コロナ感染は風邪と同様に消滅することはないと遅まきながら気が付き第10波の行く末を見極めた後感染者数推移グラフ作成を終了します

コロナ感染者数推移グラフ

政府は2023年5月、コロナウイルスの毒性が弱くなり、重症化リスクが低くなったのでインフルエンザと同じ扱いにすると発表しました。

しかし、私はコロナウイルスに対しての恐怖感が抜き切らず、4カ月を経てようやく恐怖感がなくなり、喫茶店や図書館通いが増えました。するとそのとたん、2023年9月中旬にコロナに感染してしまいました。幸い、風邪程度で後遺症もなく済みました。

 

この第9波を最後にコロナ感染流行は収束に向かうものと思っていました。

しかし、11月から再び感染が増加し、2023年12月17日の時点で4週連続で増加しました。
さらに年が明けても増加を続け、2024年1月27日に厚労省が発表した1月15日から1月21日までの1週間の感染者数は1医療機関当りの感染者数は12.23人と9週間連続で増加しています。

2023年5月から11月まで「第9波」の感染流行させた「オミクロン株」が新たに「JN.1」という変異株に変身して感染を拡大しており、遂にコロナ感染流行第10波になってしまいました。

私は「コロナ感染は収束する」と思い込んでいましたが、風邪が完全に無くなることがないと同じようにコロナも完全に無くならないということが遅まきながら気がつきました。

日本で初めてコロナ感染が始まった3年間前から毎月コロナ感染者数推移グラフを作り、痩田肥利太衛門残日録その二「ブログ」に載せてきましたが、この第10波が減少に転じた頃を見計らい終了したいと思っている今日この頃です。

新型コロナウイルスによる国内感染数一覧
(なお、全数把握値は痩田の概略換算値です。)
2022年9月17日~2024年1月21日
(単位:人)
日付              定点把握 全数把握
9月17日(9/11~9/17)    17.54  87,700   第9波のピーク
10月15日(10/9~10/15)   3.76  18,800
11月5日(10/30~11/5)    2.44  12,200
11月12日(11/6~11/12)   2.01  10,050
11月19日(11/13~11/19)  1.95   9,750  新変異ウイルス「NA.1」
11月26日(11/20~11/26)  2.33  11,650  第10波(流行入り)
12月03日(11/27~12/03)  2.75  13,750
12月10日(12/04~12/10)  3.52  17,600
12月17日(12/11~12/17)  4.15  20,750
12月24日(12/18~12/24)  4.97  24,850
12月31日(12/25~12/31)  5.79  28,950
1月 7日( 1/ 1~ 1/7 )   7.38  36,875
1月14日( 1/ 8~1/14)   8.96  44,800
1月21日( 1/15~ 1/21) 12.23  61,150 第10波(流行拡大中)

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*定点観測値のコロナ感染状況判断基準
(1病院当り1週間の合計感染者数)
1病院当り感染者 -------  1人 ------- 流行入り
1病院当り感染者 ------- 10人 ------- 注意報
1病院当り感染者 ------- 30人 ------- 警報
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本居宣長の義理の曾孫で幕末・明治期に活躍した国学者・歌人 本居豊頴(もとおり とよかい)が評論した田道間守(たじまもり)

田道間守慟哭の絵

田道間守の評論文語意調査表

私は公爵、伯爵などの爵位や博士の学位を持つ明治時代の有名人が尊敬に値する人物を評論した明治32年発行の「明治名家古人評論」という文庫本サイズの祖父の蔵書を持っています。

これまで、その中から「ラ・ファイエット」、「上杉謙信」、「鄭成功」を取り上げ、ブログで紹介しましたが、今回は「お菓子の神様」の田道間守(たじまもり)について紹介します。

今回のテーマ「田道間守」を評論した本居豊頴(もとおり とよかい)」という人は教育者・評論家の「杉浦重剛」と同様、この時点では爵位や官位や博士号を持っていませんが、その後国学者歌人として日本文化の発展に貢献し、官位や博士号や勲章を授与されています。

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本居豊頴は「源氏物語」「万葉集」「古事記」などを論じ、「古事記伝」を著作した本居宣長(もとおりよりなが)の義理の曾孫であり、古典文学などに多くの著作を残し、正三位の官位と勲章「旭日重光章」を授与された紀州藩出身の国学者歌人でした。
(下記 参考1)

