石油の歴史「まえがき」と「石油産業の黎明期」

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1.まえがき
1859年8月27日ペンシルベニア州タイタスビルでドレーク大佐が初めて石油を発見してから150年、今や、石油は人類社会のいたるところで使われ、これなくして社会活動は瞬く間に麻痺してしまいます。

150年間に起こった国家興亡にかかわる紛争の多くは石油の支配によるものと言われています。

最近、中国は高度成長を続けるため必要となる石油を求め、アフリカやロシアを訪問しては購入や開発の検討しております。
東シナ海日中中間線付近では、日本に無断で、石油ガス田を開発し、生産を開始して国家間の問題を作っています。

このように、150年経った今でも、石油に関するトラブルは国家間の大きな問題になっています。したがって、石油の歴史を知ることは、今日の複雑な国際関係を知る上でも参考になるのではないかと思いました。

私はまがりなりにも石油・石油化学会社で36年間働きましたが、石油の歴史は断片的にしかわかりません。そこで、少しずつ、調べ、平易にまとめて、残そうと思いました。
まずは石油の黎明期として超概略まとめてみました。

2.石油産業の黎明期
1855年、アメリカの実業家ビセルとタウンゼントのグループはエール大学のベンジャミン・シルマン教授から「ランプ用として石油の使用」の報告書を受け取ります。
当時、ランプにはマッコウクジラの油が使われていましたが、品不足でした。
タウンゼントはシルマン教授とセネカ・オイル社を設立、石油獲得に乗り出します。

ペンシルベニア州ペオイルクリークを買占め、ニューへブンの町の元車掌のエドウィン・ドレークに石油の調査・開発を依頼します。タウンゼントは辺境の地ペンシルベニア州タイタスビルの住民に良い印象を与えるため、ドレークを行く先々でドレーク大佐と紹介します。こうしてドレーク(偽)大佐が誕生しました。

ドレーク大佐は鍛冶屋のウイリアム・スミスを雇い入れました。ウイリアム・スミスは世界で初めて石油を掘る機械や装置を発明し、ドレーク大佐と試掘を試みます。
しかし、石油は出る気配はありません。1859年8月終わり、資金が底をついてしまい、タウンゼントはドレーク大佐に請求書を始末し、作業場を閉鎖してニューへブンに帰るよう指示し、最後の送金をおくりました。

この手紙がまだ、ドレーク大佐に届いてない1859年8月27日土曜日の午後、奇跡が起こりました。井戸のパイプの中を覗き込むと水の上に黒い液体が浮いていました。興奮の打ち震えながら、ウイリアム・スミスはその液体を採って調べると石油でした。ついにドレーク大佐とウイリアム・スミスは石油を掘り当てたのでした。
同じ日、送金通知と事業所閉鎖の手紙を受け取りましたが、もう必要なくなりました。ドレーク大佐は間一髪で石油を掘り当てたのです。

オイル・クリークの農民がタイタス・ビルの事業所に押しかけた。このニュースはたちまちひろがり、ゴールド・ラッシュのようなオイル・ラッシュが起こり、辺境の地タイタスビルは一変してしまいました。

ドレーク大佐の発見は、「ランプ用の油だった石油」が「国家の興亡にもかかわるほど重要になる石油」に変貌して行く最初の一歩となったのでした。

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