11月の絵「平家物語 壇ノ浦合戦で平氏壊滅」

イメージ 1

yaseta.hateblo.jp

1185年(元歴2年、文治元年)2月21日の屋島の合戦で敗れた平宗盛を総大将とする平氏本軍は平知盛(とももり)の陣がある長門の国の彦島関門海峡)に退却した。

 

平氏は瀬戸内海各地の水軍を持ち、淡路・讃岐から長門・北九州までの制海権をにぎり、海上の戦闘能力では源氏をしのいでいたが、この屋島の大敗で、これまで平家に属していた熊野水軍熊野別当湛増(たんぞう)など次々と寝返り、形勢が逆転してしまった。

 

瀬戸内海の水軍を味方に入れた源氏は840隻の軍船を擁し、長門の国に向かった。

 

追い詰められ平氏は1185年3月24日、彦島を出て500隻余り軍船で源氏に決戦を挑んだ。正午過ぎ、平氏最後の戦いとなる壇ノ浦の合戦が始まった。(軍船の数:本文は資料4、資料1では源氏3000隻、平氏1000隻)

 

始めは西から東に流れる潮流の乗った平氏軍が優勢であったが、戦いが長引き、午後3時過ぎになったとき、潮流が逆流しはじめ、たちまち、形勢が逆転した。

 

さらに、源氏は水手(かこ、ごぎ手)・かじ取りを弓で射殺する作戦にでたため、舟の進退の自由が効かなくなり、壇ノ浦に追い詰められ、陸上の弓勢(ゆんぜい)と挟み撃ちにあい、平氏軍は次々と討たれていった。

 

そして、決定的な敗因は阿部民部重能(しげよし)の源氏への寝返りであった。ほかの有力武将も次々と源氏に寝返っていく。大型の唐船に雑兵(ぞうひょう)を乗せ、兵船に平宗盛など将軍を乗せ、敵を欺く作戦も漏れてしまった。

 

平氏の敗戦は決定的になった。二位の尼は神璽(しんじ)を脇に、宝剣を腰にして、山鳩色の御衣に角髪(みずら)を結ったわずか7歳の安徳天皇を抱いて入水した。建礼門院徳子(とくし)も後に続くが引き上げられる。三種の神器のうち、神鏡は海中に沈む前に源氏に回収された。

 

【参考、資料1巻第十一「先帝身投」】
【(安徳天皇は「尼ぜ、私をどちらに連れて行こうとするのだ」と仰せられたので、二位の尼は幼い君にお向かい申して、涙をこらえて申します。

 

「まず東にお向かいになって、伊勢大神宮にお暇を申され、その後、西方浄土の仏菩薩方のお迎えにあずかろうと思いますので、西にお向かって念仏をお唱えませ。この国は粟散返地(ぞくざんへんち)といって、悲しいいやなところでございますから、極楽浄土といって結構なところにお連れ申しあげますよ)と泣きながら申しました。

 

幼帝は山鳩色の御衣に角髪(みずら)をお結いになって、御涙をはげしく流されながら、小さくかわいらしい御手を合わせ、まず東を伏し拝み、伊勢大神宮にお暇を申され、その後西にお向かいになって、お念仏を唱えられたので、二位殿はすぐさまお抱き申し上げ、「波の下にも都がございますよ」とお慰め申し上げて、千尋もある深い深い海底にお入りになりました。

 

悲しいことだ。無常の春の嵐が、たちまち花のような帝(みかど)のお姿を吹き散らし、情けないことだ、六道をめぐる人間の生死の荒い波が押し寄せ、海の荒波が天子の御身体を海中にお沈み申し上げた。

 

まだ、十歳たらずで海底の水屑(みくず)となってしまわれた。十善の帝位にある方のご運のつたなさはなんとも申しようもないほどである。】

 

そして、武将が次々と入水する。長老格の教盛(のりもり)・経盛(つねもり)兄弟はじめ、資盛(すけもり)・有盛・行盛が入水、教経(のりつね)は義経を追いかけ戦いを挑むが逃げられ、源氏の武士三人を道連れに入水する。知盛(とももり)は戦のありさまを最後まで見届けてから入水する。

 

宗盛と清宗父子は入水する様子もなく、呆然としているのだった。これを見た侍たちはあまりにも情けないので側を通り過ぎるようにして宗盛を海へ突き落した。これを見た清宗もすぐさま海に飛び込んだ。宗盛は「清宗が沈むなら私も沈もう、清宗が助かるなら、私も助かろう」、清宗は「父が沈むなら私も沈もう、父が助かるなら、私も助かろう」と互いの思って泳いでいるうち、源氏の熊手に引っかけられ生け捕られてしまった。

 

公家平氏の時忠・時実(ときざね)父子はいとこの信基とともに降伏し、女房・僧侶など多くの非戦闘員とともに捕らわれの身となった。

 

この後源氏は戦後処理に入るが、頼朝は平家を根絶やしにするため、生き残った平家一門に対し、幼い子供も容赦なく処刑するという過酷な命令を下すことになる。

 

【参考】
二位の尼:時子、平時忠の姉で清盛の正室、徳子の母
徳子(とくし):建礼門院、清盛の娘、高倉天皇正室安徳天皇の母
安徳天皇:(第81代天皇高倉天皇と徳子の子、満1歳3ヶ月で即位、7歳で入水)、山鳩色:青みのある黄色(黄緑)、角髪(みずら):髪を中央から左右に分け、両耳のあたりで束ねたもの
高倉天皇:第80代天皇後白河法皇と滋子の子)
滋子(しげこ):建春門院、公家(くげ)平氏平時忠・時子の異母妹、後白河天皇の譲位後の妃

 

三種の神器天皇の象徴)】
1. 宝剣(ほうけん、草薙剣[くさなぎのつるぎ])
2. 神璽(しんじ、八坂瓊曲玉[やさかにのまがたま])
3. 神鏡(しんきょう、八咫鏡[やたのかがみ])

 

【参考】
1.「日本古典文学全集46 平家物語2」、市古 貞次、(株)小学館、1994年8月20日
2.「平家物語図典」、五味 文彦、(株)小学館、2005年4月1日
3.「日本の歴史6 武士の登場」、竹内理三、中央公論社、1965年7月15日
4.「真説 歴史の道第24号 平時忠 平家流転」、(株)小学館、2010年8月24日