4月の絵「平家物語 平家の横暴と鹿ヶ谷事件)」

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平清盛は保元・平治の乱の経て次々と官職昇進をなし、1167年、清盛は従一位太政大臣になり、やがて息子の重盛は左大将、宗盛は右大将になります。そして平家一門40人以上が公卿・殿上人になり、高位高官を独占、清盛の娘たちも高倉天皇に入内した徳子(とくし)をはじめ、それぞれ上流貴族に嫁いでいきます。

 

平家一門の栄華は頂点に達し、やがて清盛自身も横暴な振る舞いするようになります。
平家物語では平家の横暴な振る舞いを次々と上げ、それら驕り高ぶりが民衆や朝廷内から反感を呼び、やがて平家打倒運動が起こり、平家滅亡へとつながっていくことを語っています。

 

祇王と仏御前の出家」
平清盛に愛されていた白拍子祇王(ぎおう)」は清盛に白拍子「仏御前(ほとけごぜん)」を紹介するとたちまち、清盛は仏御前を寵愛するようになりました。「祇王」は清盛のわがまま・移り気に捨てられ、出家します。仏御前は計らずも祇王を追い出したことに悩み、世の無常を悟り、自分も出家し、祇王とともに念仏三昧の人生を送り、往生しました。

 

「殿下の乗合事件」
1170年10月、清盛の息子・重盛の次男・資盛(すけもり)は鹿狩りの帰り、偶然に出会った摂政・藤原基房の行列に資盛はじめ若い郎党達は血気にはやり、下馬の礼をとらなかったため、基房の家人たちに懲らしめられました。それを知った清盛は5日後に行列を家来に襲わせ、基房の家人たちの髪を切るという朝廷の制度に対する侮辱ともいえる乱暴を犯してしまいます。

 

平家転覆計画の発覚「鹿ヶ谷(ししがたに)事件」
1171年、清盛の娘・徳子(とくし)は15歳で11歳の高倉天皇と婚姻し、清盛の権勢は益々高くなっていきます。後白河法皇は出家後も政権を握りますが、高倉天皇側の清盛の権力が高まることに後白河天皇はじめ、近臣は危機感を持ち始めます。
(建春門院滋子(しげこ):清盛の妻、時子(ときこ)の妹で後白河法皇の妃)
高倉天皇:建春門院滋子が生んだ子、清盛の娘「徳子」は高倉天皇の皇后(中宮))

 

後白河法皇の近臣・藤原成親(なりちか)は俊寛の別荘「鹿ヶ谷(ししがたに)山荘」に西光、平康頼などを集め、平家転覆の陰謀を練ります。時には後白河法皇も出席し、成親の息子・成経(なりつね)そして武力協力を依頼された多田蔵人(ただのくろうど)行綱(ゆきつな)なども加わり計画を練っていました。しかし、朝廷の外で平家と無関係な不祥事が起こり、計画は一次中断します。

 

1176年夏、後白河法皇の近臣「西光」の息子兄弟の加賀守「藤原師高(もろたか)」・目代「師経(もろつね)」が白山の末寺の鵜川寺とトラブルを起こし、鵜川寺を焼いてしまうという事件を起こしました。

 

白山の本山(比叡山延暦寺)の衆徒が師高・師経の引き渡しを朝廷に要求しました。後白河法皇は西光に味方して拒みますが比叡山の衆徒は強訴を企て、神輿(しんよ・みこし)担いで都に入り、処罰を要求しました。遂に、朝廷は要求に屈して師高を配流、師高を投獄するという処罰を加えました。

 

1176年(安元2年)後白河法皇の妃「建春門院滋子(しげこ)」が死去すると成人した高倉天皇院政継続を目論む後白河法皇の間には対立が表面化してきました。
1177年、後白河法皇は権力拡大を狙い、後白河近臣の藤原定能・藤原光能平知盛らを超えて蔵人頭に任じます。また、後白河法皇から気に入られている藤原成親は大将就任を期待していたが、巻き返しを計った高倉天皇側により、平重盛は左大将、平宗盛は右大将に官位を持っていかれてしまいました。

 

怨みをもった成親らは比叡山延暦寺の衆徒との騒動で中断していた平家打倒計画の会合を再び、鹿ヶ谷山荘で始めました。しかし、多田蔵人行綱は成親に武力協力を依頼され、計画に加わったものの、成功は難しいと判断し、悩んだ末、1177年5月29日、清盛に密告しました。

 

1177年6月1日、清盛は直ちに西光を捕らえ、拷問にかけ、全てを白状させると惨殺しました。同じく捕らえられた事件の首謀者・成親は成親の妹を妻にしていた平重盛の説得により、命だけは助かったが備前児島に流され、山奥の有木で密かに殺害されてしまいます。

 

芸能に優れ後白河法皇に取り立てられた平康頼と事件の首謀者・成親の息子・成経と山荘を提供した俊寛は鬼界ヶ島に流罪になりました。1年後の1978年7月高倉天皇中宮徳子が懐妊、安産を願って大赦が行われ、平康頼と藤原成経は赦され、都に戻ることができました。しかし、俊寛だけは清盛の怒りが解けず、赦免されず、絶海の孤島・鬼界ヶ島で絶望の果て、最期を遂げました。

 

【参考】
1.「日本古典文学全集45 平家物語1」、市古 貞次、(株)小学館、1976年11月30日
2.「平家物語図典」、五味 文彦、(株)小学館、2005年4月1日