そのうえ、温度が高いと計算が狂うので、部屋は20度前後でコントロールして、人間より、大切に扱われていました。体脂肪が標準よりマイナスの私の方が耐えられず、体の温度調節機能を狂わせ(熱くともあまり汗をかかない)、回復するのに10年以上かかりました。

(*1)値段の概略は1983年に買った参考書「価格の世代推移とデバイス技術比較」を参照しました。)