二七日(ふたなのか)の仏さま「釈迦如来」について

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7月25日の家内の父親がなくなりましたが、こんどは昨日の8月8日に兄の妻が肺がんから他の臓器に転移し、1年余りの闘病の末、亡くなりました。まだ61歳でしたからこれからまだまだやりたいことやり残したことなどがあったと思われてなんと言っていいかわかりませんでした。

 

亡くなった人はあの世の最上層部におられる13人の仏さまのご指導のもと、仏の修行をしますが、初七日の「不動明王」につづき、二七日(ふたなのか)は「釈迦如来」に指導を仰ぎます。

 

初七日は不動明王

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上記は日本に伝わった仏教の教えのひとつです。

 

お釈迦さまは紀元前6世紀の方で、修業時代、鹿野苑(ろくやおん)などで6年の苦行を積みますが肉体や精神を消耗するのみで、悟りを開くどころか命を落としてしまう危険があり、無意味であることを知って止めました。

 

そしてガヤー村の池で沐浴し、村の娘スジャータの牛乳で作ったかゆの布施を受け、体力の回復を図りました。

 

そして、村の菩提樹の木の下で瞑想にふけり、「悟り」を開きました。後に、ガヤー村は仏陀の悟りの地という意味でブッダガヤ(仏陀伽耶)と呼ばれるようになりました。

 

お釈迦さまは言いました。死ぬということは人の肉体という殻から生命がただ飛び出していくだけである。殻から飛び出す虫と同じように肉体という殻から飛び立てばどうなるか生きている間はわからない、ただ それからさらに無限に新しい世界がつづくはずであると---。(ブッダ第12巻、手塚治虫、潮ビジュアル文庫、1993年)