アザディガン油田開発は1980年のイラン・ジャパン石油建設計画と同じ運命か?

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2004年2月、日本の国際石油開発(株)(INPEX)はイランのアザデガン油田開発契約をNational Iranian Oil Company(NIOC、イラン国営石油会社)とNaftiran Intertrade Co. Ltd.(NICO 、NIOCの子会社)との間で取り交わし、開発着手することになりました。

エネルギー自主開発を目指すわが国はこの中東最大級の油田開発の成功を大いに期待していました。

しかし、2003年、イランはIAEAに申告せずに核開発を続けている疑惑が浮上しました。

2004年11月イランは英独仏との間で疑惑が解消されるまではすべての核開発関連活動を自主的に停止するという「パリ合意」が結びましたが、2005年8月就任したアフマディネジャド大統領は、パリ合意を破って核開発に向けて「研究開発」に入りました。

1979年イスラム革命とイランの核開発について

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このような状況の中、イランとのアザデガン油田開発着手契約の交渉期限が2006年9月15日で切れ、9月30日まで延長しましたがこれも切れてしまいました。

IAEA、国連の再三の核開発停止の呼びかけに応じず、続けているイランに対し、2006年10月、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス各国はイラン制裁の国連決議を採択を検討してますが足並みがそろいません。

というのも、国連安保理常任理事国である中国やロシアはイランと太い経済関係があり、イラン制裁内容が厳しいと同意していません。

イランの核開発問題に対する国際的な批判が高まる中で、開発着手の契約はできず、かといってのどから手がでるほど欲しい石油権益を完全撤退してしまうと、石油権益の欲しい中国やロシアに権益が渡ってしまいます。

2006年10月16日の読売新聞によると日本の国際石油開発は、ぎりぎりの交渉を続け、現在持っている権益を75%から10%に大幅縮小することで、イラン政府側と大筋で合意したということでした。

しかし、イラン制裁の国連決議が採択されて実施しても、イランが核開発を続行するとすれば、日本は制裁が厳しい緩いか関係なく、莫大な収入が見込まれる油田開発をやるわけにはいきません。
そうすれば、イランも対抗で処置として日本の10%の権益も無効にしてしまう可能性大になります。

1980年、政情不安のイランで「イラン・ジャパン石油化学建設計画」が頓挫し、莫大な損失を出し、その建設は韓国の手にわたりましたが、油田の権益を失うことは前回以上の損害になります。

中国やロシアはイランへの制裁程度を緩やかにするよう国連で呼びかけていますが、まさか、この権益を譲り受けようなどと思っているのではないでしょうか。

日本のエネルギー開発は環境対策不備の理由でサハリン2の開発も中止に追い込まれ、そしてアサデガン油田の権益を失おうとしていますが、核開発防止のためには日本は涙を飲もうとしているのです。

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両国ともイランの核開発を破棄させるように効果ある制裁決議に向けて、歩調を合わせていただきたいものです。