【田道間守(たじまもり)とは】
古事記日本書紀の中の垂仁天皇の時代の神話の人物で、但馬の国の国守と伝えられています。
田道間守は第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)に命じられ、常世国(とこよのくに)の非時香菓(ときじくのかくのみ)を求め旅立ちました。そして、幾多の困難を乗り越え、10年の歳月かけ、非時香菓を持ち帰りました。

しかし、既に遅く、垂仁天皇崩御されていたため、香りの良く、八竿八縵(やほこやかげ)のように実がなっている非時香菓を御陵に献じ、落胆のあまり泣き叫び、亡くなったと伝えられています。

田道間守が持ち帰った霊菓 非時香菓(ときじくのかくのみ)は、橘(たちばな)の木であるとされていいます。また、この霊菓をもたらしたことで、田道間守は「菓子の祖」(昔は果物も菓子とみなされていた)とされ、中嶋神社の祭神として和菓子業者より崇敬(すうけい)を受けています。

【明治名家古人評論 田道間守(たじまもり)】
執筆者「幕末・明治期の国学者歌人 本居豊頴(もとおり とよかい)」

田道間守(たじまもり)は新羅國(しんらこく)より帰化したる天日槍(アメノヒボコ)の裔(えい)にて、垂仁天皇の御時に命(めい)を蒙(こおむ)りて常世國(とこよのくに)に渡り、非時香菓(ひじこうか)を求得(もとめ)て来たりし人なり。

然るに帰朝の前、既に天皇は崩(ほう)し給(たま)へるを以て大(おおい)に落胆し、遂に天皇の陵前(りくぜん)に於(おい)て死したり。

然るに其の死したる状(じょう)を記せる伝説二ありて、

古事記には
『擎其木實、叫哭以白“常世國之登岐士玖能迦玖能木實、持參上侍”遂叫哭死也』
-----------------------
・上記文章の意味
『その木の実を擎(かか)げて叫(さけ)び哭(おら)びて白(申、もう)さく、“常世国(とこよのくに)のときじくのかくのみを持ちて参上(まい)りて侍(はべら)ふ。” 遂に、叫哭(泣き叫び)のあまり、死に絶えました。』
-----------------------

とありて、叫哭(きょうこく)の余りに死に及(およ)へるゑ(え)り

日本書紀には、
『今天皇既崩、不得復命、臣雖生之、亦何益矣」乃向天皇之陵、叫哭而自死之』
-----------------------
・上記文章の意味
『今、天皇はすでに亡くなり、復命(報告)ができず、臣(田道間守のこと)は生きていても、何の益があろうか。」 天皇の陵(みささぎ)に向かい、叫哭(きょうこく)し、自害しました。』
-----------------------

とありて、自ら死を決し剣に伏したる状(じょう)なり、

いずれが是(ぜ)ならん。
今之を決せんとするに証なき以上は、いづれを非とも定め難き事ながら、既に先輩も論じたるが如く、
当時の実況と当時の人情とを以て之を察すれば、
古事記の伝説即ち事実にして、日本書紀の文は撰者の潤飾(じゅんしょく)ゑ(え)ると明らかなり。(潤飾(じゅんしょく):表面をつくろい飾ること)

垂仁天皇の頃の人情の質朴実着なるに、
「臣雖生之、亦何益」などいう理論めきたる事はいうべきもあらず。
(臣(田道間守)は生きていても、何の益があろうか)

故に田道間守はただ誠一に天皇の命を奉じて辛苦を顧みず、
単身渡航して得て帰れる非時香菓を天皇の御在世中に献ずるを得ざるしを
悔いて已(や)む能(あた)はざりし単純の熱心の極(きょく)、
遂に死にいたれりにて、愚かなるが如くなれども、
上古人の単純なる士気皆かくの如くゑ(え)りしを知るべきなり。

海行かは、みつく(水漬く)、かはね(屍)、山行かは、草むす骨、などいえる語あるも亦之を以て察すべし。
(海では溺れて死んだ人の屍が海水に溶け消えていく、山では遭難して死んだ人の屍が草に覆われて骨になる)

