令和元年11月の絵「源平合戦の頃現れた浄土教と地蔵十王信仰」

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地蔵十王信仰

奈良時代の中頃(729~749年)、六道(参考1)に落ちた衆生(一般大衆)を教化・救済するとして地蔵信仰が伝わり、その後、地蔵・閻魔一体説(768年日本霊異記)が現れ、平安時代初め頃(794年前後)に地蔵信仰は迷界と結びつけられ、地蔵菩薩は地獄の裁判官「閻魔王」の化身とされ、六地蔵信仰が広がりました。

 

平安時代後期(1170年代)から末法思想(参考3)が流行し、世の中が不安になり、浄土教(参考4)が興ると来世的な六地蔵信仰はさらに道教の十王と仏教の本地仏と習合した地蔵十王信仰(参考2)となって現れ、流行していきます。

 

地蔵十王経によると故人は七日毎に生まれ変わり、遅くとも七七日(ななのか四十九日)までに七人の本地仏の裁きによって六道のどれかに行かされます。しかし、故人は修養を積み、また、残された家族の追善供養により、六道から解放(成仏)され、阿弥陀如来他三人の本地仏に導かれ、極楽浄土へ行くことができると言います。

 

なお、地蔵十王信仰は鎌倉時代に体系化され、成立します。また、現在も続いている十三仏信仰は室町時代に成立します。

 

平重衡(しげひら)】

1180年12月28日、平重衡(しげひら)は父清盛の命により奈良を攻撃し、本意がなかったにもかかわらず、結果的に東大寺やその大仏殿や興福寺を焼くという大罪を犯してしまい、悔やんでいました。

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1184年9月4日、重衡は一の谷の合戦で捕虜になり、1185年3月24日、壇ノ浦の合戦で平氏は敗れ、平家一門はことごとく最後を遂げいきました。

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斬首を覚悟した重衡はこのままでは、来世で3悪道(地獄、畜生、餓鬼)に落ちてしまうと悩み、法然上人にすがります。

出家しなくてももっぱら南無阿弥陀仏の名を唱え、改心すれば、阿弥陀如来の導きで極楽浄土に行くことができると法然上人に教えさとされ、念仏を唱えながら、心やすらかにした重衡は南都(奈良)の大衆(だいしゅ、僧侶・衆徒)によって木津川の川辺で斬首されました。

 

二位の尼建礼門院安徳天皇

壇ノ浦の合戦で平氏は敗れ、平家滅亡を覚った「二位の尼」は「安徳天皇」を抱いて神璽(しんじ)と宝剣とともに入水します。

 

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二位の尼:時子、平時忠の姉、清盛の正室、徳子の母、安徳天皇と共に入水

建礼門院:徳子(とくし)、清盛の娘、高倉天皇正室安徳天皇の母

安徳天皇:第81代天皇高倉天皇と徳子の子、満1歳3ヶ月で即位、7歳で入水

高倉天皇:第80代天皇後白河法皇と滋子(建春門院、時子の異母妹)の子

 

三種の神器

*宝剣(ほうけん、草薙剣[くさなぎのつるぎ])宝剣は海に沈み、行方不明になった。

*神璽(しんじ、八坂瓊曲玉[やさかにのまがたま])神璽は源氏に回収された。

*神鏡(しんきょう、八咫鏡[やたのかがみ])神鏡は海底に沈む前に回収され朝廷に戻った。

 

建礼門院

8歳のわが子安徳天皇と一緒に死ぬことがかなわなかった建礼門院壇ノ浦合戦で平家が敗れた後、4月に京に戻され、29歳という若さながら出家し、平家一門の菩提を弔うため、9月末に大原山の奥にある寂光院近くに庵室を造り、移り住みました。

春の名残を惜しまれる1186年青葉の頃、突然、後白河法皇建礼門院女院)の庵を訪れました。そして、後白河法皇と対面した女院は数奇な運命を語ります。

現在の苦しみは、後生菩提のためを思えばかえって喜びであり、肉親の愛も善知識(教えを説いて仏道へ導いてくれるよい友人、指導者、知識)あり、さらに、自分は生きながらにして六道を目の当たりに見たと語ります。

 

