ダスラー兄弟骨肉の争い「アディダス対プーマ」

イメージ 1

ワールドカップ始まる数年前から世界のスポーツ用品メーカーの間で出場チームや人気チームやトップ選手のスポンサー獲得、とりわけ優勝候補のFIFA公式スポンサー獲得合戦が行われたそうです。

チームが勝ち進めば、自社ブランドが世界中に注目され、優勝した場合、その宣伝効果ははかりしれないものになります。そのため、世界のスポーツ用品メーカーは巨額の資金を投じてトップ選手や強豪チームのスポンサー獲得競争を繰り広げているわけです。

世界的に有名なスポーツ用品メーカー「アディダス」と「プーマ」にとっては、今回のワールドカップ地元開催は特別なものとして、公式スポンサー獲得に熾烈な戦いをしていると言われています。

ドイツバイエルン地方のニュルンベルグの北にアディプー村またの名をヘルツォーゲンアウラッハという村があります。

ここに、「アディダス」本社と「プーマ」本社があり、一般のライバル会社の販売競争やシェア争いとは違う、半世紀以上にもわたる骨肉の争いが続けられています。

靴職人の家に生まれた兄「ルドルフ・ダスラー」と弟「アドルフ・ダスラー」は1920年代、仲良く「ダスラー兄弟社」で働き、1936年ベルリン大会ではダスラー製スパイクが大活躍し、事業が拡大しました。

しかし、理由は良くわかってないそうですが、第二次世界大戦中に兄弟の仲が悪くなり、戦後、兄ルディがアメリカ捕虜収容所に入れられ、その間、弟アディが一人で事業を経営していました。

1948年兄ルディが収容所からもどってきて、弟の下で働くのを嫌い、自分を慕う従業員を連れ、川の反対側に工場をたて、会社「ルーダ」を設立しました。翌1949年に会社を「プーマ」と改めました。

1949年、弟アディは残った工場を含め、新会社「アディダス」を設立しました。

お互い一歩も譲らず、製品を巡り何回も裁判を起こしたり、2つの会社の従業員の住む村を二部する勢力争いなど近年まで行われてきたそうです。

プーマが公式スポンサーになっているW杯出場国は12カ国(サウジアラビア、ガーナ、イラン、チェコポーランド、イタリア、コートジボアールパラグアイ、スイス、トーゴチュニジアアンゴラ)です。

一方、アディダスは6カ国(ドイツ、フランス、スペイン、日本、トリニダードトパゴ、アルゼンチン)です。

スポンサー競争ではプーマは勝ちましたが、もし、プーマかアディダスのどちらかがスポンサーになっている国が優勝すれば、そのスポンサーはヘルツォーゲンアウラッハでの戦いの勝者になれるわけです。

アディダス 従業員1万7,000人(2004年)、売上高約9,900億円(2005年)
プーマ   従業員  3,900人(2004年)、売上高約3,400億円(2005年)