近世のことと雖(いえど)も史に記せると其の内幕の事実とは大(おおひ)に反したる事無き能(あた)わず、
況(いわん)や上古の事実を見んとするには先能く当時の現状を察せしずて記文の美なるをのみ取らば大いなる誤りとなりぬべし。
(近世の出来事といえども、歴史書に記された出来事と当時の実際の出来事とは必ずしも一致しているとは限らない。ましてや古代の出来事であれば歴史書の美文だけで判断すれば間違ってしまう。)

此のころある学校にて生徒の為にこの天皇の紀を講ずとて心に感ずることありしついでに概論したるかたはしなり。
(ある時期、ある学校で、生徒のために天皇の紀を講義したとき、心に感ずることがあり、そのついでに概論をした。“かたはし:江戸時代の文語体で物事の端や末端、あるいは、ある物事の始まりや終わりを表す言葉”)

因みに云う非時香菓といふは日本書紀に今(いま)謂(い)ふ橘(たちばな)是(これ)也(なり)と注(しう)したれど、
今日世にタチバナと称するものには限らず、橘柑(きっかん、柑橘)の類の総称にて現に田道間守の持ち帰りしは蜜柑(みかん)なるか橙(だいだい)か、
其れは詳(つまびらか)ならねど、上古にタチバナといひしは其の味好(よ)き物なるは明かなり。

諸兄公に橘姓を賜(たま)へる時のにも、橘は菓子之長とあり、又後世、橘の歌には必ず昔を慕ふ意(こころ)を詠(ゑい)ずる事なるか、

何の故なるか詳(つまびらか)ならねど、
この田道間守の故事より出たる習慣ならんと或る人はいへり、然(さ)もあるべし。

【参考】
1.本居豊穎の経歴
天保5年(1834年紀州和歌山生れ、大正2年(1913年)死去。
本居 豊穎(もとおり とよかい)
本居宣長の義理の曾孫で幕末・明治期に活躍した国学者歌人
本居内遠 死去後、母 藤子の教導を得て家学を修める。
父の後を継いで紀州藩の江戸藩校 古学館の教授となる。
明治維新後、政府・東京神田神社神祇官神道大教正として神道の振興に尽力した。
女子高等師範学校教授、東京帝国大学講師、國學院講師を歴任した。
大正天皇の皇太子時代には東宮侍講・御歌所寄人を勤める。
1906年に帝国学士院会員になる。
国学・和歌の興隆を願って大八洲学会を主宰した。
明治24年(1891年)三条実美が死去した際に葬儀斎主を務めた。
明治34年(1901年) 従四位 授与される。
明治39年1906年正四位 授与される。
明治42年(1909年) 業績により文学博士号を授与される。
大正2年 (1913年) 正三位、 勲章「旭日重光章」授与される。
古今和歌集講義」「本居雑考」「打聴鶯蛙集」や歌集「秋屋集」「秋屋集拾遺」、祭詞集「諄辞集」など著書・訳書・編書多数。
2.「明治名家古人評論」 勢多 章之,博文館,1899.12.16(明治32年)

 

陰暦令和5年12月小(西暦2024年1月)の太陰太陽暦カレンダー

陰暦令和5年12月の絵

陰暦令和5年12月小のカレンダー

太陰暦の季節のズレを二十四節気で補った太陰太陽暦

太陰太陽暦飛鳥時代に中国から伝来し、江戸時代まで使われました。


太陰暦は月の満ち欠け、すなわち新月から次の新月の前日までの1カ月29・5日を「29日の小の月」または「30日の大の月」を入れて11カ月1年354日として作られました。

太陽暦の1年365日に対し、太陰暦の1年は354日と1年で11日少ないため、日付(季節)にズレが生じてきます。
3年間で33日(太陽暦は1095日、太陰暦は1062日)ズレますので3年に一回、閏(うるう)月(29日または30日)を挿入して1年13カ月(1094日または1095日)となる閏年を設定し太陽暦(1095年)に近づけ調整します。
太陰暦の日付のズレによる季節のズレを補うため、太陽の1年である黄道一周365日を分割した二十四節気の季節などでズレを補正したのが太陰太陽暦なのです。

