明治の政治家「近衛篤麿」公爵が評論した「ラファイエットとガリバルディ」

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明治時代の政治家「近衛篤麿(あつまろ)公爵」(1)は藤原氏の流れをくみ鎌倉時代に成立した公家の最高位の家柄(五摂家)の人物で日本の近代政治の確立に貢献しました。第二次大戦前半に首相を勤めた近衛文麿(ふみまろ)(2)の父でもあります。

 

明治32年発行の明治名家「古人評論」に近衛篤麿公爵がラファイエット(3)とガリバルディ(4)という人物の評論文を載せていますので紹介します。

 

参考 明治名家古人評論「上杉謙信

yaseta.hateblo.jp

下記評論文はラファイエットをラ・フエツト、ガリバルディガリバルヂーと表記しており、原文のまま記載します。

 

【明治名家古人評論「ラ・フエツトとガリバルヂー」】 執筆者 公爵 近衛篤麿

 

天地淑霊(しゅくれい)の気、磅礴鬱積(ほうはくうっせき)して偉人を生(せい)す、國(くに)之(これ)に由って興(おこ)り、政(まつりごと)之(これ)に依って立ち、民(たみ)之に因って安んじ、威(い)之に據(よ)って震(ふる)う。

 

天下偉人の生ずる豈(あに)偶然ならんや、東西幾千里、古今何千年、攻城野戦、武を以って名を顕(あら)はしたるもの、其の人に乏しからず、然(しか)りと雖(いえど)も千載の下、余をして追慕措(た)く能(あた)はざらしむものは、寥々晨星(りょうりょうしんせい)の憾なき能(あた)はず。余は其の人を東洋に求めずして西洋に求む。即ち、佛のラ・フエツト及び伊のガリバルヂー其の人也。

 

ラ・フエツト高門の身を以て、弱冠の齢(よわい)を以って、孤剣飄然(こけんひょうぜん)、身三軍の帥(すい)となり、敢為勇奮(かんいゆうふん)、北米に猛進し、或(ある)いは矛(ほこ)を杖にし、銃を枕にし、或(ある)いは腥風血雨(せいふうけつう)の間を冒(おか)し、百折(ひゃくせつ)屈(くっ)せず千挫(せんざ)撓(たゆ)まず、以って彼れ民衆の苛政に苦しみたるを救ひ覊絆(きはん)に制せられたるを脱し、遂に自由の光輝、高く太平洋上に炯炯(けいけい)たるを致せり。

 

彼のバンカー岡の月、ボストンの雪も、今は自由の花となり、憲法は制定せられ、自由共和の政体は建つ。実に1780年なりし也。若し彼なかりせば、ワシントンも其の偉功を奏すること能はず、フランクリンも亦其の建議を全うすること能はざりし也。斯(かく)の如(ごと)く澒烈(こうれつ)を天下に振るひ、雄勲を萬世(ばんせい)に伝ふ、豈(あに)絶対偉人にあらずや。

 

回顧すれば、当時佛國(フランス)の物議騒然、挙世滔々(きょせいとうとう)、平等主義の渦中に陥り、信義は地に落ちたり。彼の美なるパリーの帝都は荒涼凄惨(こうりょうせいさん)、殺気(さっき)空(くう)に横(よこ)たはる。

 

此時に方(あた)り、獨(ひとり)自由主義を叫びしは斯(この)人にあらずや、而(しか)して革命の乱起こるや、独立不覊(ふき)偏黨(へんとう)せず、以って満腔(まんこう)の誠忠(せいちゅう)を君に致す。

 

炳焉(へいえん)として日星(じっせい)の如きものは斯(この)人にあらずや、彼れ進んで米國独立の偉業を千載に垂れしこと斯(かく)の如く、彼れ退いて乱離紛々(らんりふんふん)たる佛國に於いて自由主義を叫び、以って誠忠を君に致せしこと亦斯の如し、豈(あに)絶対偉人にあらずんば、誰か能(よ)く之を為さんや。

 

