徳光のTVコロンブス「おぢさんのジュリアナ東京探検隊」に参加した思い出

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バブルの負の遺産が表面化され始めた1992年、私が48歳の誕生日を迎えたばかりの10月初め、会社のHSさんがテレビ局の知人から「ジュリアナ東京見学会」に招待されたから一緒に行こうと誘われました。

当時、ディスコが流行し、ディスコ「ジュリアナ東京」でボディコン女性がお立ち台にあがり、センスを持って、派手に踊る場面をテレビなどマスコミが取り上げ煽ったものですから、若者の超人気スポットになりました。

集合場所のJR田町駅に着き、見ますとのぼりを持っている人がおり数人集まっていました。
のぼりを見ますとテレビ東京の「徳光のテレビコロンブス“おぢさんのジュリアナ東京探検隊”」と描かれており、となりにテレビカメラとレポーターのグループがいるではありませんか。

若い女性がボディコン姿で踊る姿に興味しんしんで、一度は見てみたいと思っていましたが、テレビに出るとなると急に怖気づいてきて、帰りたくなりましたが、今更だめだと言われ、覚悟して行くことにしました。

「おぢさんのジュリアナ東京探検隊」のメンバーは40代から50代の八百屋、塾講師、中学校教師、サラリーマンなど7人くらいでした。

倉庫を改造した建物でイギリスのディスコホールと提携した店だそうです。入る前の心の準備というわけで、カメラの前で全員が気合をいれました。
屋内はレーザー光線と熱気に包まれ、フロアでは数百人が踊っており、若い女の子十数人が肌もあらわなボディコン姿でお立ち台に上がり、踊っていました。

脇のテーブルで飲み物を飲みながら見物ができますが、さすがおじさんは我々以外見当たりませんでした。

隊長であるレポーターの方に勇気を出して踊れとけし立てられ見よう見まねでディスコを踊りました。

収録されたジュリアナ東京探検は3週間後のテレビ東京「徳光のテレビコロンブス」で放映されました。
19時から22時過ぎまで、ジュリアナ東京で眺めたり、踊ったりしており、節々でほぼ全員がレポーターから質問や感想を聞かれ、カメラは休みなく撮影してました。しかし、編集され、放映されたもの見ましたらたったの10分位でした。

私がお立ち台を見とれていたシーンを名前入りで放映されたものですから山口や山形の親戚・知人、会社の人から見たという電話が次々はいりました。

当時、小学生だった子供は近所の人にテレビに出た人はお父さんでしょうと言われたそうですが、親父がお立ち台の若い女の子を見ほれているテレビのシーン見て、恥ずかしくてとても父親だと言えず別人と答えたそうです。

ディスコを踊っている若者の中に、ネクタイを付けた背広姿のおじさんが居たらやはり、場違いで、それが実の父親であれば、子供にとって恥ずかしいことだったのだと後で知りました。

番組から礼状とテレビ東京のロゴ入り腕時計を謝礼としていただきましたが腕時計はまもなく紛失してしまいました。

今回、録画したビデオを10数年振りにみて、当時のことが懐かしく思い出されブログに登録しました。

ビデオと一緒にディスコで手に入れた「ジュリアナ東京の建物」が描かれている広告がありましたのでを載せて見ました。