朝廷を早期退職、在家の沙弥となり、遁世者・歌人・作家生活に入った吉田兼好

吉田兼好の庵

私は15年ほど前から月1回「古典文学を楽しむ会(野田市読書連絡協議会)(参考2)」の講座「徒然草を楽しむ会」に出席しています。

 

2020年新型コロナウイルス感染症が流行し、約2年の休会後の2021年後半に再開しましたが会員は10数名に減少してしまいました。

この間、会長・役員の老齢化のため古典文学を楽しむ会(野田市読書連絡協議会)は「野田市文化団体協議会(参考1)」から退会、「徒然草を楽しむ会」の会長は体の不調により退任しました。

そして、2023年6月には講師の先生も体の不調により退任してしまいました。

 

会長を引き継いだ私は講師を探しましたが講師料や開催日や時間の折り合いが付かず、講師探しは難航し、とりあえず有志による調査報告会とすることで続行することを提案しました。

 

素人の勉強会や講義など聴きたくないという意見が出るのは当然で、賛同者がいなければ解散するつもりでした。

 

意外にも最終回出席者12人のうち内輪の勉強会でも良いという会員が4人残りましたので徒然草を楽しむ会調査報告会として続行することにしました。

(当面2~3カ月は試行期間として無料、その後資料代・会場費として500円徴収する)

 

その調査報告会一資料の徒然草の作者「吉田兼好」について報告します。

平家物語方丈記徒然草の背景にある鎌倉時代の年表

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吉田兼好の略歴】

吉田兼好(かねよし)は吉田神社の社務職と朝廷の神祇官として仕えていた父の卜部(うらべ)兼顕(かねあき)の三男として1283(弘安六)年にこの吉田の地に生まれました。1301年18歳になった兼好(かねよし)は「蔵人」の官位を得て後二条天皇朝廷に出仕します。

 

宮廷生活の間、大覚寺で主催の定期歌道会の師範や二条為世(ためよ)の門下になり和歌を学んだり、有職故実の知識を吸収したり、和・漢・仏にわたる広い教養を得たり、恋愛の経験もしたといいます。

 

【出家を決めた後の兼好】

1307年(24歳)で官位が「左兵衛佐(すけ)」に昇進するも次第に宮廷生活に疑問を抱き、1313年(30歳)に出家を決心する。

1313年(30歳)出家後、六条三位家から山城の国山科(やましな)の小野庄(京都市山科区山科)の水田一町を買い、吉田から移り住む。

(小野庄の水田は隠遁生活費を稼ぐため購入したと思われる。)

小野庄に住んでいた間に二度、鎌倉と金沢(横浜市金沢区)下向している。

1320年(38歳)比叡山の近くの横川(よかわ)に籠居する。

1322年小野庄(京都市山科区山科)を柳殿(尼衆寺)に塔頭用に売寄進。寄進状には自ら「沙弥兼好」と署名。

1323年(41歳)横川から下山、京の双ヶ岡へ移り住み、歌人になる。

1317~1331年の14年にわたり徒然草を執筆するも注目されず。

1352年 吉田兼好死去(69歳)

1431年徒然草は武士で歌人今川了俊の弟子「正徹(しょうてつ)」によってまとめられ世に出ることになる。

 

【俗人の出家には2つの道がある】

(1)第1の道 俗世間と断ち切る道

年少時、寺に入り剃髪して沙弥戒を受けて「沙弥(しゃみ)」または「沙弥尼(しゃみに)」になり、数年の修行後、具足戒を受け「比丘(びく)」または「比丘尼(びくに)」になる。そして、生涯一定の宗派に属し、寺院生活を送る。

 

(2)第2の道 在家の沙弥としての道

中年以降、何らかの動機で出家・剃髪し、沙弥戒を受け沙弥になる。官職を離れるけれど、宗派や寺院に所属せず、具足戒を受けることなく、一生沙弥・沙弥尼で終る。

 

この第2の出家者は遁世者・世捨人と呼ばれるようになり、第1の道の沙弥と区別するため「在家の沙弥」と呼ばれました。

俗名、卜部 兼好(うらべ かねよし)は遁世者として兼好(けんこう)法師と呼ばれ、自分では「沙弥兼好」と称していたといいます。

遁世者自身は「沙弥 某」と称し、他人からは「某 法師」、「某 御坊」、「某 入道」と尊称されていました。

 

例として西行法師は俗名、佐藤義清(のりきよ)、能因法師は俗名、橘永愷(たちばなのながやす)がおります。

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著名な文芸人として西行や兼好のほかに鴨長明は蓮胤(れんいん)、藤原定家は明静(みょうじょう)、二階堂貞宗は頓阿(とんな)と呼ばれていました。

その外、在家の沙弥として平清盛は浄海、遠藤盛遠は文覚(もんがく)、北条時頼は道宗(どうすう)、足利義満は道義(どうぎ)などがおります。

 

女性の在家の沙弥尼として藤原「俊成の娘」は浄如(じょうにょ)、

安嘉門院 四条(あんかもんいん しじょう)は阿仏(あぶつ)、

建礼門院平徳子は真如覚(しんにょかく)などがおります。

 

【ことば】

*蔵人(くろうど): 天皇の側近、文書の管理、衣食など日常生活の奉仕、勅使の伝達・天皇への上奏、除目、節会の儀式などの職務にあたる。

*除目(じもく): 大臣以外の官吏の任命式。

*節会(せちえ): 宮中でもよされる儀式や宴会。

有職故実(ゆうそくこじつ): 朝廷の儀礼・行事・官職・服飾などについての知識や学問。

塔頭(たっちゅう) :  本寺の境内にある小寺。わきでら。

*沙弥 : 仏門に入り、剃髪・得度したばかり修行未熟な僧。

*沙門(しゃもん): 修行僧・僧侶。

*法師 : 仏法に精通し、衆生の師となる人。

*入道 : 仏門に入って修行すること。修行中の僧。

*戒 : 良心の悪を防ぎ善をすすめる。信者が守るべき掟。

*具足 : ①仏教用語、十分そなわり足りていること。

*具足 : ➁道具、所持品、武具、家来、和歌などの素材。

十戒 : 仏教の十のいましめ。十悪(じゅうあく)を犯さないこと。

1殺生(せっしょう)

2偸盗(ちゅうとう=盗み)

3邪淫(じゃいん)

4妄語(もうご=うそ)

5綺語(きご=ざれごと)

6悪口(あっく)

7両舌(りょうぜつ=二枚舌)

8貪欲(どんよく)

9瞋意(しんい=怒り)

10愚痴(ぐち)

*俊成の娘 : 新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人

*安嘉門院四条 阿仏尼 : 十六夜日記の作者

 

【参考】

1.野田市文化団体協議会(1948年4月~)

1948年4月野田市の文化活動振興を図るために野田市文化団体協議会が組織され、その下部団体の一つに野田市読書連絡協議会があり、その活動団体が「古典文学を楽しむ会」である。加盟団体として野田市読書連絡協議会、野田文学会、野田囲碁会・生け花・ダンス・陶芸など63団体(2021年)がある。

2.野田市読書連絡協議会(古典文学を楽しむ会)(1948年4月~)

1990年に名称が「古典文学を楽しむ会」になり、会員は30~50人となり、2016年頃から講座が増え、2018年には徒然草を楽しむ会、源氏物語を楽しむ会、枕草子を楽しむ会、古事記を楽しむ会、奥の細道を楽しむ会の5講座なりました。

学習テーマにより講座名を変えています。