天皇の母として栄華の中にあった生活「天上界」。

*1183年(寿永2年)都落ちし、西国をさまよう中で、盛者必衰を知り、愛別離苦、怨憎会苦(おんぞうえく)を知った日々「人間界」。

*食べ物にも困る流浪の生活、四方海に囲まれのどの渇きに苦しんだ日々「餓鬼道」。

*一の谷合戦以後、続く目の前で繰り広げる殺し合い「修羅道

*壇ノ浦で母(二位の尼)と子(安徳天皇)を目の前で失い、残された人々の悲痛な叫び「地獄道」。

*皆が竜宮城にいると知った夢「畜生道」。

 

あまりにも凄惨な平家一門滅亡の話に法皇はただただ驚き、憐れみ涙が止まらず、お供の公卿や殿上人も涙で袖を濡らした。寂光院の鐘の声が響き、日が暮れたと知らされ、法皇は涙をこらえ、御所にかえりました。

 

その後も女院は念仏に明け暮れる静かな生活を送るがやがて病気にかかり死期が近づいてきて、阿弥陀如来の手にかけた五色の糸を持って「南無西方極楽世界の教主阿弥陀如来、必ず極楽浄土へ引き連れて行ってください」と言って念仏を唱えました。

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 すると紫の雲がたなびいてなんともいえないすばらしい香りが室内にみち、音楽が空の方から聞こえてくる中、1191年(建久2年)2月中旬、建礼門院は静かに往生を遂げました。

 

【参考】

1.六道輪廻

生き物は生まれてそして死んでいきます。ひとつの生き物が死ぬと別の生き物として生まれ変わるといいます。

これを輪廻といいます。生まれ変わる世界は天上界、人間界、餓鬼道、修羅道地獄道畜生道と六道あります。

 

七日毎に生まれ変わり、遅くとも七七日(ななのか四十九日)までに七人の仏様(本地仏)の裁きによって六つの世界のどれかに行くことになります。六道に落ちた故人は修養を積み、また、残された家族の追善供養により六道から脱出(成仏)し、観音菩薩(百か日)・勢至菩薩(一周忌)・阿弥陀如来(三回忌)に導かれ極楽浄土へ向かいます。

2.地蔵十王経

十王     本地仏   裁判

秦広王   不動明王  初七日(007日目・06日後)(しんこうおう)

初江王   釈迦如来  二七日(014日目・13日後)(しょこうおう)

宋帝王   文殊菩薩  三七日(021日目・20日後)(そうていおう)

五官王   普賢菩薩  四七日(028日目・27日後)(ごかんおう)

閻魔王   地蔵菩薩  五七日(035日目・34日後)(えんまおう)

変成王   弥勒菩薩  六七日(042日目・41日後)(へんじょうおう)

泰山王   薬師如来  七七日(049日目・48日後)(たいざんおう)

平等王   観音菩薩  百か日(100日目・99日後)(びょうどうおう)

都市王   勢至菩薩  一周忌(002年目・01年後)(としおう)

五道転輪王 阿弥陀如来 三回忌(003年目・02年後)(ごどうりんてんおう)

 

故人は七日毎に生まれ変わり、遅くとも七七日(ななのか四十九日)までに七人の仏様(本地仏)の裁きによって六道世界のどれかに行くことになります。故人は修養を積み、また、残された家族の追善供養により六道から脱出(成仏)し、観音菩薩(百か日)・勢至菩薩(一周忌)・阿弥陀如来(三回忌)に導かれ極楽浄土へ向かいます。

 

3.末法思想

末法とは仏の教えがすたれ、修行するものも、悟りを得るものもなくなり、教法のみが残る時期で日本では1052年に末法に入ったとされる。末法思想とは末法に入ると仏教が衰退するという予言的思想

4.浄土教

浄土教阿弥陀如来を本尊とし、法然平安時代後期の1175年頃開いた仏教のひとつである。

5.「日本古典文学全集46 平家物語2」、市古 貞次、(株)小学館、1994年8月20日

6.「仏教民俗辞典」、仏教民俗学会編、新人物往来社

7.「日本仏教史辞典」、今泉淑男編、(株)吉川弘文館、1999年10月20日