太陽の黄道一周を冬至春分夏至秋分と4等分した季節を冬、春、夏、秋の四季としました。
そして、四季をそれぞれ6つに分けた二十四節気の季節、さらに二十四節季をそれぞれ3つに分けた七十二候の季節を太陰暦に配置したのです。

太陽の黄道一周1年は12カ月なので二節気で1か月になり、1カ月二節気の前半の節気を節気、後半の「節気」を「中気」としました。
(例:立春は第一節気で正月節と雨水は第二節気で正月中、啓蟄は第三節気で二月節、春分は第四節気で二月中、清明は第四節気で三月節、穀雨は第五節気で三月中  ----)

太陰太陽暦に採用している太陽の黄道一周の1年(二十四節気)と太陽歴1年は同じ365日ですが太陽暦の起点は「西暦1月1日」ですが、太陰太陽暦の起点は西暦2月3日(または2月4日)の第一節気「立春」となります。

太陰暦二十四節気


太陰太陽暦の主体はである月齢よる十二カ月の各月と季節を表す補助の二十四節気など十二カ月の各月から成り立っています。

江戸時代以前の歴史的事件の日付は太陰太陽暦(陰暦・旧が暦)では毎年同じ日付ですが、現代の日付に対応させると毎年日付が変わってしまいます。

元禄十五年も2023年は陰暦(太陰太陽暦)の閏年に当り、閏月(29日)挿入した1年13か月(384日)の年です。
赤穂浪士の討ち入りは陰暦の元禄十五年十二月十四日で西暦に対応させると1703年1月30日となります。
2023年の陰暦十二月十四日は西暦2024年1月24日に当たります。
陰暦は日付がズレますので現在では事件が起きた1月30日(陰暦十二月十四日)が討ち入りの日と固定しています。

2023年12月17日コロナ新変異ウイルス「JN.1」増加により感染増加中、重症リスクは低いが油断は禁物。

2023年12月コロナ感染状況

新型コロナウイルス感染症の分類を「第2類」から季節性インフルエンザと同じ「第5類」に移行した2023年5月8日から感染が増加し、第9波が始まりました。

それから約6カ月間経った11月19日でようやく感染者数9,570人(1病院当り1.95人)と1万人を下回り、第9波で終わると思ったら、次の週から再び増加が始まり、4週間続けて増加しています。

11月19日(ロイター通信)WHO(世界保健機関)はオミクロン株「BA.2」から変異した新たな変異ウイルス「JN.1」が世界インド、中国、イギリス、アメリカなど世界各地の国々で広がっていると報告しました。

そして、東京都が2023年12月21日に公表したモニタリング分析によると11月27日~12月3日で行われたゲノム解析の結果JN.1株は17.6%となり、前週の4.3%を大幅に拡大したと報告しました。

国内の増加原因も新変異ウイルス「JN.1」の拡大によるものと思われます。
いまのところ、ゆるやかな増加で、重症化リスクも低く、現行のワクチンで予防効果はあるとのことなので心配することはないようです。

しかし、正月に向かって人の移動が激しくなり、さらに感染が増加すると思われます。
4日後の来年の1月は今年の1月(第8波)のような警告基準に迫る定点把握25人(13万人/週)超える大流行(第10波)にならないよう願いたいものです。

 

新型コロナウイルスによる国内感染数一覧
               2022年9月17日~2023年12月17日
                                                    (単位:人)
                日付               定点把握   全数把握
9月17日(9/11~9/17)      17.54  87,700   第9波のピーク
10月15日(10/9~10/15)    3.76  18,800
11月5日(10/30~11/5)      2.44  12,200
11月12日(11/6~11/12)    2.01  10,050
11月19日(11/13~11/19)  1.95    9,750   新変異ウイルス「NA.1」
11月26日(11/20~11/26)  2.33  11,650   
12月03日(11/27~12/03)  2.75  13,750
12月10日(12/04~12/10)  3.52  17,600
12月17日(12/11~12/17)  4.15  20,750

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*定点観測値のコロナ感染状況判断基準
(1病院当り1週間の合計感染者数)
1病院当り感染者 -------  1人 ------- 流行入り
1病院当り感染者 ------- 10人 ------- 注意報
1病院当り感染者 ------- 30人 ------- 警報
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陰暦令和5年11月小(西暦2023年12月)の太陰太陽暦カレンダー