唯(ただ)見る落々(らくらく)たる残村、朝(あした)に藻塩(そうえん)を求め、夕べに魚網を執りたる一寒村漁夫の子にして、堂々其の名天下を震動す。是(これ)亦(また)絶対偉人たるガリバルヂー其の人にあらずや、羅馬(ローマ)帝國覆滅以来伊國(イタリア)は地理学的名称に過ぎずして、唯地中海に突出したる長靴國土たりしのみ、憂國の士をして悲歌慷慨(こうがい)の裏に空しく一千載を経過せしめたり。

 

彼れ幑賎(びせん)なりと雖(いえど)も、國政乱れて麻の如き伊國晩年の危機に際し、彼は慨然として憂國の涙(なんだ)を拭ひ、奮然として決起し、或いは熱血を注いで國民長夜の眠りを撹破し、或いは勇往敢行、赤手(せきしゅ)を振って四方に転戦し、百挫千折険(ひゃくざせんせっけん)を踏み難を冒し、遂に第19世紀の下半期に於いて、断柱残礎の上に厳然たる新王国を建てたり。

 

精鋭五十余萬、軍艦二百六十余艘、鉄道六千哩(マイル)、面積十六萬方里、人口二千九百萬、立憲の美挙がり、独立の威震ふ、或いは三國同盟に入(い)って欧州政治の一大勢力となり、或いは佛蘭西(ふらんす)に抗衡(こうこう)して其の塁(るい)を靡(なび)かすの一大強國となりたるは、誠に彼れの偉勲に帰せずんばあらず、若し当時彼れなかりせは、マツヂニー(マッツィーニ)、カブール(カヴール)の二傑ありと雖も、能(よ)く一統の伊太利(イタリア)を建設すること能(あた)はざりしならん。

 

彼れ其の業成り功遂(こうと)くるや、謙退辞譲(けんたいじじょう)、王室の優遇も、養老の恩賜も、皆之を辞し、一剣飄然、心を宇宙の外(ほか)に置き、雲中の仙鶴の如く、去って復(また)カプラ(カプレラ)の孤島に帰り、或いは田園を耕し、或いは風月に嘯(うそぶ)き、悠々自適、以って余生を荒涼たる寒村、煙斜めに、霧横たはる処(ところ)に楽しむ。

 

その富貴栄華を見ること塵芥も啻(ただ)ならず、玲瓏透徹(れいろうとうてつ)、水晶の如き胸宇(きょうう)に至っては、天下誰か彼に及ぶものあらんや、蓋し(けだし)彼の侠名赫々(きょうめいかっかく)として天下を震動し、燦爛(さんらん)として人の耳目を射るは、独(ひとり)馬上の偉勲のみならず、実に清潔磊落(せいけつらいらく)なる気宇にあり。

 

然りと雖も、ラ・フエツトとガリバルヂーの二氏は、原(も)と是れ塵世(じんせい)のもの、焉んぞ(いずくんぞ)能く(よく)円満無垢を望むべけん、ラ氏の往々去就に惑うが如き、是れ識の足らざるに因る乎(かな)、ガ氏の閨門(けいもん)不治の如き、是亦徳の少なきに依る乎(かな)、然りと雖も時と処とは人の大観を異にするものなれば、是れ完璧の微瑕(びか)として深く咎むるに足らざるなり。余が唯二氏に取る所のものは、稜々たる一片の侠骨と玲瓏たる満腔の清廉在りて存す。

 

昔余が欧州に遊ぶ道、烟波渺茫(えんぱびょうぼう)たる太平洋上、戦艦の隠顕出没するを認め、端(はし)なくラ氏当年渡米の壮挙を追懐し、又コルシカ島とザルチニー島との間を過ぎ、遙かカプラ(カプレラ)島の孤島を眺め、徐に(おもむろに)ガ氏当年の偉業を想起し、追慕感慨に堪えざりき。

 

而(しか)して今や偶然斯人(このひと)を評するに当たり、静座沈思目を閉じ神を凝らし、当年の行を回顧せば、蒼波天に接する処、杳(よう)としてカプラ(カプレラ)島の人烟(じんえん)空(くう)に連なり、斯人(このひと)なる哉(かな)、斯人なる哉。

