キューバの国家元首「カストロ議長」の容態深刻説

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今日の読売新聞によると、キューバ国営テレビは7月31日の夜、「睡眠も取れない激務で腸の出血が止まらず、手術を余儀なくされた」というフィデル・カストロ国家評議会議長の声明を流し、国家元首の権限を一時委譲した」と報道したそうです。

キューバカストロ議長と言えば、1959年のキューバ革命以来、50年近く、反米を旗印に社会主義政権を維持してきており、歳も79歳と世代交代を過ぎてなおかつ権力を持ち続けています。しかも権限の一時委譲を受けたのが、ナンバー2の実弟であると言う独裁者の典型的な形です。

マイアミの亡命キューバ人は独裁体制の終わりは近いと歓迎している姿が新聞に載っていました。

キューバソ連の援助がなく、90年代から経済的にも苦しくなっており、国民の誇りであった医療福祉制度は崩壊の危機にたたされているそうです。

最近、外貨を稼ぐため大量の医師が中南米、アフリカに派遣され、キューバ国内の医師不足しているそうです。
ここまで来ると社会主義政権もぎりぎりのところまで来ているような感じがします。カストロ議長なき後の体制はどうなるでしょうか

カストロ議長と言えば「核戦争が始まるかも知れない」と世界中が大騒ぎをした1962年10月の「キューバ危機」を思い出しました。
私が高校三年生のときで、下宿先の医者のおばあさんとこのニュースをテレビで見ました。

実をいうと当時、新聞やテレビで騒ぎたてたほど、私は理解できなく、遠い国での出来事程度にしか捉えていませんでした。何年かあとになって、真相が明らかになり、新聞やテレビで解説されてようやく理解したしだいです。

あのころ、東西冷戦の真っ只中で、スパイ合戦をやっており、アメリカのU2という高性能偵察機ソ連キューバ上空を飛び情報収集をやっていました。
確かソ連領域でU2が打ち落とされ、パイロット(パワーズ大尉?)がソ連側に捕まり、スパイ偵察が暴露された事件がありました。

このキューバ危機の原因となる「ミサイル基地で核搭載可能なミサイルを配備している写真」を撮影したのがU2でした。

そういえば、このキューバ危機は「13デイズ」という題で映画になりました。
1962年10月16日、ソ連キューバ核兵器を持ち込むという情報がケネディ大統領にはいりました。
直ちに、ケネディは国家安全保障緊急会議を開きます。

ケネディは戦争も辞さない決意で、ソ連貨物船と軍艦がキューバに入るの阻止する海上封鎖をし、一方ではキューバ攻撃も想定します。

結局、10月28日、ソ連フルシチョフ第一書記はアメリカがキューバを攻撃しない条件で、ソ連はミサイルに装填する核兵器キューバに荷揚げしない、そして、キューバからミサイルを引き上げることで戦争は避けられたという事件でした。

当時、強力なリーダーシップを発揮したということで、ケネディ大統領の人気は急上昇しました。

しかし、今、あらためて思うと、私はケネディに勝を譲る決断をしたフルシチョフのほうを評価したいと思いました。

どちらも自説を曲げず、強硬策をとったら戦争は避けられなかったと思います。現在、イスラエルイラクで起こっている戦争はすべて「自分から身を引く」ということをしないからです。