陰暦令和5年11月カレンダー

吉田兼好が宮廷の蔵人(総務・文書係)を早期退職し、在家の沙弥となった1313年(30歳)ころは武士が公家から政権を奪い、国を治めるようになってから既に120年経っておりました。

世の中は再び王政復古を目指す倒幕運動や幕府内や皇室内での対立が頻発し、やがて滅亡していく鎌倉幕府凋落の時代でした。

兼好は西行鴨長明と違い、在家の沙弥として41歳(1324年)を機に比叡山横川(よかわ)から京の仁和寺のある双ヶ岡(ならびがおか)に移り住み、俗世と接触し、歌人・文筆家としての生活を始めます。

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兼好は政治にまったく関心を持たず、随筆を執筆しています。同時に藤原家分流で藤原定家の子孫の歌人二条為世が主催する和歌の集まりにも通っています。

京の都に住んで、和歌の会合に出入りし、頻繁に起こる紛争や事件に宮廷・寺院・幕府の高名な人物が関与をしたと耳にしたならば、随筆の内容に影響しないわけはないと思います。

現に徒然草の中には政治や事件の内容こそ書かれていませんが当時も過去の事件を含め、事件に関連した高名な人物のふるまいやことばについて書き記した文章が数多く載っています。

また、兼好は本来官位が5位以上(殿上人)ではないが蔵人だけが許される6位の殿上人として宮廷に勤務していたこともあり、自然だけでなく、宮廷や公卿の豪勢な建物や庭や草木や花々についても記述しています。

背景となる当時の社会情勢や市井の生活を知ることが徒然草の理解に役立つと思われます。
当時の背景を知る一つの手がかりとして日々の経過と季節の変化が現在とどのように違いがあるか検討することにし、太陰太陽暦カレンダーを作成することにしました。

 

【平安・鎌倉時代の休日と太陰太陽暦

日本の天皇は神の嫡流三種の神器が権力の象徴ですが中国では皇帝は天命を受け即位すると見なされていました。
そのため、天の意思の現れ(天体・自然現象)を民に知らせるとして暦法は皇帝の権力の象徴でもありました。

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日本に暦が伝来した時から暦の作成権は天皇が持っており、作成権が幕府に移るのは江戸時代です。そして、江戸時代まで太陰太陽暦を採用しており、西洋の太陽暦のような1週間・曜日という概念はなく、日曜日が休日という規則的な休みの制度もありませんでした。

だだし、平安・鎌倉時代の朝廷の休日として以下の11日がありました。

(陰暦の日付は毎年同じでも太陽暦の日付と年々ずれていきます。

 春分立春太陽暦と同じ日時で一定ですが陰暦の日付は毎年変わります。)

平安・鎌倉時代の朝廷の休日

 

これらの休日は、朝廷の行事や儀式と関連付けられており、朝廷の役人や従者も休日でしたが、一般庶民は、これらの休日を必ずしも休日として過ごしていたわけではないようです。
また、朝廷には、休日とまでは言えないものの、休息の日がありました。

例えば、天皇の誕生日や命日、貴族の位階の昇進や退任などの際には、朝廷の儀式や行事が行われていました。これらの日は、朝廷の役人や従者が休息をとる機会となっていました。(参考:生成AI「chatGPT」など)

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太陰太陽暦カレンダーの作成にあたり、西洋の1週間に替わる日にちの区切りとして60日干支表(十干×十二支)に習って、甲から癸までの十干10日を区切りとすることにしました。

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1カ月を上旬、中旬、下旬とする区切りは古くからあり、1カ月を十干で区切ることは間違いではないと思います。

 

コロナ感染第9波による感染者は2023年11月19日約1万人で下回るもまだ流行中

コロナ感染者数推移グラフ

新型コロナ第8波は2023年1月17日の感染者数(全数把握換算)14万9,750人をピークに減少に向かい、2023年4月16日には6,250人となり、感染増加は抑えられてきました。

 

