6月2日、日本テレビ午後11時10分「未来創造堂」という番組で1978年(昭和53年)に爆発的に流行した「インベーダーゲーム機」の開発の再現ドラマをみました。
当時(株)タイトーの社員だった西角友宏氏がアメリカのアタリ社のブロック崩しゲーム機を切り崩すために開発したそうです。
当初、西角氏は苦労の末、これまでとまったく発想を変えたスペースインベーダーゲームを開発します。
社内では操作が難しすぎ、売れないだろうという評価でしたが、いざ販売すると、ゲームセンター、喫茶店、銭湯屋などの顧客から注文が殺到し、全国に人気が広がり、一大ブームを巻き起こしました。
地方の場合、インベーダーゲームは東京より、遅れて人気がでましたが、1979年になっても依然ヒットを続けていました。
今日のブログは1979年6月に東京サミットが開かれたことをマンガにしてI社所内報の1979年7月号に投稿したものを登録しました。
インベーダーゲームがあまりの人気のため、いろいろ社会に影響をあたえました。
当時のテレビのバラエティ番組に取り入れられたり、新聞や雑誌のコラムやマンガの題材になり、子供はゲームセンターに入り浸りになり、問題を起こしたりしました。