 

【言葉の意味】
淑霊(しゅくれい)の気:なにか好ましいはかりしることのできない力の気
磅礴(ほうはく):広くみちふさがるさま、広大でかぎりないさま
寥々晨星(りょうりょうしんせい):数少ない、稀なさまのたとえ
腥風(せいふう):殺伐な気、 覊絆(きはん):行動を束縛するもの
炯炯(けいけい):するどく光り輝くさま、 澒烈(こうれつ):大きな功績
挙世滔々(きょせいとうとう):世間の人残らず、一方に流れ向かうさま
而して(しかして):そうして、 不覊(ふき):束縛しない、自由
偏黨(へんとう):偏党、偏った仲間をつくる、 満腔(まんこう):体全部、満身
炳焉(へいえん):明らかなさま、慷慨(こうがい)社会の不義や不正を憤り嘆くこと
赤手(せきしゅ):素手、 啻(ただ):そればかりでなく(下に打消しの言葉がくる)
玲瓏透徹(れいろうとうてつ):麗しく照り輝き、澄んでにごりがないこと
蓋し(けだし):まさしく、ほんとうに、 塵世(じんせい):けがれた世、俗世
侠名(きょうめい):おとこぎのある、 赫々(かっかく):熱気を発するさま
閨門不治(けいもんふじ):育った環境から来る週間・風習が治らないこと
微瑕(びか):わずかな欠点、 人烟(じんえん):人煙、煙
烟波渺茫(えんぱびょうぼう):かすんでみえるほど遠くまで波が続いているさま
杳(よう):はっきりわからないさま、深く広いさま

 

【プロフィール】
(1)近衛篤麿(このえ あつまろ):文久3年~明治37(1863~1904)公爵、政治家、五摂家筆頭の家柄で、父は従一位近衛忠房明治18年(1885)~23年(1890)ボン、ライプチヒ両大学留学。貴族院公爵議員。伊藤博文とともに近代政治の確立に貢献。明治28年(1895)から学習院長就任。

 

(2)近衛文麿(このえ ふみまろ)明治24年~昭和20年(1891~1945)公爵、政治家、五摂家筆頭の家柄で、父は公爵近衛篤麿。京都帝国大学河上肇に学ぶ。西園寺公望の随員としてパリ講和会議に出席。昭和12年(1937)第1次近衛内閣を組閣、以後3次にわたり首相をつとめた。昭和15年(1940)日独伊三国同盟締結。昭和20年(1945年)A級戦犯の容疑者で逮捕される直前に自殺

 

(3)ラファイエット(La Fayette):1757~1834年フランス軍人・政治家、フランス軍人なるも自費で帆船を作り兵を集め、1777年、義勇軍としてアメリカ独立戦争を支援した。1779年フランス政府を説得しアメリカ援助を取り付け、ワシントンの信頼を得て部隊を指揮し活躍し、アメリカ・フランス国民から英雄として讃えられた。その後、フランスの社会・政治改革に身を投じ、アメリカ独立宣言をモデルとする人権宣言草案を作った。1789年フランス革命のバスチーユ襲撃の翌日からパリ市民軍の司令官となり活躍した。

 

(4)ジュセッペ・ガリバルディ(Giuseppe Garibaldi):1801~1882年、イタリア統一に貢献した愛国的英雄。カヴール、マッツィーニと並ぶ「イタリア統一の三傑」の1人、1860年、千人隊(赤シャツ隊)を組織してシチリア遠征、南イタリア征服に成功し、国王に献上してイタリア統一に大きく貢献した。その後は一切の恩賞を固辞してカプレラ島でに戻った。理想主義と純粋な誠意を持った愛国主義の彼は世界的にも賞賛され、明治日本でも尊敬されたが、その後日本にとって、彼の理想主義から来る議会政治の不信と独裁者的、革命家的な言動は天皇制日本にとって都合悪くなり、日本では語られることがなくなったと言う。