平安時代末期東大寺を再建した重源上人

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1月の末に、仙台市米沢市山形県小国町を「奥の細道ミニ旅行」してきた後、2月13日から16日まで山口市徳地、防府市周南市を「周防の国ミニ旅行」してきました。

数年前に行きましたが、山口市徳地に「重源の郷(ちょうげんのさと)」という「重源上人」(ちょうげんしょうにん)の業績と昔の山村風景を再現した観光村があります。

平安時代末期(1181年頃から)、「重源上人」は焼失した東大寺を再建するため、自ら、周防の国徳地の山を探しまわり、大木を切り出し、いかだを組んで佐波川を下り、防府を通り、瀬戸内海を経て、奈良まで運びました。この作業は困難を極め、数々の難問をクリアし、遂に成し遂げたのでした。
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徳地で切り出した大木で東大寺の南大門が作られ、その両隣にある金剛力士像が運慶、康慶によって作られ現存しています。

重源上人は朝廷から東大寺復興の「大勧進職」に任ぜられたとき、すでに61歳だったと言われています。そして、86歳でなくなるまでの25年間、東大寺復興事業に尽くしたそうです。

なんと、「重源上人」がこの偉業に挑んだ歳は現在の私「痩田肥利太衛門」と同じ61歳とは驚きです。
また、重源上人は西行法師に奥州平泉へ東大寺勧進の旅を依頼しました。

2週間前、奥の細道をミニ旅行したとき「西行法師」を思い、その後、周防の国ミニ旅行したとき「重源上人」を思い、二人の超老人パワーにあやかりたいと思いました。