収束には至らないものの、コロナウイルスの強度が弱まり、健康被害リスクが以前より低くなっているとして、政府は社会生活や経済の立て直しを図るため、2023年5月8日の大型連休明けから新型コロナウイルス感染症感染症法の分類を結核SARSなどの「第2類」から季節性インフルエンザと同じ「第5類」に移行しました。

 

収束してないうちに(1病院当り1.25人)ゴールデンウイークに入ったこと、インフルエンザ並みに制限緩和したことにより、コロナ感染第9波が到来してしまいました。

 

コロナ感染第9波超概略予想図 

yaseta.hateblo.jp

そして、第9波の始まり2023年5月から約6カ月間経った11月19日でようやく感染者数9,570人(1病院当り1.95人)と1万人を下回りました。

 

現在の時期は4月から5月にかけて経験した第8波から第9波に移行する期間の初期に当たります。

再び同じタイムラインを辿り第10波が起こらないことを祈ります。

 

新型コロナウイルスによる国内感染数一覧

2022年10月9日~2023年11月19日

(単位:人)

日付               定点把握   全数把握

10月9日(10/3~10/9)      6.25     31,250     第8波

1120日(11/14~20)     16.90     84,500

12月18日(12/12~18)     27.50    137,500

12月25日(12/19~25)     29.80    149,750

1月 1日(12/26~1/1)      25.25    126,250

1月15日(1/9~1/15)      21.25    106,250

2月12日(2/6~2/12)       5.55     27,750

3月12日(3/6~3/12)       1.95      9,750

4月16日(4/8~4/16)       1.25      6,250    第9波

5月7日(5/1~5/ 7)        1.71      8,550

5月14日(5/8~5/14)       2.63     13,150

6月18日(6/12~6/18)      5.60     28,000

7月16日(7/10~7/16)     11.04     55,200

8月13日(8/ 7~8/13)     14.16     70,800

9月17日(9/11~9/17)     17.54     87,700

10月15日(10/9~10/15)    3.76     18,800

11月5日(10/30~11/5)     2.44     12,200

11月12日(11/6~11/12)    2.01     10,050

11月19日(13/12~11/19)   1.95      9,750    収束に向かうか第10波か?

 

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*定点観測値のコロナ感染状況判断基準

(1病院当り1週間の合計感染者数)

1病院当り感染者 -------  1人 ------- 流行入り

1病院当り感染者 ------- 10人 ------- 注意報

1病院当り感染者 ------- 30人 ------- 警報

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コロナ感染第9波は2023年9月3日をピークとして10月22日まで7週連続減少中

第8波・第9波コロナ感染状況グラフ

新型コロナウイルスによる国内感染数一覧

               2023年8月20日~10月22日まで1週間単位

                                                                 (単位:人)

               日付                  定点観測     感染者        増減

820日(8/14~8/20)     17.84     89,200      18,400

8月27日(8/21~8/27)     19.07     95,350        6,150

9月 3日(8/28~9/3)        20.50   102,500        7,150

9月10日(9/4~9/10)       20.19   100,950       -1,550

9月17日(9/11~9/17)     17.54     87,700     -13,250

9月24日(9/18~9/24)     11.10     55,500     -32,200

10月 1日(9/25~10/1)      8.83     44,150     -11,350

10月 8日(10/2~10/8)      5.20     26,000     -18,150

10月15日(10/9~10/15)   3.76     18,800       -7,200

10月22日(10/15~10/22) 3.25     16,250       -2,250

コロナ感染第9波超概略予想図

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2023年9月24日の国内感染状況

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コロナ感染第9波の全国感染は2023年9月3日をピークに10月22日現在まで7週連続で減少中です。

9月3日時点では1週間の1病院当り感染者は20.50人(感染者数102,500人)で流行の深刻レベルは「注意報」でしたがこれをピークに7週連続減少が続き、10月22日現在は1週間の1病院当り感染者3.25人(感染者数16,250人)と流行初期レベルまでに減少しました。

ただ、前週3.76人(感染者数18,800人)と比べると0.51人(-2,250人)と減少幅が小さくなっています。

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 *定点観測値のコロナ感染状況判断基準

                        (1病院当り1週間の合計感染者数)

 1病院当り感染者 -------   1人 ------- 流行入り

 1病院当り感染者 ------- 10人 ------- 注意報

 1病院当り感染者 ------- 30人 ------- 警報

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