鈴木由紀子氏講演会「上杉家の礎となった直江兼続とお船」の概要

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2月22日(日)野田文化講演会「上杉家の礎となった直江兼続お船」を聴講してきました。講師は小説「花に背いて 直江兼続とその妻」、ノンフィクション「最後の大奥 天璋院篤姫和宮」、「直江兼続お船」の著者の鈴木由紀子氏です。

 

鈴木由紀子氏は現在、脚光を浴びている著名な作家で、凡人の私とは全く関係ないですが、直江兼続が統治した上杉領地の出身ということで(といっても鈴木氏は米沢で私は越後との国境の小さな町ですが)親近感と演題に期待を抱いて会場に向いました。

 

以前、私の町について調べたことがあります。上杉景勝会津移封後、現在の福島県会津郡、伊達郡など、山形県置賜郡、田川郡など、新潟県佐渡に既にあった30余りの支城を支配下に治め、関が原の戦い前まで、上杉景勝会津若松城直江兼続は米沢の米沢城を居城としました。

 

兼続は米沢城を中心に長井郡(現在の置賜郡上山市)に5つの支城、高畠城(仙台領国境)、掛入石中山城、荒砥城、鮎貝城(最上領国境)、小国城(越後領国境)を置いたと記されていましたので私の出身地の小国町は当時、越後口を守る要害として重要だったのです。

 

さて、講演ですが前もってAmazonサイトで鈴木氏の「直江兼続お船」(幻冬舎新書、2009.1.30)を購入し、さっと、目を通していきました。

 

講演概要その他
直江兼続について、8年前、山形新聞新潟日報に鈴木氏著作の小説、「花に背いて」を連載されてから徐々に知られるようになり、2年前に作家「火坂雅志」氏の小説「天地人」がNHK大河ドラマに決定されてから良く知られるようになりましたが、それまでは米沢でも上杉鷹山を知っていても、直江兼続についてはそれほど、知られていませんでした。

 

1月から始まった「天地人」は高視聴率を稼いでいますが、昨年の「篤姫」の高視聴率の影響があります。これまでの大河ドラマは歴史の前面に出てくる男が主体で描かれておりましたが、篤姫はこれまで陰にかくれて日の目をみなかった女、特に妻の存在に光を当て多くの女性視聴者の共感を呼び、視聴率が上げたと分析していました。

 

鈴木氏は女性の観点から歴史資料を調査・分析すると、歴史の出来事や登場する人物などについてこれまでとは違った事実や解釈が生まれてくるといいます。

 

女は男の野望を果たすための道具でしかなかった戦国時代にあって、出世した男は妻が夫に助言、引きたて、采配した例が多くみられといい、そういう男は男もほれるような人であり、それに加え、年上の女に愛されるような男である場合が多いといいます。

 

兼続は幼少のころ、上杉謙信の実姉の仙桃院に才能を買われ、息子「上杉景勝」を支える役として抜擢され、徹底的な教育を受けました。直江兼続は身長が1m80cmで言語明朗でさわやかな良い男で、漢詩文に優れ、戦略家でありながら教養豊かな文化人であったそうです。

 

直江兼続が活躍するのは謙信の死後、上杉景虎上杉景勝の跡目争い(御館の乱)以降です。
謙信の死後、景勝は景虎より一歩先んじて春日山城に入り、資金、食料、武器弾薬を抑えます。さらに、景勝は甲斐の武田が景虎に味方をさせないため武田勝頼と講和を結び、勝頼の妹「菊姫」をめとります。そして、お館の乱は上杉景勝が勝利し、上杉家2代目当主となりました。

 

その後、武田勝頼織田信長との長篠の合戦で敗れ滅亡し、武田信玄の六男の武田信清が上杉景勝をたよって米沢に来ました。

 

直江景勝と武田信清のお墓と万年塔

yaseta.hateblo.jp

兼続の年上の妻、お船は聡明で何かと兼続を引きたて、助言したといいます。同盟の証しとして秀吉から菊姫を上洛させるよう命じられたとき、お船菊姫とともに人質となって京都の伏見の上杉の屋敷に行き、住むことになりました。

 

鈴木氏は伏見城のまわりの秀吉の家臣の大名屋敷には家臣の妻たちが人質として住んでおり、近くには前田利家山内一豊の屋敷があるのでおそらく、妻同士がお互い行き来してお茶を飲みながら情報交換し、国元の夫に連絡していたに違いないと分析しています。

 

お船が上洛して最初にあいさつに行ったところは前田屋敷で十歳年上の利家の妻「まつ」ではないかと推測しています。まつは前田利家が賤ヶ岳の合戦で秀吉に敵対したときあいだをとりもって免れたなどふだんから利家に助言していたと資料からうかがえるといいます。

 

妻の鏡といわれる山内一豊の妻「千代」も夫にさとられないように賢く引きたて夫をコントロールしていました。後年、関が原の合戦では、千代の徳川方有利とういう助言を受けた一豊は徳川方につき、ついには土佐20万石の大大名になっています。

 

また、秀吉と利家は信長に仕えていたころからの親友であるからそのつてで秀吉の妻「おね」(ねね)、北政所(きたのまんどころ)とも話しをして秀吉の情報も得ていたに違いないといいます。

 

ただ、いつの時代も女性に関する資料は少なく、少ない資料から推測せざるを得ないのが残念であると鈴木氏は話されていました。

 

会場で「平家物語を楽しむ会」の講師の武田先生にお会いしました。講演会終了後、事務局の方の紹介で武田先生が鈴木由紀子氏に合うことなったため、私もお願いして武田先生の後について行き、鈴木氏とお合いしました。

 

私は小国の出身で現在でも墓地に行くと万年塔が数個見かけますといい、上杉家17代当主が名誉会長を務める米沢有為会をご存じですかお聞きしましたところ米沢有為会の存在はご存じのようでした。もう少し、話したいと思いましたが言葉が出てこなく、わずか数分間で終わってしまいました。購入した新書にサインをしてもらおうと思っていましたがこれも忘れてしまいました。

 

【参考】
直江兼続石田三成の密約
直江兼続の兜の前立て
(1)「直江兼続お船」、鈴木由紀子、幻冬舎新書、2009年1月30日
(2)「直江兼続伝」、渡辺恵吉、小野栄他、酸漿出版、1989年12月22日