印僑がインドの高度成長と世界的ヨガブームを支えています

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2000年頃、企業の自前のネットワーク同士をつなぎBtoB(企業間オンラインシステム)当たり前になり、そこに、インターネットを利用したWebシステムが採用され、BtoC(企業と消費者の双方向のシステム)の開発が増加し始めました。

 

進んだWeb開発ソフトはアメリカ製がほとんどでした。私は関係しませんでしたが、I社で特命を受けたプロジェクトがBtoCの開発を始めたとき、委託したソフト会社の開発チームの中にインド人が1人か2人おりました。

 

そのころから、インターネットを利用した応用ソフト開発のアメリカ企業が日本企業と提携し、日本に技術や人が入って来るようになり、国内のソフト会社の人の話や雑誌や新聞からアメリカではインド人ソフト開発者が活躍していると知るようになりました。

 

インドが強くなった大きな理由の一つに欧米アジアで活躍する「印僑」(*3)と呼ばれる在外インド人(NRI:Non-Resident Indian)のグループの存在がありました。

 

印僑は1830年から続いているインドの移民制度から生まれたもので次の3期に分けることができます。(*1)

 

印僑の歴史

 

第1期1830年~1870年
1834年から始まった西欧での奴隷制度廃止ににより代替制度として送り出されたインド系移民時代。

 

モーリシャス、フィジーカリブ海諸島などへの砂糖キビ栽培の出稼ぎ労働者としてでしたが低賃金、過酷な労働、帰国出来ないなど奴隷的な扱いであったようです。

 

第2期1870年~1940年
奴隷制に近い移民政策を批判され、インド植民地政府、移住地植民地政府、インド人組織による管理下の移民時代
1980年代の中東諸国への移民も基本的にこのタイプの移民形態です。

 

第3期1990年以降
これまでの肉体労働移民に対し、インド政府の保護政策を受けた頭脳・技能者または企業家集団としての移住者です。
公用語の英語を持つ職種・職能の高度専門家をインド政府が欧米に積極的に送り込みました。

 

アメリカに定住するインド系移民約100万人のうち30万人はIT関連企業に従事している専門職でだそうです。そのほか、ヨガブームで世界に広がったヨガのインストラクターや金融機関の中堅スペシャリストなどさまざまな職域で活躍しているそうです。(*1)(*2)

 

また、イギリス、アメリカなど欧米に拠点を置いて経営する新興の中小財閥や大企業があるそうです。

 

覚醒の巨象「インド」

yaseta.hateblo.jp

印僑は「市場対国家」(*3)で使われている名称ですが、NRI(在外インド人)という名称(分類)は1980年末にインド政府が作りだしもので、「インド国籍を保持したまま海外に定住する」か「インド国籍の有無にかかわらずインド人の血統(父系)を引く」海外の資産家や経営者を対象としたものです。(*1)

 

これはインド政府はインド国内の企業に投資・融資する印僑を呼び寄せ、インド経済を活性化するための政策の一環であり、印僑に対し、インド政府は税制の優遇・企業立地規制の緩和・企業ライセンスの認可条件の緩和、保有資本比率のアップなど印僑誘致の整え、手厚い保護を与えています。(*1)

 

戦後の社会主義システムが1989年の共産主義崩壊とともに行き詰まり、国民からの突き上げもあり、インド政府は大きく政策転換したのでした。

 

この結果、資本・技術・国際的情報・経営ノウハウを持つ人材が急速にインド国内に還流し始め、現在は年8%の経済成長を続けています。

 

【参考】
(*1) 「インドを知るための50章」、重松伸司、三田昌彦(編著)、(株)明石出版、2003年
(*2)「手にとるようにわかるインド」、門倉貴史、(株)かんき出版、2005年
(*3) 「市場対国家」上下、ダニエル・ヤーギン他(著)、山岡洋一(訳)、日本経済新聞社、2001年