そして、イタリア北部のボルツアーノの南チロル考古学博物館に完全な姿を残す人類のミイラとしては最古のものとして保管され、研究されています。
2007年5月アイスマンが背後から矢で射られて死んだという説を裏付ける論文が発表され話題になっているとNational Geographic日本版2007年7月号に載っていました。
これまで、体内から検出された微量の古代の花粉からアイスマンが森を駆け抜けて近くの山に入り、息をひきとった年代を推定されました。
ミイラの骨格などから背が低く、がっしりした体格で、亡くなったときは40代半ばだったことが推定され、貴重な銅刃の斧を持っていたことから社会的な地位がかなり高い人物だったと推察されています。
また、衣服は3枚重ね着しており、底が熊皮でできた丈夫な靴を履はいており、装備は先端が火打ち石でできた短刀や火おこしの道具を携え、火種として使う燃えさしをカエデの葉で包み、カバノキの樹皮でつくった容器に入れていたと報告されています。
2005年8月ボルツアーノ中央病院で最新のマルチスライスCTスキャン装置で分析した結果、火打ち石と思われるとがった石の小片が、アイスマンの左の鎖骨下動脈に1センチもの深手を負わせていたことが判明しました。
これでアイスマンを殺した人物は後方下側から1本の矢を放ち、左の肩甲骨を傷つけ、3000mの高地で脳に供給される酸素が極度に不足し、倒れ、意識を失い、出血多量で死んだということが分かりました。
しかし、アイスマンに致命傷を与えた矢の柄が発見されていないという謎が残っていましたが、2007年5月にドイツの考古学雑誌「ゲルマニア」に掲載された論文で、エガーター・ビゲルらの研究グループはアイスマンを殺害した人物は証拠隠滅のために柄を抜きさったと発表しました。
その後、インスブルック大学の考古学者で、弓矢と石器時代の文化に詳しいワルター・ライトナーも「犯罪説」を主張していました。そして、今回の事実で「人類最古の殺人事件」の原因が確認されました。ライトナーは部族内の抗争でアイスマンを暗殺しようとする動きが起き、最終的にアルプスの山頂で血なまぐさい殺人事件という結末を迎えたのではないかと考えました。
そして「アイスマンの政敵は力をつけてきていたのだろう。しかしアイスマンは自分の権力が奪われる陰謀に気づかず、地位に固執したのだと思われる」。村での戦いのあと、「アイスマンは逃亡を計画したが、政敵によって行く手を断たれてしまったのだろう」とライトナーは推測しています。
石器時代の生活や死因についてさらなる事実を求めて、現在もイタリアの南チロル考古学研究所で調査が続けられています。