2006年、インド人オーナーで世界最大鉄鋼会社ミッタールスチールが世界2位のアセロール買収がありました。かつては世界一だった日本の新日鉄もその後はミッタールの買収ターゲットになりつつあり、その攻防が注目されています。
2007年4月、インドの大財閥「タタ財閥」傘下の世界第53位のタタ・スチールも世界第9位のイギリス・オランダ系鉄鋼メーカー「コーラス」を買収して世界第5位の鉄鋼メーカーになりました。
ミッタル・スチールとタタ財閥のタタ・スチール
このように、最近のインド企業躍進のニュースが頻繁に目にするようになりましたが、またまた、地元の「インド人の人もびっくり」するようなニュースが飛び込んできました。
それは「28万円(10万ルピー)という超低価格の自動車を2008年秋から販売する」とタタ財閥傘下のタタ・モーターズが発表し、その車を公開したことでした。
インド国民の大多数が手に届く価格の自動車を作ろうとしたと4年前から開発していたものとタタ財閥総帥でタタ・モーターズの会長である「ラタン・タタ」氏は集まった報道人に話していました。
国民車と言えば私が1970年に購入したトヨタ「パブリカ」を思い出しました。1年間使用した中古車でしたが当時25万円でした。(1970年の大卒給料は平均約4万円でした。)
国外ではその低価格が話題になり、国内では売上を伸ばし、アメリカではその安さで小型車市場シェアを大幅に伸ばしました。
タタ・モーターズの28万円カーも現在のインド国民の給料に合わせ販売し、また世界に向けて輸出するための戦略であり、高度成長で世界に躍り出たかつての日本を思いださせるできごとです。
2007年初め、タタ財閥率いるラタン・タタ氏が来日し、ラタン氏の曾祖父が創設したタタ財閥は日本と大きなつながりがあるとその秘話を披露したそうです。(*2)
1892年(明治26年)イギリス植民地インドで綿紡績の会社を起こした青年が日本にやってきました。
当時、日本・インド間の航路はヨーロッパの会社3社が独占し、運賃を高くコントロールしていました。その独占状態を打開するため、日本とインド間に独自の航路の構築を求め、青年はやってきたのでした。
日本も紡績産業を発展させるためには安くて、品質の良いインドの綿花が必要でしたのでお互いの利害が一致し、青年と船会社「日本郵船」はついに日本最初の遠洋航路「ボンベイ定期航路」(現在、都市ボンベイはムンバイと改名)を開くことになりました。
それに対し、ヨーロッパ3社は運賃値下げなどでいろいろな手段を使い、日本郵船追い落としを図りました。日本郵船は熾烈なシェア争いに耐え、存続し、その後発展することができました。このときの青年が現在、インドでも一、二の大財閥である年商2兆円を超えるタタ財閥の創始者「J・N・TaTa」でした。
ラタン・タタ氏は明治の日本の企業人の使命感や忍耐強さをほめたたえ、感謝しましたが現在の日本企業のインド対する姿勢は売り買いのビジネスばかりで資本を入れようとはしていないと話したそうです。
【参考】
(1)読売新聞「インド28万円カー」記事、2008.1.11
(2)週刊ダイアモンド「J・N・TaTa」記事、2007.3.24
(1)読売新聞「インド28万円カー」記事、2008.1.11
(2)週刊ダイアモンド「J・N・TaTa」記事、2007.3.24